元祖下剋上
伊勢新九郎盛時は足利茶々丸を討つ際に伊勢八郎に伺いを立てた。
「仏の教えに背く大悪人ならともかく、政事の相違で主君を討つなどそれこそこちらが大悪人になるのではありませんか。」
すると八郎は思いのほか落ち着いて言った。
「新九郎が気に留めている尼御台の名は何と言う。」
「北条政子ですが。」
新九郎は即座に答える。
「私の記憶が確かならそれは後世の書物での話。当時のは平政子だったはず。」
新九郎ははっとした。平氏が源氏側に付いて戦った事になる。北条時政は源頼朝の監視役だった。
「いくら何でも、平氏がその庶流平家を討ったなどとは『吾妻鏡』にも書き難いのではないか。」
八郎はそう付け足した。その通りなのだ。源平合戦とは源氏平氏の連合が政権を握っていた平家と戦った。源頼朝の指揮下では平の姓より北条姓を名乗る方が聞こえも良い。
「仰る通りで。」
新九郎が言うと八郎が話し始める。
「遥か昔の事など知る由もない。だが乙巳の変の際は蘇我氏の権力の方が強大で中臣鎌足など今で言う足軽に毛が生えた程度ではなかったのかな。儂とて当時を見た訳ではないから何とも言えんが。後は新九郎が後悔せぬようにする事じゃ。お主に迷いがあると配下の者達は纏まらん。そんな儂も今は言うだけのつまらぬ爺にすぎん。」
八郎の言葉で新九郎の迷いはかなり吹っ切れた。自分が北条を名乗ったら多少は恩恵に授かれるだろうかと考えてみた。
だが迷いはまだある。承久の乱前の北条政子の言葉は狗奴国と抗争を始める前の卑弥呼の言葉に匹敵するものだったはず。
増水した瀬田川の流を止めた那須大八郎宗久とは北条政子が召喚した素戔嗚尊だったのだろうか。そうならば自分はあまりに非力過ぎる。北条の名に押し潰される。
言葉を失した新九郎に八郎が言う。
「蜻蛉の沼で風間谷の草の者の話を聞かなかったかな。戦になれば風魔と化す草の者の話を。」




