Track64「翡翠」
「もう秋なのに……」
茹だるような暑さに嘲笑を浮かべても、俺の心は、ちっとも涼しくならない。それでも宝石のような早朝は静けさを纏い神聖だった。朝焼けの空は翡翠のようで美しい。そもそも翡翠という宝石は深緑の印象が強いだけで、十五色もの色合いがあるそうだ。それを思えば様々な貌を持つ空を比喩するのに相応しい宝石のように思えた。
「なんでココにいるんですか?」
「え?」
自宅の玄関を開けた先にアヤさんが居れば驚くというものだ。思わず放った口舌に、彼は「何か言ったか?」とでも言いたげな表情を浮かべ聞き返してきた。
「……まだガンガン音鳴らさなきゃ外に出られないんですね」
「今、止めたよ。朝はいいな。車が通らなくて」
今日も今日とて真っ黒なパーカーに身を包んだ彼が、フードの中でヘッドフォンをしている。ポケットに突っ込んだ両手と、暑苦しそうな風体にそぐわない金糸だけが、やたら涼し気に揺れていた。
「四季さんとリハビリしてるんでしょ。調子は、どうなんすか?」
「んー、上々じゃない?」
「の割には、見た目全然変わってませんけど」
「保険だよ。まだ慣れないんだ。車が真横を通るって感覚にな」
ライフラインに侵されていたら、おちおち外出も出来ないのだろう。ワゴン車の中でヘッドフォンをしている様を思い浮かべれば〝上々〟と言うに相応しくないように思えた。
「で、どうしているんすか?」
「四季に今日の散歩コースは隼に付いていけって言われて」
「散歩コース?」
「最近はリハビリの一環で外を歩くようになったんだよ。中継ポイントで四季が待ってて、体調が悪くならなきゃゴールまでって」
「今、四時前っすよ!? おじいちゃんっすか!?」
「この時間が一番車通りが少ねぇんだよ!」
「シーッ!? まだお袋達寝てんだから静かに!」
「わ、わりぃ」
ボイストレーニングで鍛えられた喉は中々に凶器だ。慌てて唇の前に人差し指を立てると、彼が頷いていた。
「墓参りに行くんだろ?」
「なんで知って……」
「四季に聞いた。それでコレが供えもんの花、隼は花屋になんて行かないだろうからって」
「四季さんは今日どこにいるんすか?」
「墓で待ってるって。それで俺にも挨拶してこいって」
「挨拶って誰に……」
「お前の兄貴のサヤトさんに」
「なんで兄貴の名前を……」
「歩きながら話そうぜ。それと似合ってんな。お前は前髪上げた方がいいと思うぜ」
子供のように無邪気に笑った彼が俺の頭を指す。思わず額を隠せば、更にからからと笑われた。墓地までは、そうかからない。最後の上り坂だけがやたら辛いが、それ以外は道なりに行けばいいだけだ。それでも普段、外を歩かない俺には億劫になるような運動量だった。




