『白』を使う白鬼娘
遅くなりました……。
この美しき竜を、斬る。
言葉にすれば簡単だけれど、実現するのは尋常でないほどに難しい。
あの鱗は生半可な物理攻撃を受け付けず、低位の魔法は一点の曇りすら作れずに弾かれるだろう。ディアナちゃん――つまり魔王レベルの能力があってようやく傷を負わせられるのだから、Bランクに上がりたてで魔王種ですらない私には、罅を入れられるかどうかすら分からない。
「中位の鬼如きに、我の鱗を貫けるとは思えんな。『紅血の魔王』よ、我を侮り過ぎだ」
「さて、どうじゃろうな。貴様が『黄』の力の一端でも受け継いでおれば、話はまた違ったのじゃが」
ふつふつと怒りを滾らせる黄金の竜に対し、ディアナちゃんは嘲りの表情を崩さない。その言葉は私の力を信頼しているように聞こえるけれど……実際、ディアナちゃんほどの強者に認められるような力が、私にあるのかな?
……。
…………。
心当たりは……ないわけじゃない。
ルシフェードから受け継いだ、『白』の力。それを使いこなせれば、例えAランクの竜だろうと相手取ることはできる。
けれどもそれは、十全に扱えることが前提条件なわけで。
「……良いだろう。そこまで我を愚弄するというのなら、高貴なる竜の力で以てその絶対性を証明するまで」
ギロリと睨み付けてくる黄金の竜。その金の瞳に射竦められただけで、まるで心の臓を握られたかのような絶望が襲う。
恐い。今すぐこの場から逃げ出したい。
でも――。
いつまでも恐怖に屈しているだけじゃ、前に進めないから。
「小娘、一撃で終わらせてやる。せいぜい己が非力を恨むんだな――ッ!」
竜が吠えた。咆哮。それは彼、或いは彼女にとっての魔法の詠唱なのか、それとも単に気合いを入れているだけなのか――鼓膜を突き破らんばかりの大音量が壁や床を激震すると同時、黄金の閃光が私を飲み込む。
予想は簡単だ。
雷撃が来る。
視界が潰れてしまったけれど、もう二度目だ。完全に慣れてはいなくとも、いくらかはマシになっている。
というか、そもそも視界に頼る必要はないのだけれど。
目標は私の前にいて、周囲の被害を気にする必要はない。ディアナちゃんなら私がどんな攻撃を放ってもものともしないだろうし、壁や床が壊れても、消し飛ばしてしまえば生き埋めになる心配はない。
強引な考えかもしれないけれど……でも、これに賭けるしかないんだ。
思考は一瞬で。決断はコンマ一秒よりも短い刹那に。
「――――」
体の中にある泉から、魔力という水を溢れさせる。
泉ならばすぐに底を突いてしまうだろう。けれど、『白』を持つ私なら、湧き出す力はある意味で海に等しい。――彼の知識にある通りに、完全に私が使いこなせていたらの話だけれど……しかし不完全であろうと、その莫大な力は目の前の雷撃を吹き飛ばして余りある。
「っ」
痛みが走る。雷撃によるものではない、内側でスパークするような熱。私の魔力が、私自身に牙を剥いたのだ。
……落ち着け。けれど素早く、そして正確に操作しろ。
矛盾を孕んでいても、こなせなければ無惨に死を迎えるだけだ。
死ぬのは……嫌だな。
もっといろんな世界を見てみたいし、ディアナちゃんとも沢山お話ししたい。闘争を好む鬼族として、強敵と鎬を削るような戦いもしたい。
それに――こんなところで死んでしまえば、ルシフェードが私にくれた何もかもを、無駄にしてしまうから。
だから――。
「――私の『白』」
魔力を集めた左手を前に。
しかし魔法陣は浮かばない。ううん、それは当たり前。だってこれは、魔法なんて上等なものじゃない――ただただ力を溢れさせただけの、知恵も工夫も無い原始的な暴力なのだから。
耳鳴りが酷く、頭が割れるほどにうるさい。雷撃が石材を砕く轟音なのか、それとも私の神経系が悲鳴を上げているのか。それすら区別が付かなかった。
でも――これから起こる爆音は、『白』の力が引き起こす破壊だ。
「穢れ無き純白で以て、万象を吹き飛ばせ!」
宣言は、まるで唄うように。
けれど、願った結果は酷く凄惨で――。
吹き荒れる『白』の嵐は、遍く全てを飲み込む光。
例え物理的な姿を持たない雷だろうと関係なく、純白は世界ごと塗り潰す。
音は聞こえなかった。
ううん、きちんと認識できるほど私の耳が無事でなかっただけかも。
ともかく――狂った聴覚に代わって現実を私に伝えたのは、視覚だ。
まるで無を思わせるような『白』の閃光が引いた後に映った光景――それは、竜が膝(肘?)をつき、体のあちこちから血を流す姿。
パチパチと体の節々から火花を散らし、周囲に放電するかすかな雷光を纏いながら、深紅の血化粧で彩られた竜は――場違いかもしれないけれど、これ以上ないほどに美しかった。
「ぐ……どういうことだっ、なぜ私の雷が……っ!?」
叫ぶ口からは血が零れる。とても痛くて辛いだろうから、あまり無茶をして欲しくないんだけどなぁ。友達になりたいと思っている美しき竜が苦しむ姿なんて見たくないし。……原因は私なんだけどね。
「ふ、ふふふ。これは凄い……凄いぞルシェ! わらわの次くらいに凄いのじゃ!」
ディアナちゃんの次って言われるのは、嬉しいけれど少し複雑だ。悔しいっていうか……なんだろう。良く分からないけどイラッとする。
ルシフェードの力の方が凄いのに。
……今は私が使っているから、本来の力が出せない。それは全て私の実力と経験の不足から来ているから、言い返せないのだけれど。
でも――。
今ので、なんとなく感覚が掴めた気がする。
「あり得ない……中位の、Bランク如きの鬼に、私の雷が負ける……? あり得ぬ、あり得ない、あり得ないわ! おかしいのよ!!」
雷光が弾けた。
けれど私が左手を翳すと、私の前に薄い白色の膜が現れ、雷を弾いてしまう。パチパチと空気中に霧散する様が、まるで夜空に浮かぶ星のように綺麗だ。……見たことないけど。
「あああああああッ! 弾けろ、灼けろ、爆ぜろ、穿て、貫け、討ち滅ぼせェェェえええええッ!!」
「我が『白』よ」
散発的に、けれどそのどれもが私の体を簡単に灼いてしまうだろう強力な雷撃が、彼女の絶叫と共に襲い来る。しかしそれらは全て、私の体から放出される『白』の魔力に阻まれ、吹き飛ばされ、或いは掻き消されて中空に溶けてしまう。
痛みは……まだ、ちょっとだけある。私の肉体では『白』の強大な力の流れに耐えられないのだろう。魔力に強い種族……エルフや妖精とかだったら耐えられたのだろうけど、霊的よりも物理的な強度に傾いた鬼族では、Aランクにでもならなきゃ厳しいのかも。
なら、力を調節するしかない。
汲み上げた魔力を一気に流すからいけないのだ。少しずつ、適切な量を見極めて、放出する。『白』の力を含んだ私の魔力は少量でも強大な威力を持つから、わざわざ彼女の雷撃を消すのにドバドバ垂れ流しにする必要はないのだし。
なんだっけ……確かルシフェードの知識に、こんな時にぴったりな言葉があった気がする。
スマート? ……なんか、違う気がするなぁ。
なんて考えながら、槍のような神速の突きで、時に鞭のように撓らせて、或いは嵐のように渦を巻き、はたまた竜の顎のように牙をむき出しにして……と様々に造形を変えながらバチバチとうるさいスパーク音と共に襲い来る雷撃を、私は指向性を持たせた『白』の魔力だけで掻き消していく。
まだ魔法陣を通して魔法現象に昇華させられるほど繊細な操作はできないけれど、ある程度の方向と速度を指定するだけなら可能だ。少しずつ精度を上げて、無駄になる魔力も減らせるようになってきている。このまま魔力操作の練習を続けていけば、すぐにまた魔法を使えるようになるはずだ。
未来に希望を抱きながら、必殺の雷撃を魔力で散らす。パチパチ、キラキラ。宝石をちりばめたような放電越しに竜の姿を見れば、幻想的な光景は目を見張るほどに美しかった。
……やっぱり、斬るのは惜しいなぁ。
でも、ディアナちゃんは『斬って食料にする(意訳)』って言ってたんだよね。
「ねぇ、ディアナちゃん」
「ん? どうしたのじゃルシェ。腹は柔らかくて斬りやすいぞ?」
必死に雷撃をばらまく竜をニヤニヤ眺めるディアナちゃんに対し、けれど私は首を横に振って、
「食料にするの、やめようよ」
「どうしてじゃ? 世界五大美食じゃぞ?」
うう、そう言われると、ちょっと涎が……って、我慢我慢。
「でも、なんだか可哀想だよ」
「か、可哀想って……お主、言うようになったのう。いや、元からなのか?」
呆れたような視線を向けてくるディアナちゃん。
と同時、竜が放ってくる雷の勢いが増した……ような気がした。
けれど、あまり気にするような威力じゃないから、少し放出する魔力の量を増やすだけで簡単に対処できる。うーん、魔力ってすっごく便利だなぁ。いや、この場合『白』が便利な力なのかな?
ともあれ、私の『白』の魔力があれば、刀を使わなくともこの竜は無力化できる……はずだ。たぶん。全力で放出すれば、気絶くらいには追い込めそう。
「ま、お主の好きにせい。わらわの城に戻れば、数多の美食がこの手に戻ってくるのじゃからな。さすがに竜の肉ほどの上物は無いが」
……封印されている間に百年も経っているんだったら、食料は無事じゃないと思うんだけど……黙っておこう。ディアナちゃんもそれくらい分かっているはずだし。きっと。
……さて。
とりあえずの方針は決まった。
膨大な魔力で吹き飛ばす、などという単純な方法だ。
ただ、それを可能にするためには、もっと精密な魔力操作能力が必要になる。もしくは、痛みを許容するか。……まぁ肉体の耐久限界の関係で、もともとある程度は痛みを受け入れなきゃいけないんだけど、抑えられるものはできるだけ抑えておきたいしね。
ただ――私のこの行動は、竜には認められなかったみたい。
「……けるな。ふざけるな。ふざけるなぁぁああああああ――ッ! あなたたち、どこまで私を馬鹿にするのよぉぉおおおおおおお――ッ!!」
迸る雷撃は、これまでのものとは一線を画する威力だ。
その証左に、私が反射的に放出した魔力では打ち消せなかった。
有り余る威力は私の肉体を貫き、灼き尽くす――と、一瞬の後に襲い来る痛みを頭の中で予想して。
――けれど。
パシュン、と。
いっそ間抜けにも思えるほど力の抜ける音と共に、私が身に纏う着物の表面に触れた雷撃は――あっけなく霧散した。
「……、は?」
呟いたのは、私だったのか、それとも竜だったのか……もしかしたらディアナちゃんも呆けて口にしていたかもしれない。
石材の床を割り、人体を灼き、魔王種の血液をも蒸発させる天雷は、ただの布地に弾かれた。それが、今起こった現象の詳細。
「なんじゃそれは……ただの変わった服ではないということか? いや、ヴァイスの名、『白』の力、そして変わった形状の武装……いや、『カタナ』と『ワフク』。……なるほど。なるほどのう!」
なにやらディアナちゃんは理解したようだけれど……私には見た事実をそのまま受け入れることしかできない。
つまり――この服を着ている限り、竜の雷は効かないってこと。
ルシフェード様々だよ、まったく!
「そ、んな……どういうことなの? おかしい、おかしいわよ。だって、レオナだって防げなかった【竜王神雷】なのよ? それが、こんな小娘に……未だBランクの鬼族に無効化されたっていうの? あり得ないわ! あり得ないのよ!!」
……なんか、さっきから竜の口調が変わっているけど、こっちが素なのかな? 声も高い気がするし……もしかして、女の子?
そんなことを考えている私を置いて、ディアナちゃんが呆れたように竜に言う。
「これ、いい加減認めるんじゃ羽蜥蜴。というかお主、ルシェが使っておった力に何も感じなかったのか? 封印の影響で万全でないとはいえ、そのくらいは察せるじゃろうに」
「力……? 確かに鬼族が『白』を使うのは珍しいけれど、全く前例がないわけじゃないでしょう?」
「鈍りすぎじゃ。それとも羽蜥蜴には真理を解する脳が足りぬのか? そこらで見かける凡百の力が、あれほどの純白を生めるわけがなかろうに」
へぇ……鬼族が『白』を使うのって珍しいんだ。
私の『白』はルシフェードから受け継いだものだったけど……もしかして、私の魔力はもともと別の色だったのかな?
「え。え? 何よ、何なのよ。ならあの娘は、本物の『白』を継いだとでも言うの?」
「さぁな。まぁ、それが一番しっくりくるんじゃがの」
「……ただの感覚じゃない。そんなの、認められるわけがないわ」
「阿呆が。七星継承者なぞ、本人が申告せねば、肌で感じたその力で判断するしかなかろうに」
「……、」
ディアナちゃんの言葉に、竜は黙ってしまう。
……とりあえず、会話が切れたってことで良いよね?
大丈夫だと判断した私は、抜いたけれど結局使わなかった刀を鞘に収めてから、竜の前に歩み寄る。
竜は力をほとんど使い果たしたのか、ほぼうつ伏せに倒れた体勢だ。でも、私を見上げる瞳には強い警戒の色があり、力が残っていればすぐにでも雷撃をぶつけてくるであろうことが容易に想像できる。
けれど私は、にっこりとした笑みを浮かべて、
「ねぇ、黄金の竜さん」
「……、なによ」
コミュニケーションの基本は笑顔から。
ルシフェードの知識には『分かっていても不可能だ』なんて注釈が入っているけれど、どうやら私は得意みたいで、特に意識せずともすぐに笑顔を浮かべられた。だって、この竜と仲良くなりたいって思うと、自然と笑顔が作れてしまうのだもの。
でも、なぜだか竜は怯んだように身を引いてしまった。……どうしてだろう?
……まぁいいや。
私は、言いたいことを口にするだけだ。
すぅ、と息を吸い――心の底から溢れ出す想いと共に、告げる。
「私と友達になろうよ!」
笑顔(威嚇)。
友達(舎弟)。
ルシェには刀使いになって欲しいのに、なかなか刀で戦ってくれないんですけど……なして?