Track80「徒花」
未来が花筏を漕いでいる。清風に吹かれる仇花は、湖面で桜色に生きていた。正午を告げる旋律が鳴り響き、歩行者達の快活な声が青い空を行き交う。傍らを通り抜ける車に、心がざわつくことは無かった。爽やかな呼気は透徹に吸い込まれていく。少し冷たい外気も、パーカーを纏った俺には丁度良く思えた。
今日はデビューライブの日だ。念入りに念入りを重ねたリハーサルに、失敗する未来など見えない。掲げられたポスターの中で妖艶に笑む自身らは別人のように思えた。
嫌いだった夏を乗り越え、痛みを抱えた秋、冬に絆を深めた俺達は、変わらない為に変わり続けていた。透子さんは少し人に慣れ、言葉遣いに気を付けることで見違えるほど魅力的になった。モモは高校に合格したらしい。証拠の写真を嬉々として見せつけてくる様は未だ幼さが抜けていなかった。隼は両親と少しずつ言葉を交わすようになったと言っていたし、和解の日も近いのだろう。あの日、俺達が変わるキッカケをくれたことを今でも感謝していた。幸は結局、耳が聞こえないままだが、彼は彼なりに自身の傷と戦おうとしている。ついこの間、件のお兄ちゃんと話をしたいと語っていた。そんな彼だが、耳が聞こえないことをアレンジでカバーしている。楽器を奏でることが出来ない俺からしたら驚嘆を零すばかり。褒めちぎる俺の横でユヅまで目を丸くしているものだから、どれだけ難しいことをしているのかが分かった。ユヅは皆に本名を明かしたことで呼び方が増えた。皆は違和感しかないようだが、そのうち慣れてくることだろう。
俺は「あの夏」に怯える生活に終止符を打つことが出来た。もう時間が俺を追い越していくことはない。埋められない日々を取り戻すかのように散歩をする俺に、ユヅは呆れながらも付き合ってくれる。思えば彼は俺のリハビリにも根気強く付き合ってくれていた。彼の愛情は文字通り海より深いのだろう。ユヅは俺を「優しい」と言うが、メンバーのことも助けたい、と思うあたり、彼の方がよっぽど優しい人間に思えた。
「あーやーとーせんぱーい!」
「遅ぇよ」
「安全運転で来たので」
「なら許す」
見慣れた車が歩道に横付けする。開いた窓からは見慣れた顏が伺えた。白い歯を見せて笑うユヅに満面の笑みを返す。偉そうな口舌に彼が苦言を呈すことはなかった。
「よく分かったな」
「いや、分からなかったからこの辺グルッとね。面白いものでもあった?」
「んー、眩しいだけだった」
「はは、普段ヒッキーだもんね」
「うるせぇ」
行先を告げない散歩にも関わらず、ユヅはいつも俺を迎えに来る。心配性故の行動なのだろう。過保護にも思えるが、それで彼が良いと思っているのなら、良いと思うことにした。
シートベルトを締める様を見届けた彼が車を発進させる。心地良い緘黙の中、車は少し込み入った道を走っていった。




