九は八より大きい
鎌倉に届いた首は義経とは別人だった。折れた奥歯が再び生えてくることはないのだ。美砂は首実検の夜、義経の夢を見た。
「あれは俺だぞ。転生の術を使えば奥歯の再生なんぞ雑作もないこと。静がいない時ならいくらでも会ってやろう。」
目を覚ました美砂は少しむっとしたがとても懐かしくて涙した。義経から教わったのは組み打ちであり転生の術の類は全く教わっていない。物事には理がある。美砂には転生の術など想像がつかない。だから一つだけ言える事がある。あの首は義経の首ではないと言う事だ。
これは美砂にしか分からない。知っているのは美砂だけだ。
あの時は御台所と兄の飛鳶、そして自分の三人が知っていた。だからまだ話し相手がいた。今回は違う。孤独感に押しつぶされそうになる。
三人だけが知り得る事。それは静が義経の子を出産した当時の事だ。子供は男児だった。頼朝は即〈殺せ。〉とだけ言った。御台所は〈何とかと助けて欲しい。〉と言うのが頼朝は頑として譲らない。
御台所は毅然とした態度で〈分わかりました。〉と答えた。その時の御台所の目つきと態度に頼朝はとても驚いていた。
即座に飛鳶と美砂が呼ばれた。飛鳶と美砂は男児が生まれた際、男共に対処するために御台所に召集されていた。
「あの男児を由比ヶ浜に埋めるつもりだ。その前に奪い取りなさい。美砂は思いっきり泣くのです。気が触れたように泣けばいい。〈私の子です。〉と泣けばいい。飛鳶は〈お許しください。妹は生まれたばかりの子を亡くし正気を失ってます。〉と詫びるのだ。梶原景時ならなんとかなるかもしれません。」
美砂は御台所の言葉が終わらぬうちに由比ヶ浜へと走り出した。飛鳶もすぐに後を追って走り出す。
美砂は
「大八郎、大八郎。」
と叫びながら走る。飛鳶は妹の足がこれ程速いのかとのかと驚き、追いついたとき美砂に尋ねた
「名前までつけていたのか。」
美砂は答える。
「兄者、八より大きい数は何だ。」
「そう言う事か。」
「とにかく走るぞ。」
二人は大八郎を追いかける。




