Track77「下手くそな笑み」
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「彩斗!?」
「早すぎなんだよ! 安全運転で来いって言っただろ!?」
「痛い! 殴ることないじゃん!」
「うっせぇ!」
「てか早く来ても怒るし、遅く来ても怒るとか理不尽!」
「てめぇの都合で絶望してたことの方が理不尽だよ」
「……先輩……」
「その先輩呼びやめろ。社会人になったら二歳差なんて大したことねぇんだから」
殴られた頭部をさすりながら頬を緩める。二度と、こんな風に軽口を交わせないと思っていた俺の胸懐は幸せで満ちていた。
「うん」
「……俺はお前を四季として扱えばいいのか? それともユヅとして扱えばいいのか?」
「どっちでも、かな。今の俺は四季に近いけど、根は結弦のままだから」
「全然、気付かなかったよ。四季はウゼェし」
「そんなにウザかった? 一応、楓先輩をイメージしてみたんだけど」
「あれ楓かよ!? 全然違ぇよ!?」
「えぇ!?」
「お前の中の楓どうなってんだよ……」
項に置いた手を忙しなく動かしながら彼がフローリングに座る。相変わらず何もない部屋は閑散としていて、味気なかった。彼に倣うよう地べたに腰を下ろす。胡坐を掻くと、彼は立膝に肘を乗せて此方を見ていた。
「な、なに?」
「デカいな」
「え?」
「背、随分と伸びたなってさ。顔立ちも昔は可愛い感じだっただろ。六年って、こんなに人を変えるんだな。いい男になった」
彼からの褒め言葉に目頭が熱くなる。拒絶されたあの日、二度と受け入れて貰えないことを覚悟していた。けれども今は、どうだ。視線を交えて言葉を酌み交わせることが、物凄く嬉しかった。
「せん……彩斗ぉ……!」
「本当に根はユヅなんだな。泣き虫なところってか、犬っぽいとこがそのまんまだ」
「人間そう簡単には変わらないよ……」
からからと笑う彼が鮮やかな表情を携えている。その目の前で、ぼろぼろ涙を流す様は滑稽極まりない筈だ。けれども、彼は瞳に憧憬を宿すだけで嘲る様子もなかった。だからこそ赤子のように泣けるのだ。大の大人が、と思われるかもしれないが、俺の〝時〟も高校生で止まっていたのだ。許して欲しい。
「お前、何で俺が怒ってたか分からなかったんだろ?」
「うん」
「素直か」
「他に言いようある!? 俺の心は割とボロボロだからね!?」
「毎日、来てたよな」
「知ってて放置してたの!?」
「黙って待ってるだけって、お前忠犬かよ。何度もドア開けてやろうかと思ったよ」
「開けてよ!? 俺……てっきり彩斗に嫌われたのかと……」
「なんで俺がユヅを嫌うんだよ」
「だって……彩斗は俺より楓先輩に生きていて欲しかったでしょ? なのに生き残ったのは俺で……」
「そんなこと本気で思ってんのか」
すぐさま頭を振る。深く呼気を吐き出す様に俺は肩を揺らした。本当は分かっている。けれど、自分に自信のない俺は、それを口に出すことが出来ないのだ。
「ユヅの言う通りだよ。確かにベースの弾けないお前の姿を見たら自分を責めたと思う」
何を言おうとしてるのだろう。少し構える俺を彼は真っ直ぐに見つめてきた。
「でもな、それは俺の問題だ。ユヅが気に病むことじゃない」
「でも……」
「それに! 俺がそう思うのは、お前とまだバンドをやってたかったってのもある。けどな……一番は、やっぱりユヅの辛そうな貌を見るのが辛いからだ」
諦念を浮かべる様に目を見開く。彼の深い愛情に胸を痛める俺を、彼は優しい眼差しで包み込んだ。
「楓も多分一緒だったんだよ。アイツはさ、やりたいことがないからってフリーターしてて、俺が歌って暮らしたいって言ったもんだから付き合ってくれてたんだよ。だから俺を一番に……助けた……あの時アイツ、俺を突き飛ばしたんだ。何が起きたか分かんなかったんだけど、見たことないほど焦った楓の表情だけは今でも覚えてる。でも次の瞬間、全てを理解した」
「俺、あの時何が起きたか全然分かって無いんです」
「また敬語に戻ってる」
力無い語調に俺まで眉根を寄せてしまう。無理に笑ってみるも、彼が口角を上げてくれることはなかった。否、笑おうとはしてくれているのだろう。けれども笑えていないのだ。下手くそな笑みとも称せない表情に俺は頭を振った。




