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ここに降りた時に最初に見えた景色。
丘の上から見下ろす街は、確かに小さな街だけど、中心の透明なドームを起点に綺麗に道も作られていて、遠くには穀倉地帯も見える。
空には雲も太陽もあって、ここが自分のいた世界と何が違うのか分からないくらいだ。
「あれがオロキの山かぁ」
丘の反対側のずっと向こうに岩山が見える。
すそ野は暗い森が広がっていて、確かに近寄りたい雰囲気じゃない。
まあ結構遠いので、散歩代わりに行くような場所でもないな。
「さて、と」
まだお昼に早いと思うけど、丘の上に座ってまずは思いっきり寝転がる。
あー……前世?になるのかな。
うん、もう死んじゃったんだから前世だ。
毎日毎日、通勤電車と会社の往復だけの毎日。
休みなんてろくになくて、たまの休みも一日寝たらおしまいの絶望感。
ブラック企業にしがみつかなければよかったなぁ。
そうしたらもうちょっと長生きできただろうに。
あーでも会社で死んだなら、労基くらい入ったかな?
だったらざまみろだ。
恋人がいたわけじゃないし、友達だって多くない。
きょうだいもいないし、両親はとっくに離婚してそれぞれ再婚して私とは疎遠。
わー……思い返してみれば、わりとしんどい環境で頑張ってたんだなぁ、私。
と、今更のように己を慰める。
だって、毎日視界が狭くて、自分の事なんか顧みる暇もなかった。
ここに来た時も、実は会社の制服ですよ。
最後まで社畜だった自分にため息しか出ない。
と思っていると寝転んだ足元に何かが触る気配がした。
上半身を起こして見ると、何やら真っ白な毛玉……白いふわふわしたものが私の脚をくすぐってたものだから、思わず、ぐい、と押し戻すとぴょん、と跳ねて私の胸元に突撃してくる。
(こらぁ!痛いじゃないか!)
はっきり聞こえた抗議の声は目の前の毛玉からだった。
「え、あ、痛かった?ごめん。……ていうかこの世界、しゃべる毛玉までいるの……」
(毛玉じゃない!)
「うーん……どう見ても毛玉にしか」
(だから毛玉じゃない!)
と言われれも、巨大なタンポポの毛玉にしか……。
(じゃあおまえの好きな形になってやるよ!)
「好きな形?」
と言ってもなぁ、と悩んでると
(お前の好きなもの当ててやる!)
と今度は私の頭にぶつかってきた。
痛く……はなかったけど次に私の膝の上にいたのは毛並みの綺麗な黒猫だった。
ピン、とした長いしっぽがゆらゆらを揺れている。
「これ、猫っていうのか。どうだーおまえの好きな形だぞ、ふふーん!」
か
か
か……
「かわいいいいいいいいいい!!!」
思わずぎゅうって抱きしめてすりすりしてた。
あああ、癒される……ッ!
部屋に置いてた猫のぬいぐるみ思い出しちゃうー!!
「おおおおおおい!!痛い!ぎゅうぎゅうするなあああ!」
抗議の声に、我に返って力を緩める。
「ご、ごめんなさい。可愛すぎて、理性飛んじゃった」
「まあ俺がどんな姿でも可愛いのは当たり前だが、これいいな」
「これ?」
「猫。走りやすいし、今までみたいにふわふわ浮かんで転がってただけよりずっといい」
ぴょんぴょん跳ねる猫はご満悦だ。
「ところで、おまえセロフの街のやつか?」
「うん、昨日から。いつまでかは分からないけど」
「あ、ひょっとして転生待ちか?」
「そう」
「そっかぁ、じゃああんまり長くいるわけじゃないんだなぁ」
残念そうに考えた後で、ふと、私の傍に置いていた紙袋に気づいて鼻をヒクヒクさせながら前足でつつく。
「なあ、これなんだ?いい匂いする」
「これ?サンドイッチだよ。適当に作ったんだけど」
「サンドイッチってなんだ?」
「お昼ごはんだよ。食べたことない?」
「食べる、って、ああエネルギー補給の事か。俺は体が勝手にエネルギー作るようにできてるから」
あの毛玉は光合成でもできるんだろうか。
「猫だけど猫じゃないから食べられるかなぁ。ねえ一人で食べるのも味気ないし、君さえ良かったら一緒に食べない?」
「食べる?」
「うん、こんな風に」
レタスとハムを挟んだだけのシンプルなサンドイッチだけど美味しかった。
「俺も食べる」
と前足でちょいちょいつついてくるので、食べやすい大きさにちぎってあげると最初にそっと舐めて、その後、勢いよくかぶりついた。
「これ、すごい!」
「美味しい?」
「美味しい?美味しいっていうのか。なんだか体が温かくなるみたいだ」
誰かとご飯食べるのもいつ以来だろう。
まさかその相手が言葉を喋る黒猫、もとい黒猫の形をした白い毛玉だとは。
「はー……満足したー」
おなかを見せてゴロゴロ喉を鳴らす黒猫の頭を撫でる。
「ねえ、私ね、しばらく転生先を決めるつもりはないんだ」
「なんでだ?」
「うーん……前世でね、これでもかってくらい忙しく働いてて、楽しいことなんてなくて、そんな暗い気持ち引きずったまま次の人生いくの疲れそうだなって」
「どうせ転生したら覚えてないんだぜ?」
「でも、また死んだら思い出すんでしょう?だったらその前に次の転生先をじっくり考えていこうかなって。だから、もしあなたが良ければ、私がセロフにいる間、私と一緒に暮らさない?」
「俺と?」
「うん。私、猫を飼うのが夢の一つだったの。ここで猫と一緒に暮らす夢を叶えられたらいいなって。駄目かな?」
じーっと黒猫を見ると綺麗な緑色の瞳が細められた。
「なあじゃあまたこれ。サンドイッチ作ってくれるか?」
「いいよ。もっといろんなの作って一緒に食べようよ」
「俺はシャオって言うんだ」
「シャオ。可愛い名前ね」
「ふふーん。なあおまえの名前は?」
「董子、泉董子」
「トーコ。トーコ。いい名前だな。じゃあトーコ、俺、おまえと暮らしてやるよ!セロフの街にはずっと入ってみたかったんだ」
「そっか。嬉しいな。よろしくね」
「あ、でも一つ言っておかなきゃ」
「何?」
しっぽを揺らしながら、シャオがえっへん、と胸を張る。
「俺、オロキの山から来たんだ」
……はい?