Track8「明日」
「上手いのか?」
「そりゃ勿論。聞く?」
「当たりめぇだろ」
パソコンを開いた彼が、俺のお気に入りのヘッドフォンを手に取る。そのまま端子を繋ぎ、当たり前のように差し出してきた。音が漏れだす様に鳴り響く旋律を感じる。そのまま耳を塞げば、透徹が鼓膜を犯した。
記憶の片隅で風景絵が掘り起こされる。目の前にはエメラルドグリーンの海が広がっていた。深瀬まで見透かせる澄み切った水面。潮の香りを運ぶ風。その風すら生温さなど感じない。頬を撫でる様は、揺り籠に揺られているかのようだった。
「なん、だこれ……」
耳介に直接吹き込まれたギターソロに侵食されたまま床に崩れ落ちる。演奏が終わると同時に四季が話し掛けてきた。
「どう? 激しいのに滑らかで気持ちいいでしょ?」
「ああ」
「探したんだよ。彩斗の歌を邪魔しないギリギリのハイクオリティを」
「ふっ、やっぱすげぇ曲作る奴の耳はすげぇわ」
「次ベースね」
好きな音だった。値の張る楽器に擦り合わせた弦。先程聞いたギターのクオリティが高過ぎたせいだろう。それほど驚きは感じなかったが、いい素質を持っていた。磨けば光る彼には未来を感じる。真っ新なキャンバスに塗りたぐる青い絵の具は若さを顕著に表していた。
「いいねぇ。いい音だ」
「お気に召しました?」
ヘッドフォンを首に掛け、満面の笑みを浮かべる。四季の曲に命が吹き込まれるのが待ち遠しく思えた。
「すげぇ気に入った」
「なら良かった」
「なんで俺の好み知ってんの?」
「好みだった?」
「ああ。俺、楽器は弾けねぇけど音には拘ってんだ。24のベースも俺が直接スカウトしたんだよ。すげぇ才能持った可愛い奴でさ……」
ああ、でももういない。その事実が脳漿を揺らす。先程まで綻んでいた心は極点の氷のように冷めきっていた。
「ファンだからかな」
「だからそれは魔法の言葉じゃねぇんだよ。バーカ」
「まぁ、そう言わないでさ。んで、このメンバーは合格?」
「花丸だよ。文句のつけようもねぇ」
「じゃあ明日にでも連れてきていい!?」
「早くね!?」
思わずツッコミを入れる俺にも構わず、彼がスマホを取り出し操作する。
「善は急げって言うじゃん! 皆、ニートだし都合は付くよ!」
「いや、ニートにも心の準備ってもんが……」
「二人ともOKだって!」
「ニートの返信早すぎだろ!?」
「めっちゃ即レス、素晴らしくない? そして碧井さんの、このスタンプ超癒しじゃない?」
「美人OL素晴らしいな」
鼻先に突き付けられた画面には動く猫がいる。明らかに癒し系の顔立ちと、ゆるゆるとした動きには心を和ませる効果があった。
「元、ね」
「はいはい」
顔を見合わせて喉で笑う。明日が待ち遠しいなんて思ったのはいつぶりだろうか。俺は、それを頭の片隅に追いやり見ないフリをした。今の時を楽しみたい。そう思ってしまったから。