Track59「パンドラの箱」
「あーあーあー!? なんで声掛けたのさ!? あーいうのは黙って近付いて捕獲するのがセオリーでしょ!?」
「いや、呼んだら来るかなって」
「彩斗の、すぐ人を信じるところ良くない! こういう時は良くない! 誰も彼も素直じゃないんだよ!?」
「知ってるよ。でも真っ直ぐぶつかれば応えてくれるかもしんないだろ?」
「応えてくれなかったから現在進行形で拗れてんじゃん!?」
「こ、コッチに来たら死ぬから! 絶対近づいて来ないでよね!?」
「ほら! モモちゃん自殺するよ!?」
「どうするか……」
「悠長に腕組んで考えてる場合じゃないからね!?」
なんなんだ、この茶番は。あれくらいのことで自殺を企てるなど馬鹿げてる。彩斗さんは本当に止める気があるのだろうか。それともモモさんなら死なない、とでも? 実際、フェンスを登る余力も残っていないだろうモモさんは、頂点に到達する前に力尽きてるように見えた。
馬鹿らしい。ここまで来ると、うじうじ悩んでいた自身が馬鹿みたいじゃないか。そんなことを思ってふと見上げた先には、蒼褪めた彩斗さんがいた。
「どうしたんですか?」
「あ? ちょっとな」
そういえばゲリラライブの時も調子悪そうにしていたな、なんてことを思い出す。四季さんは、ひたすらモモさんに呼びかけているし、一方の彼女は金切声で応戦していた。
「彩斗さん、もしかして……」
「……歌ってる時は大丈夫なんだ。ってか、大丈夫だって気付いた、かな。でも世界を遮る音楽もなしに俺は未だに……まぁ、要は車の音とかがダメなんだ。フェンスの下は当たり前だけど車が走ってる。だいぶ練習して大丈夫になってきたと思ったんだけど、丸腰だとまだダメみたいだ」
それを分かっているから四季さんは近寄らないのか。彩斗さんを差し置いて、モモさんに近付いたところで拒絶を示されることなど分かりきっている。だからと言ってフェンスによじ登る少女を捨て置くことなど出来ない。透子さんは既に動く余力もないし、元を正せばモモさんを焚きつけた僕が悪いのだ。ならば——
「僕、モモさんを止めてきます。元々これは僕のせいですから」
二人は何も言わなかった。ただ黙って頷き、彩斗さんは苦しそうな表情を浮かべながらも笑ってくれる。僕は、それにぎこちない笑みを象り、フェンスに近付いた。
距離にすれば二〇メートルもないだろう。それでも、やたら長く感じるのは、僕達の心の距離を表しているかのようだ。自殺をしたいと思う人の気持ちなど分からない。それでも僕は、彩斗さんが寄り添ってくれた時のように、なにかをしたかった。
刹那的な救いでいい。僕は彼のように、人の人生を背負って生きれるような人間じゃない。それでも僕は、まだこのメンバーと居たかった。もう少し生きてみたい、そう思ったのだ。
パンドラの箱に詰まっていたもの。溢れ出しても残るもの。彩斗さんが抉じ開けた僕の心には確かに〝希望〟が残っていた。それを認めたくなかったのだ。だって僕が前に進んでしまったら、お兄ちゃんとの日々を憶えている人間がいなくなってしまうような気がしたから。だから彩斗さんに、このままの僕を受け入れて欲しかった。甘ったれで、弱虫で、臆病な僕を、何も出来ない僕に価値があると言って欲しかったのだ。
何でも出来る僕をお兄ちゃんに、何も出来ない僕を彩斗さんに。そしたら僕は永遠に誰かの心に在れるんじゃないか、と思った。そして、その為には他人が邪魔だと思ったのだ。
お兄ちゃんとの決別は他人との触れ合いがあったせいだ、と。二人の世界だったなら、きっと捨てられなかった筈だ、と。人の所為にしたかった。それが自分の心を守る為に必要な〝よりどころ〟だったのだ。
人は独りでは生きられない。変わりたくないのなら、変わっていかなければならない。僕がお兄ちゃんに嫌われてしまったのは、子供のまま変わらなかったからだ。
透子さんは自身の傷を乗り越えた。モモさんは進んだ。彩斗さんも進もうとしている。彼らはノアブルである為に変わったのだ。ならば僕も踏み出す時なのだろう。ノアブルである為に、大嫌いな人間との付き合い方も学んでいかなければいけないのだ。
彩斗さんがフェンスに近付けたなら。もしも、誰かを救うのが彩斗さんの役目だったなら、僕は絶対に変わろうだなんて思わなかったのだろう。やはり僕の幸せは人と在るのだ。皆の泣き顔が見たくない、それが答えなのだろう。
「モモさん、とりあえず降りてきません?」
「なんで……なんでアンタが来てんのよ……」
ひらひらとしたフリルが風で靡く。悔しそうに唇を噛み締める様に、彼女もまた子供なのだと思わされた。




