細やかな宴
こんこんこん…こんこんと入り口の木戸を五回叩く音がした。老人は警戒する様子もなく、
「入りなさい。」
と声を掛けた。入ってきたのは若い男女で、女の方が
「初めまして、旅の御方。私が姉で木乃葉、こちらは弟で蜻蜒」と言います。」
と自己紹介をした。
新九郎が
「伊勢新九郎と申します。」
と言うと、蜻蜒は
「これ、今日捕れた岩魚です。昼過ぎに客人と話しておられたので今夜はお泊りではないかと。」
と笊を老人に差し出した。笊には岩魚か数尾入っていた。
「早速、焼くかな。」
と老人は岩魚を捌きに台所へと行く。
「私、旅の御方の話を聞くのが大好きです。こんな山奥で暮らしておりますし時折弟と町に降りるだけので、外の話を聞くとは見識が広くなり楽しいですわ。」
「私にそれだけの面白い話ができるかどうか分かりません。ただ見たこと聞いたことをお話しするのみです。」
木乃葉は常套句とも言える言葉を新九郎に言い、新九郎か同じように返すと、
「それで充分ですわ。」
と言った。
老人は
「天狗と猿の話をしていたのだが、何か面白い話はないかね。」
と言う。蜻蜒は
「猿は天狗と違い舞い降りるように整列するのではなく、素早く地を這うように移動して整列します。」
と横方向にささっと動き、新九郎の前で両手の拳と片膝を床に付けた半腰の姿勢となった。そして新九郎の顔を見て、
「殿、何なりとお申し付け下さい。」
と自分が新九郎の臣下であるかのように振る舞った。木乃葉は蜻蜒に、
「何を訳の解らないことをしているの。新九郎さんには〔猿回しの猿です。〕と説明しないと駄目でしょう。ほら、新九郎さん笑っているじゃない。」
と言う。
姉弟はこの動作を猿飛の術とは言わないが、おそらくは小屋の外で先程の天狗の話を聞いていたのだろう。姉弟が直ぐに話を合わせられたのはその為で、壁に耳あり障子に目ありとはまさにこの事だ。新九郎はそう考えた。猿回しの話は老人からの謝礼かもしれない。蜻蜒は身振り手振りを加えてまで示してくれた。
岩魚か焼けると老人は酒を持ってきた。
木乃葉が
「新九郎さん、どうぞ。」
と酌をした。新九郎が
「これは恐縮ですな。」
言うと、老人にも
「お爺さまも。」
と酌をする。老人が
「こりゃあ、どうも。」
と言い、蜻蜒にも酌をした。
「それでは私も少し。」
と木乃葉が手酌をしようとするのを見て、新九郎は
「今度は私が。」
と木乃葉に酌をする。
木乃葉は
「ありがとうございます。」
と妖艶な表情で言った。
新九郎は〔人肌蜘蛛の術に掛けられたか。老人はやはり頭目で二人は御番か。〕と思いながらも上機嫌になり、木乃葉に自分が見たこと聞いたこと体験したことを話して聞かせ、老人と蜻蜒も新九郎の話に耳を傾けた。




