Track54「特別で在りたい」
「怒鳴らないでくださいよ。それと離してください」
「普通に話しても、どうせアンタには聞こえてないんでしょ!?」
「聞こえますよ。僕が聞こえないのは楽器の音だけです」
「聞こえてないわ! アンタには誰の声も届いてないのよ!」
「離せって言ってるんですよ!」
彼女の手を掴み、握られた拳をこじ開ける。怒りのままに手を離した彼女のせいで、僕は若干たたらを踏んだ。掴まれた襟首を直しながら彼女を一瞥すると、潤んだ瞳で唇を噛んでいた。
「馬鹿! 分からずや! アンタなんか……モガッ……!? んんー!?」
「モモ、もういいから。それ以上は自分を傷付ける言葉だ」
いつの間に立ち上がっていたのだろう。モモさんの口を塞ぐ彩斗さんは、僕の心を解く時のように優しい声音で彼女を諭していた。
「でも……!」
「モモ」
「……はい」
「幸君、私の言葉は綺麗事に聞こえるのよね」
「聞こえるもなにも綺麗事じゃないですか。耳障りのいい言葉を吐いて……そういう人は必ず僕を捨てるんです。僕にだけ言葉を紡いでるわけじゃないから。代わりが沢山いるから。僕が少し面倒臭いことを言ったら、すぐに捨てるんです。僕は僕だけ見て欲しい。優しい言葉は僕にだけ向けて欲しい。僕だけのものであって欲しい。だから僕は、あなたみたいな人嫌いです。僕の為じゃない言葉なんか要りません!」
「じゃあ俺も幸の嫌いな人間だな」
「彩斗さん……」
「俺は皆が好きだし、大切だから、誰かを一番には出来ない。誰かが悩んでいれば、その誰かのもとに行くし、優しい言葉だっていくらでも使う。でも幸は俺のことが嫌いじゃないだろ?」
その通りだ。この人が誰かのものにならないことなど分かりきっている。だからこそ僕は彩斗さんに纏わりつくモモさんが嫌いだし、仲良さそうに会話をしている透子さんが嫌いだった。けれど、それの何が悪い。特別で在りたいと願って何が悪い。この二人だって、そう思ってる筈だ。なのに僕が、そう思うことを非難されるのはおかしいじゃないか。
「此処に彩斗さんを嫌いな人なんていないですよ。二階堂さんは彩斗さんのファンだし、透子さんもモモさんも彩斗さんが好きじゃないですか。隼さんだって彩斗さんを〝アヤさん〟って呼んでるし、僕だって……僕に優しくしてくれるのは彩斗さんだけなんだ……だから一番になりたい。この二人だって一番になりたいって思ってるじゃないですか! どうして僕じゃダメなんですか? ライブが終わった後とか一番はじめにハイタッチしたいだけなのに……僕とモモさんが悩んでたら、迷わず僕のもとに来て欲しいって思ってるだけですよ……それの何がいけないんですか!?」
「ダメとは言ってない。ただ、それは透子さんの気持ちを踏み躙っていい理由じゃないって話をしてるんだ」
「幸君、黙っていたことは謝るわ。きっと誰にも知られたくないことだったのよね。私にも知られたくないことがあるから分かるの。でもね、ここにいるってことは〝ピアノを弾きたい〟って意思表示なのよね。だから私達は幸君が〝なりたい幸君〟になる為の手伝いをしたいと思ったの。
この小さな手で、あんなに凄い音を奏でるのね。天才って言われてる意味が分かるような気がするわ。私も幸君のピアノが大好きだったもの。ヴァイオリニストの子とのハーモニーが……」
「どうしてお兄ちゃんを褒めないんですか?」
「お兄ちゃん?」
「アレは僕の為の音じゃない。お兄ちゃんの為のものだ。僕は僕が褒められる為にピアノを弾いたことは一度もないんですよ。なのに皆そうやってお兄ちゃんを褒めない。だから僕はお兄ちゃんに……!」
そこまで吐き出して慌てて口を閉ざす。定まらない焦点で見渡した世界は、ぼやけて、目を凝らしても不安を煽ってくるだけだった。
「褒められることの何がいけないのよ!」
「褒められることが嬉しいとは限らない」
ずっと黙っていた隼さんがモモさんの言葉に否定を表す。皆で、そちらに視線を向ければ彼はココアを傾けていた。




