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私は白い光に生まれ変わる前に考える時間が必要かと聞かれ、欲しいと願い、それならば、と送られたのがこの「境界の世界」だった。
セロフと呼ばれているのだと知ったのは、丘を下りて街の入り口に書かれた見たこともない文字の看板が何故か読めたから。
街に入って、最初に向かったのは「道」と呼ばれている建物だった。
そこに向かうように白い光に言われ、懇切丁寧にどこにあるのかも教えてもらったので迷うこともなかったけれど、街を行く人たちの間を抜けて、たどり着いたのは「道」と看板がかかっている建物でまあなんというか……おんぼろ……じゃない古い、いやいや趣がある……。
……とりあえず、よし、と覚悟を決めて入ると中もおんぼろ……ごほん、埃だらけであんまり入りたくなかったけど、ここしか今は私が頼る場所はないのだ。
「失礼しまーす……」
人の気配はなかったけど、そのうち誰か来るかな、なんて考えてカウンターの椅子の埃を払って座って待っていたのだけど……。
5分ももたなかった。
「無理!!!」
勢いよく立ち上がった私は、閉め切っていた窓を片っ端から開けて、勝手にカウンターの内側に転がっていた掃除道具を手に入れた!よし!!
水は、と見回してみると窓の向こうの中庭に井戸が見えたので、桶を抱えてダッシュで向かい水を汲むと中に戻って、まずは大雑把に床の埃を開け放した扉の向こうへ履きだし、ゴミ箱にたくさん捨てられていた紙を丸めては水につけて、ばらまいて埃が落ち着くまでにカウンターや、床、階段の手すり、窓枠と窓を黙々と水拭きしてから乾拭きする。
本当はワックスもかけたいとこだけど見当たらなかったので諦める。
床にばらまいた紙屑を履き集めると、最後に床全体をもう一度水拭きしたら、そりゃもう見違えるくらい綺麗になった。
まあ元々おんぼろ……じゃなくて古い建物だから、仕方ない面はあるけど、あんな埃だらけの状態よりずっといい。
「あとは……」
「あ、あの、どちらさまでしょう?」
窓にかかっていた埃だらけのカーテンを洗おうかなー、なんて考えていた私の後ろで声がした。
振り返ると、パン袋を抱えた男の人が立っていた。
「あ、ここの人ですか?」
「あ、はい。そうですけど……あの、掃除の依頼なんてしてないかと……」
しまった、つい。
「あー、いいえ。私、掃除屋さんじゃなくって。あの……白い光にここに行けって言われて」
私の困ったような答えに、目の前の男の人は正体不明の訪問者の目的を理解したのか、ぱっと安心したように笑った。
「そうか、書類きてたんだっけ。いやぁ、転生先を決められない人って久しぶりだからうっかりしてた」
「あー私こそ勝手に掃除しちゃってすみません」
「いや、こっちこそ。あ、えっと。まず手続きが必要なんで二階に上がってもらえるかな。名前は……」
「董子、です。泉董子」
「トーコさん、か。僕はクルト・ジャマル。この転生ギルド「道」の所長です」
にこにこほんわか笑顔の所長さんにこっちだよ~と手招きをされて、洗おうと思っていたカーテンをカウンターに置いて二階に上がっていく。
「どうぞ、どうぞ」
こっちの部屋もまあ散らかり具合はなかなかのものだったけど、まあなんというか人の気配があるぶん、下よりはマシかなぁ。
「ええっと、あった、これだ……」
たくさんの書類の中から一枚の書類を発掘して、私の前に差し出す。
わー履歴書みたいだ。
簡単に私の「人生」が描かれている一枚の紙だった。
「えっと今回の転生が6回目になるはずだったんだね。前は仕事中の突然死かぁ。その他の人生は割と長生きして大往生してるから、今回みたいなことは初めてなんだね」
「ですね」
「……辛くないの?」
突然死んだことだろうな、と思って、クルトさんの思いやりを感じて笑ってみせた。
「辛くないって言ったら違いますけど……でもめちゃくちゃ仕事頑張ってきたから、今は休暇気分で次の事決めようかなって」
「休暇?」
「そう。だって、どんな転生先を選んでも、また一から人生始めなくちゃいけないんでしょう?だったらその前にめちゃくちゃ仕事頑張ってた泉董子に、休暇ってご褒美あげてもいいかなって」
実際、ブラック企業勤めだった私は死ぬ前の数年間、まとまった休暇なんて取ってなくて、ただ目の前の仕事に必死で、すり減ってた。
あんなすり減ったままの心を癒さないまま次へ向かうのも違うな、と思って悩んでいたら、ここで次の転生先をゆっくり考えて決めればいいと言われたのだ。
「そっかぁ。じゃあしばらくはここでゆっくり考えて、決めたら僕のところに来てくれたらいいよ」
「うーん、しばらく先になりそうですけど、まずはここで暮らすことってできますか?」
「へ!?ここで!?」
「あ、いやいや、この世界?っていうか街で」
「あ、ああ……そういうことね」
クルトさんがホッとした顔をした後でごほんと咳払いをして指を立てて教えてくれる。
「そうだね。じゃあ街の真ん中に透明のドームのような建物があったのは見た?」
とても目立つものだったから、はい、と答えると
「あれは……そうだな、トーコさんたちの世界で言えば、教会みたいなものかな?」
そこに行けば、住む場所を手配してくれるというので、クルトさんのくれた紹介状を手に私は迷うことなくその建物に向かい、受付らしきところで声をかけて紹介状を渡すと中に案内され、可愛らしい女の子に「ご希望はありますか?」と聞かれたので、日当たりのよい家がいい、と希望を伝えると幾つか見繕ってくれた。
「一緒に着いてきますね!」
と張り切った彼女が最初に連れて行ってくれたのは、転生ギルドのすぐそばの小さな一軒家だった。
小さいと言っても、庭もあって広々とした平屋で掃除も行き届いてる。
「ええっと、まだ転生ギルドにきたばかりなんですよね?」
「はい」
「じゃあ、簡単にセロフのこと、ご説明しますねー」
家の中を案内しながら親切に説明してくれた。
ここセロフは、あの白い光から転生先を決めるように言われて、決められず悩んだりもう転生しなくていいやー、って決めた人たちが暮らしている世界。
だけど実際は転生先を悩む人なんて稀で、ほとんどがこの世界でスローライフを過ごすことを決めた人たちだと言う。
ここの暮らしに飽きたらどうするの?
と聞いたら、そうしたら、今まで転生を繰り返してきた魂を浄化してまったく新しい魂として生まれ変わるのだという。
案内してくれた女の子、フローラももう8回目の転生になるところだったらしく「いい加減疲れちゃうでしょ?」と笑った。
赤毛とそばかすの可愛らしい、最後に16歳で死んだという女の子の言葉には説得力があった。
まあどんな人生だろうと、満足でも不満でも、さすがにそれだけ繰り返してたら色々重くなるよねぇ。
「トーコさんがいつまでいるか分からないけど、ここでいっぱい休んでいって」
結局一番最初に案内してもらった家が気に入って、そこにしたいと言うとすぐに鍵をくれた。
中はきちんと家具も一式揃っていて今日から住めるという。
まあ割と転生前の生活一日目は順調じゃないかなー、と満足して明日は街を含めたこのあたりの散策をしようと決めて眠りについた。
朝。
うん、この世界でも朝はくるしお腹は空くし、眠くもなるしで、人間生活そのものだなぁ、と納得して起きる。
おなかが空いたけど、私は当然お金を持っていないので食材を買えない。
バイトするか……まかない付きのところとかないかな……。
などと考えていたら
「おはようございますー」
と玄関先から声がしたものだから出てみると、フローラが大きな紙袋を抱えて立っていた。
「おはようございます、フローラさん」
「おはようございます、トーコさん。これ、食材。あと、日用品で足りなそうなもの持ってきたよ!」
リビングのテーブルの上にどーん!と紙袋を二つ置いてニコニコ笑う。
「ありがとう。おなか空いてたの。相談に行こうかなって思ってたとこ」
「ふふーん、そうだと思って。転生待ちの人には不自由はさせないように、っていう決まりがあるの。だから、日常生活で必要なものがあったら遠慮せずに言ってね」
「あ、ねえフローラさん」
ちょっと気になってたことがあるので問いかけてみることにした。
「転生先をどうするか悩んで、ここに来る人ってあまりいないのよね?」
「いないなぁ」
「じゃあ、もし来たとしてどれくらいここにいるものなの?」
私の問いかけに首をかしげて
「うーん……少なくとも私がここに来たのはもう時間にすれば10年前だけど、トーコさんが2人目で、前の人は3日だったかなー……」
と記憶を引きずり出すように考えながら答えてくれた。
「たった3日なの!?」
「自分が死んだ事実に冷静になったんじゃないかな?それにここは見ての通りのどかなだけが取り柄みたいな場所だから、退屈しちゃうのかも」
「そういうものなんだ……」
「ですです。トーコさんのいる家も、転生待ちの人の為に準備してる家の一つなんだけど、空き家が多いから最近ではいくつか潰そうかなんて話も出てて」
確かに掃除を最低限しただけ、って感じだったもんなぁ。
「まあトーコさんも何日いるか分からないけど、この世界を見て回りたいならご自由にどうぞ。あ、でも一つだけ注意が」
「注意?」
「丘の向こうにあるオロキの山には決して近寄らないで。結界をはってあるので入ることはできないけど、近寄らないに越したことはないんで」
ここからでは何も見えないな。
「オロキの山は牢屋なの」
「牢屋?」
「うん。転生を許されないほどの罪人を閉じ込めておくための場所。あそこに閉じ込められた罪人は長い長い時間をかけて魂を浄化されて、また新しい命に生まれ変わっていくって聞いてるわ」
「それはまた怖い場所があるのね」
「まあ私も近寄ったことはないから、話に聞いただけなんだけど」
「ありがと、絶対近寄らないでおく」
じゃあ、仕事あるんでーと帰っていったフローラを見送って、しまった、バイトの相談すれば良かったな、なんて思ったけどまあ何日いるか分からないし、しばらくいることになるのならその時考えよう。
フローラが持ってきてくれた食材で、簡単にサンドイッチを作ると、水の入った瓶を持って、さっそく街の外にでることにした。
誤字報告ありがとうございます。ノリと勢いだけで書いてるので、助けていただけると嬉しいです。