Track27「陽炎」
「はぁ……心臓に悪いわ……」
私は両親の目が苦手だった。人と目を見て会話するのが苦手になったのは、父母の影響であることを確信している。彼らは私を大切に育ててくれたが、それと同じくらい過度な期待を向けていた。目は口程に物を言う。なんて、よく出来た諺だ。私は両親の撓る目元の奥にある本音が怖かった。
高齢出産の上、授かった待望の女児。喜ばないわけがない。私は彼らが望むようピアノとバイオリンの稽古に勤しみ、小中高と優秀な成績を修め、難関大学に進学した。そして第一志望の会社に合格、全て彼らが描いた理想通りに淑女を演じてきた筈だ。
けれども社会とは、それが通じるところではなかった。陰口、嫌がらせ、濡れ衣、パワハラ。どれをとっても私の心を折るには十分だった。けれども、四年間は耐え抜いたのだ。それが、ある日ぷつりと切れた。頑張る理由を失ってしまったのだ。
起きてこない私を心配した母が部屋をノックしたけれども無視をした。父も私に言葉を掛けてくれたが無視をした。ただただ寝て過ごす私を、二人は一言も責めなかった。けれども三日目の朝、流石に食事を摂らなければ、と思い立ち下へ降りれば、喜ぶでも怒るでもない二人がいつもの笑みで食事を用意してくれた。
涙が浮かぶ意味も分からず両親の顔を仰ぐ。そこで私は絶望した。期待を忘れた眼が私を責める。言葉よりも優しさを象った双眸が罪悪感を煽った。「病院に行きましょう」との母の声。連れられるまま精神科を受診し、私は「鬱病」の診断を下されることとなる。そして〝碧井透子〟は社会のはみ出し者というレッテルを貼られた。「無理しなくてもいいのよ」との声、「働きたくなったら働けばいいんだ」との声。「焦らなくてもいい」と繰り返す彼らの言葉が私を煽り続けた。
高齢の両親が膝の痛みを告げる。次いで、腰、節々、そしてそのうち父が歩けなくなった。「大丈夫だから、透子は心配するな」そんな風に告げる父が私の心を抉る。だからこそ介護は買って出た。謝罪を告げる父に私が謝罪する。「出来損ないの娘でごめんなさい」とは言えなかったけれど。
そうして父は数か月後、老人ホームの空きが出たから、と家から姿を消した。私は、やることがなくなり、かと言って社会復帰も出来ず、また寝て過ごすことになる。日に日にやせ細っていく母に謝ることは出来なかった。
死にたい。楽になりたい。こんな私、価値もない。そんなことを繰り返しているうちに、私は二十七歳になっていた。抜け出すことの出来ない虚の日々。縋りつけるのは叔父がくれたボロボロのアコギのみ。それを片手にネットサーフィンをしていれば、蜘蛛の糸を見つけた。私がそれにしがみついたのは言わずもがな。最後の希望は、やたら眩く煌いているような気がした。
「行かなくちゃ」
外は炎天下。陽炎が揺らめき、私の行く先を阻んでいるかのようだ。
「朝一で出て、どっかで時間潰せば良かった」
囁きを汗に溶かし、熱を上げていく肢体を日傘で遮る。睨んだ先にある太陽は眩く、私を嗤っているかのようだった。




