Track73「宝石」
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はじめは、ただの好奇心。そう言えたなら良かったのだが、僕は例に漏れずイジメられ、度胸試しをさせられていた。
当時の一人称は〝僕〟。挙動不審な吃音。伸びっぱなしの黒髪。鳶色の瞳を隠すような黒縁眼鏡。垂れ目で、一六五にも満たない小柄な体躯。ぶかぶかの学ランは馬子にも衣裳とすら言えない。そんな僕は〝怖い〟と有名な先輩がいる軽音部の楽器を無断で弾いてこい、とイジメっ子に言われていた。やらないと殺される。今でこそ馬鹿らしいと思えるが、当時の僕は本気でそう思っていた。
「早くやれよ!」
誰もいない部室で急かしてくる三人の男子生徒。僕は渋々入室するとベースを手に取り、適当に鳴らした。〝適当に〟と言っても、とりあえず音を鳴らしたわけではない。昔から楽器に慣れ親しんでいる僕は、最近嵌っているバンドを真似して音を掻き鳴らした。そうしていると楽しくなってくる。僕は、いつしか〝度胸試し〟など忘れて本気でベースを響かせていた。
「お前、すげぇうめぇじゃん!」
誰の声だ。拍手の音と一緒に、やたらと耳馴染のいい言葉が僕の鼓膜を揺らした。声のした方を振り仰ぐ。そこには、夕陽に透ける金髪を携えた男子生徒がいた。紺色のジャージということは三年生だ。金髪の三年生。特徴は目の色が変わっていること。つまり——
「なぁなぁ! 名前なんて言うんだ!?」
「え? え?」
「名前だよ! ネクタイが緑ってことは一年だろ?」
「目、凄い」
「お前、俺の話聞いてる?」
「あ、あ、すみません! その……えっと……!」
唐突に顔を覗き込まれ、宝石のような眼が迫る。慌てて仰け反ると、バランスを崩し尻餅をついた。
「大丈夫か?」
「あ、す、すみません!」
「お前、俺が怖いんだろー?」
反射的に差し出された手を取り、慌てて振り解く。その様子に白い歯を見せて笑った彼は、揶揄うかのように口を開いた。
「そ、そんな……」
「いいって、いいって、初対面の奴にはよく怖がられるんだ。突然、名前聞いて悪かったな。俺は須黒彩斗、三年、ボーカルだ。お前は入部希望者か?」
「ち、違います!」
逃げよう。今すぐ逃げて忘れよう。そう思い扉へ向かい走り出した僕をぬりかべが遮る。眼鏡のブリッジが顔面に食い込み激痛が走った。
「なぁに、こいつ?」
間延びした口調が本当にぬりかべのようだ。僕は鼻筋を押さえながらも、なんとか避けて逃げようとした。
「楓! ソイツを捕まえろ!」
「今逃げるとこじゃん」
「だから捕まえんだろ! アホか!」
「何々ー? アヤちゃん先輩鬼ごっこ!?」
「そうだ! 鬼ごっこだ! いいか、悠、お前が鬼だ。ソイツがターゲットだ! 捕まえろ!」
「イエッサー!」
「それ鬼ごっこのルールじゃなくない? リンチじゃん」
なんて声が降ってくると同時に、両脇の下に両手を突っ込まれて捕獲される。〝悠〟と呼ばれた彼は僕を捕獲すると、嬉々として金髪の前に差し出した。
「よーし、よくやったぞ。あとでアイス奢ってやる!」
「やった! ホームランバー二本!」
「相変わらず高いのか安いのか分からない要求をしてくるよな。てかそこ! 楓! 煙草吸わない!」
「煙草じゃない。飴ちゃんだ」
「なんで飴に〝ちゃん〟付けしてんだよ」
「因みにコレは棒付きのペロペロキャンディーだから飴ちゃんだが、コッチの地球型のはロリポップ君だ」
「オスメスどこで判断してんだよ」
「オスメス……! アハハハハ!」
『オスメスどこで判断してんだよ』とのパワーワードに思わず噴出する。コントのような会話が繰り出されたかと思えば、予想外の発想に僕の腹筋が攻撃された。爆笑する僕を三人が見つめてくる。慌てて笑いを諫めようとするも、肩の震えが止まることはなかった。
「面白かったか?」
「あ、は、はい……!」
「なら良かった!」
屈託なく笑う先輩に思わず笑みが零れる。その瞬間、僕は確かに彼が噂の〝怖い先輩〟であることを忘れていた。




