Track30「空言」
「大丈夫か?」
車の扉が外界と私達を遮る。隣に腰掛けた彼の手が私の背を摩っていた。優しい掌が熱を伝えてくる、それが心を抉ってくるものだから胸懐が痛みで満ちた。
答えられない。答えることは出来なかった。唇を噛み、醜態を晒してしまったことを恥じる。今日は大切な日だと言うのに、リハーサルすら、まともに出来ない自身は無能そのものだった。
「透子さん?」
こういう時は何を言えばいいのだろう。きっと「大丈夫」と言って笑ってみせるのが正しいのだ。けれど言葉を発しようとした喉が引き攣り声にならない。漏れるのは嗚咽で「いい大人が何をやっているんだろう」と銷魂した。
「透子さん大丈夫!?」
四季君が運転席に乗り込んでくる。カーテンの隙間から顔を覗かせる様は焦燥を表していた。
「ちょっと彩斗、なに泣かしてんの?」
「黙っとけクソ野郎」
「女性を泣かせる奴のがクソ野郎でしょ」
「黙れ」
「あ、あの! 違います! 彩斗君は……」
「冗談ですよ。透子さん、俺が訊きたいのは一つだけです」
「え?」
「あなた弾けますか?」
嗚咽を無理矢理飲み込んだ咽喉が苦痛を訴える。泣いてはいけないと分かっているのに、視界が涙で滲んでいった。出来ると言えなければ価値がない。それなのに、私の唇は空言一つ象ってはくれなかった。
「今からメンバーを変えることは出来ません。けれど、あなたが弾けないというのなら音源を用意しなくちゃいけないんです。出来ないにしても〝弾いてるフリ〟はして貰わないと困ります。その時〝人が怖い〟ってのは困るんですよ」
何も言い返せない。これは私の仕事だ。出来るか出来ないかではなく、やらなければいけない。けれども、私に出来るだろうか。夢の中に逃げたい衝動を抑えながら思惟する。考えても、考えても答えは出なかった。
「四季?」
「なに?」
「二人きりにしてくれ」
「変なことでもする気?」
「アホか」
「はいはい。でも三〇分だけだよ。それ以上は待てない」
「分かった」
扉の開閉音と共に車体が揺れる。それに安堵の息を漏らそうとして、グッと耐えた。
「透子さん」
返事一つ出来なかった。何を言われるのだろう。そう思えば、名を呼ばれることすら恐怖でならない
「大丈夫ですか?」
「え……」
「俺、透子さんを責めるつもりはありませんよ」
「どう、して……私は皆に迷惑を……」
「実のところ俺の方がヤバかったんで」
その言葉が意味するものは何なのだろう。瞬きを繰り返しながら続きを待っていると、彼が口を開いた。
「コレとコレがないと落ち着かないって言ったじゃないですか」
私が羽織っているパーカーと、自らの首に掛けたヘッドフォンを指差す。それを目で追ってから視線を戻すと、彩斗君は神妙な様相をしていた。




