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ねぇ、戻りたい【電撃大賞4次落選作】  作者: 衍香 壮
Fourth Single「Rejection」
51/83

Track50「旋律」

 *


 今日も今日とて何も聞こえない一日だった。否、蝉の〝鳴き声〟や、登下校する小学生らの〝声〟は聞こえているのだ。彼らの会話は専ら夏休みのこと。耳を欹てていれば、明日からの夏休みに胸躍らせているのが分かった。ということは、僕の耳はまだ機能を為していないらしい。中学の夏休みは数日前に始まっているのだろう。それなのに、ヴァイオリンの音色が、僕の鼓膜を震わせることはなかった。


 午後三時過ぎの空は、まだ青く澄み渡っている。自室の窓越しに隣の家の窓を仰ぐと、涼風で靡いたレースの先に〝彼〟がいた。


「変わらないんだね」


 ささめきが旋律に乗っているのかどうかすら分からない。それでも影はヴァイオリンを奏でてていた。弦を弾く弓が踊る様は艶やかで、貴婦人とダンスでもしているかのようだ。それが彼の〝弾き方〟である。僕と踊るワルツは、いつも調和が取れていた筈だ。けれども——。


「僕はお兄ちゃんに相応しくなかった」


 才能とはなんだろう。僕を囃し立てた大人達が口にした言葉の意味を問い詰めてやりたい。けれども僕は、気弱で、臆病で、小鹿のように何も出来ないのだ。きっと、何も出来ないから彼に嫌われてしまったのだろう。それでも僕は怪我をした動物のように、人の気を引くことしか出来なかった。


 始まりなど幼過ぎて覚えていない。それでも僕はお兄ちゃんが大好きで、お兄ちゃんも僕が大好きだった。僕達は、ご飯を食べるのも、お昼寝も、幼稚園に行く時だって離れることはない。家が隣同士だったこともあり、いつも一緒だった。僕はそれで良かったし、お互い一人っ子だったこともあり本当の兄弟のようだった。


 そんなある日、彼にピアノを習わないか、と訊かれ、僕は二つ返事で頷いた。そのうち彼はヴァイオリンに転向してしまうのだが、それが悲劇の始まりだったように思う。言われるがままにコンクールで伴奏を務める僕を、大人達は過大評価した。それはお兄ちゃん(・・・・・)のヴァイオリンのコンクールなのに、称賛されたのは僕のピアノだったのだ。


 はじめは誰も気付いていなかった。僕は勿論、彼だって気付いておらず、周りの人間も向けられた拍手を疑うことない。けれども、人の口を介して回る〝賛辞〟に、彼が気付かないわけがなかった。


 僕は天才ではない。ただ他の人間より〝誰かの為〟に、と頑張れる人間だっただけだ。僕の原動力はいつも〝お兄ちゃん〟で、彼の隣に相応しく在れるよう練習を頑張っていた。それが間違いだったのだろう。僕が年相応の実力を携えていたなら、力関係は勿論、彼に向けられる筈だった言葉を奪うこともなかったのだ。僕が奪ったから。賛辞を、眼差しを、将来を、好き、という気持ちを掠め奪ったりしなければ、嫌われることも、捨てられることもなかったのだ。


 それに気付いた時には、もう手遅れだった。何も知らない僕に彼はこう言った。




 ——もう近付かないで。幸のことも、幸のピアノも大嫌いだ! 二度と俺に関わるな!




 大好きだった人に言われる「大嫌い」が、どれほど突き刺さるものか、普通の人間は知らないのだろう。過ごす時間が濃密だったからこそ、僕は割り切ることが出来なかった。仲直り出来る喧嘩だと信じて疑わなかったのだ。けれど、そうじゃなかった。幾度となく突き放された小学五年生の夏。僕はあれから嫌いなものが増えた。夏、ピアノ、蝉、同級生——何より自分のことが大嫌いだった。けれども、お兄ちゃんのヴァイオリンだけは嫌いになれず、彼が練習する様をカーテン越しに眺め続けた。はじめは〝何故〟という思いで一杯だった脳漿も、冷静になれば周囲の情報に鋭敏になる。その際気付いたのは〝楽器の音が聞えない〟という事実だった。


 焦るよりも安堵した。ピアノを弾かなくていい理由が出来た、と。けれども、それを人に話すことは出来なかった。期待する両親、褒めてくる教師、尊敬の念を向ける同級生、僕の周りは僕を持ち上げる人ばかり。プライドの高い僕が、欠点とも言えるそれを口に出来るわけがない。ピアノを辞める理由など誰にも告げず「飽きたから」という体を貫いた。

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