Track1「たとえばこの歌が」
穢れた声が鳴り響く。反響する歌声は、伴奏を纏うことなく透徹に溶けていった。時折、掠れる歌声で己の咽喉を苛め抜く。枯れてしまえと願いながら、枯れることを赦せなかった。
吹き抜けの天井。天窓から降り注ぐ陽光。開けた窓から戦ぐ風。生温い風は初夏の訪れを告げ、俺のトラウマを呼び覚ました。
落涙するのは幾度めだろう。零れる真珠が涙痕を辿り、フローリングに零れ落ちる。足元で主張する小さな水溜りを眺め、俺は唇を噛み締めた。
「ああ……あああああ! うわあああああ!」
意味などない。防音室であることに甘え、俺は喉を掻き毟った。赤く伸びる引っ掻き傷。瘡蓋を剥がしては滲む血痕。首筋が熱く痛めば、俺への罰は、やがて終焉を迎えた。
肩で息をしながら、荒い呼気を吐き出していく。口端から垂れる唾液を伸び切った袖で拭ってから俺はパソコンを開いた。電源ボタンを粗暴に叩いては、鈍い動作のパソコンに苛立ちをぶつける。やっと起動した画面に並ぶファイルをクリックし、お気に入りの曲をかけた。
大好きだったのは甘いラブソング。高低差の激しい旋律に耽溺し歌い上げるのが、この上なく快感だった。けれど今は違う。穢れきった心のせいだろうか。俺は今、マイナーコードのバンドナンバーを、えらく気に入っていた。
「〝たとえば……この歌が誰かに届くなら〟」
響き渡る旋律に合わせ、イントロを奏でる。幾度となく口遊んだ歌詞を忘れるわけがなかった。
「〝掻きむしった喉で、枯れかけた声で〟」
心がザラついていく。俺は、それに添うよう声を張り上げた。
「〝歌え……歌え! 歌え! 今——〟」
間奏が鼓膜を揺らす。私物の少ない自室は、音が、よく響いていた。
「おれの、うた……」
〝ours〟この歌の作曲者は俺のファンだと言い、そう名乗った。正体不明の彼に見当などつかない。それでも嫌々開いたファイルには、俺が涙してしまうほど素晴らしい楽曲が添付されていた。
自室に閉じこもって六年。俺は所謂〝ニート〟というやつだ。親が運んでくる食事を咀嚼し、息をするだけの毎日は刺激がない。大好きだった音楽も、今では、がむしゃらに歌うだけのものへ成り下がっていた。
「〝泣いていいから……泣いてもいいから……最後には……〟」
——笑っていて
そのワンフレーズが歌えない。
「〝最後には〟」
「最後には……」
「最後には……!」
「最後には!!」
「うわあああああああ!」
やはり今日も歌えなかった。悔恨に只管喘ぎ、両の掌で頭髪を鷲掴む。暫くそうしていれば、扉の向こうからノックの音と共に「窓を閉めろ」との命が下った。声の主は母親である。虚ろに目線を上げると、生温い風がカーテンを揺らしていた。
「ごめんなさい……」
頭から手を離し、見慣れた両手を眺める。そのまま眼を覆い暗闇に伏すも、血塗られた掌が白皙に変わることなど無かった。