Track63「歌姫」
「いやー、スケジュール帳忘れちゃって! あ、それそれ! もしかして持ってきてくれるところだった?」
「はい」
「ありがとー! さ、二人共行こー」
「四季さん」
「んー?」
「さっき間違って手帳落としちゃったんですよね。すんません」
「マジで!? いいよ、いいよ。わざとじゃないだろうし」
「それで見ちゃったんですよね。その写真に写ってるのアヤさんじゃないですか?」
沈黙が場を支配する。先程、何か言うなら正体が分かってからだ、と言われた為、ただただ困惑した。生唾を呑み込む音が、やけに大きく響く。ピアノ線がピンッと張ったような空気感の中、僕は窒息しそうだった。
「見ちゃったの!? 頼む! 彩斗には内緒にしてて!」
「どうして?」
「実はコレ……裏ルートで手に入れたものなんだよ! そんなに彩斗が好きだったってバレたら引かれちゃうじゃん!? 今度、何か奢るから! お願い!」
うるさいくらいの声量で、二階堂さんが両手を勢いよく合わせる。僕には、それがパフォーマンスに思えてならなかった。
「分かりました。じゃあ焼肉で」
「了解! じゃあ幸君にも奢るから内緒ね?」
ね? と念押ししてくる彼に首肯する。脳内では二階堂さんを不審に思う僕がいた。
「あ、そうだ。幸君」
「はい」
「彩斗の提案なんだけど『Rejection』を今度のゲリラ限定でアコースティックバージョンでやろうと思ってるんだよね」
「アコースティックバージョン?」
「キーボードじゃなくてピアノを持ってきて、透子さんにはヴァイオリンを弾いて貰ってね。どうかな?」
彩斗さんが言っていた、やってみたいこととはこれか。と溜飲を下げる。「いいですね」と同意すれば二階堂さんが「忙しくなるぞー!」と張り切っていた。
明るい彼を信じてみたい。けれども疑心暗鬼を生ず心が、それを許してはくれなかった。
僕は幾度、人を疑えばいいのだろう。僕は幾度、人を愛すればいいのだろう。愛とは重く、ピアノ線のようだ。弾けた瞬間、人を刺し殺す凶器に、いつか僕が絞殺されてしまいそうだ、と時折思う。だから大方のものを拒絶して生きていきたい。好きな物が増えれば苦しくなってしまうから。
欲望を音に乗せて、僕はいつか誰かの琴線を震わせてみたい。願わくば、その〝誰か〟が歌姫であれ、と。




