Track9「面影」
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「おはよー」
「おはようございます」
「はよーっす」
だからお前は何度ノックしろって言えば——その言葉を呑み込み、目を見開く。そこには四季の外に、碧井透子と青郷隼がいた。
確かに翌日の約束だった気がする。正直言えば楽しみにもしていた。けれども、初対面の相手を本当に連れてくるだろうか。いや、ない。有り得ない。約束を違えることは無かったとしても、顔合わせは違う形だと思うのが普通だろう。あれは冗談だと考えるのが普通の筈だ。思わず呆け面を晒す俺は悪くない。暫し硬直し、瞬きを繰り返していれば、三人が此方へ近付いてきた。
「なーに呆けてんの。昨日、話したっしょ」
「……そうだけど。本当に連れてくると思わねぇだろ」
「俺はいつでも本気だよ? と、言うことで自己紹介を、どうぞ」
「わ、私、碧井透子と申します。不束者ですが、よろしくお願い致します!」
吃音と共に告げられたのは、イメージ通りの澄んだ声。清楚な出で立ちの彼女が、激しくも清澄な音色を奏でるのかと思えば、意外な気もするし、イメージ通りのようにも思えた。
礼儀正しく頭を下げる様には好感を覚えざるを得ない。自信が無さそうな話し方に誰かの面影を覚えるも、俺はそれに知らないフリを決め込んだ。
「はじめまして」
「は、はじめまして」
「須黒彩斗です。よろしくお願いします」
「此方こそよろしくお願い致します! あ、あの、ご一緒出来て光栄です」
握手しようと右手を差し出せば、慌てた彼女がそれを握る。座っている俺に倣うかのように膝を付く様は美しく、薫る芳香までが佳麗だった。
「俺の方が年下なんですから、もっと気軽に話してください。此方こそ、ご一緒出来て光栄です」
「は、はい。勿体無いお言葉です。ありがとうございます!」
安堵の息を漏らした彼女が花の顔を綻ばせる。それにつられて微笑むと、和やかな雰囲気が流れた。
「んで、コッチがベース君」
「青郷隼です。よろしくです……」
「ああ、よろしく」
淡白な挨拶に、呼気を漏らしつつ笑いを呑み込む。愛想がないのか、わざとなのか。想定通りの反応を示す彼に、俺は些かおかしくなった。とは言え、これは口にすべきではないだろう。男同士というのは、こんなものだ。礼儀なら、あとで教えてやればいい。
「じゃあ挨拶も済んだところで、お願いします!」
「は?」
「ご、ごめんなさい!」
「えぇ!?」
碧井さんの謝罪と共に目の前が真っ暗になる。次いで耳を塞がれ、身体が浮いた。
「うわぁぁぁぁ!?」
「暴れないで!」
「はぁ!? なんなんだよお前!?」
耳を覆うのは恐らくヘッドフォンだ。少し遠い四季の声が、僅かな焦燥を孕んでいた。
「離せ!?」
「やっぱりダメだ。碧井さん、手足をガムテで縛ってください」
「ガムテ……とか!? ふざけんなよお前!?」
「は、はい!」
「従ってんじゃねぇよ!?」
「ひぃ!? ご、ごめんなさい!」
拘束感を覚える手足と足首に焦りが募る。そのうち口にもガムテープを貼られ、くぐもった声しか出すことが出来なくなった。
「次、音楽!」
「は、はい!」
殺す。殺意を露わに緘黙する。刹那、大音量で流れ出したのは〝ラクリマ〟だった。
そのうち意識が音の海に呑まれて行く。何をされるのかを何となく理解した俺は、緊張の糸を張り詰めながら処刑の時を待った。
けれども何も起こらない。車に乗せられるのだろうと息苦しさを覚悟するも、呼気の海に呑みこまれることはなかった。
身体が安定し、座席に座らせられたことを理解するも、いつものように発作が起こる気配はない。不思議に思うも、俺を支配するのは紛れもなく四季が紡いだ音だった。