戦いを見学する白鬼娘
それはそれは、美しい竜だった。
まるで星々の輝きを詰め込んだ、金色の宝石箱のような。
けれど今、彼――或いは彼女?――はその金の瞳に多大な怒りを宿し、湧き上がる情動のままに咆哮する。その威容は、階級が上昇しそこらを徘徊する魔物程度なら撫で切りにできるようになった私にも、酷く恐ろしく感じられた。
だけど――それ以上の感情が、私の魂を支配する。
ただただ――美しい、と。
「く、くくくっ……おいルシェよ、これは面白いことになったぞ。ああそうだ、お前の言う通りじゃった」
自らの爪で作り出した傷口から吸血鬼特有の魔法で血液を採りだし、僅か三秒で剣の形に整えたディアナちゃんが、そんなことを呟く。その視線の先は、美しき黄金の竜。圧倒的なまでの畏敬を抱かせる絶大な『美』を前に、『赤』を纏う魔王の少女は小さな舌で唇を嘗めながら、
「羽蜥蜴。彼奴の肉は、世界五大美食に数えられるレア食材なのじゃ! しかもデカいから、一体で一週間は保つぞ!」
…………。
結局ディアナちゃんも、食料のことを考えていたんだね。
私も、竜の姿を見るまでは食べ物のことばかり頭に浮かんでいたけれど……見てしまってからは、そんな考えはちっとも浮かばなくなってしまった。
だって、こんなにも美しいのだ。食べるだなんて、とんでもない。
まずはお友達になる。それから朝一番にその麗しい姿を拝んで、寝る前に一時間くらいじっくりと愛でる生活を送るのだ。うん、最高だね!
ルシフェードだって、そうするよ。なんとなくだけれど、そんな気がする。引き継いだ彼の知識に、美しいものとか可愛らしいものに関しての情報が沢山あったから、きっと彼は美麗で可憐なものに目がなかったのだと思う。
「誰が……誰が羽蜥蜴だぁぁぁあああああああああああああああああ――ッ!!」
「おうおう、蜥蜴はうるさいのう。きちんと美味しく料理してやるから、ちぃと静かにしておくんじゃ」
激高する黄金の竜は、叫ぶと同時にその巨体から雷電を迸らせるけれど、ディアナちゃんはそれを僅かな動作で回避し、時に剣で弾いてみせる。雷なんて目で捉えられるはずがないのに……やっぱりディアナちゃんは凄い。ルシフェードと同じ魔王なだけあるね。
というか、私が戦いたかったのに……。
食欲には勝てないってことかな。まぁ、確かに私も、食欲が湧いたら約束なんて忘れて斬りかかっちゃうかもしれないけど……。あ、そもそも約束なんてしてなかったっけ。
「塩をまぶして焼くのも良いのう。或いはタレ? 確か東北のガイア王国には美味い醤油ダレなるものがあったが、あの甘辛い味も捨てがたいのじゃ」
「黙れぇぇええええ、下等生物がぁぁあああああああああ――ッ!」
「ふん、Aランク如きの蜥蜴に見下される謂れはない」
竜とディアナちゃんの距離は、十歩分も離れている。だからその場でディアナちゃんが剣を振るっても、竜の体表に傷をつけることなんてできない――はずだったのだけれど。
「曲がれ」
呟いた、直後。
ディアナちゃんが正面に振るった長剣は――否、剣の形をした血液は、彼女の意思を反映してぐにゃりと形を曲げ、弧を描くように竜へと襲いかかる。
「こざかしい――なぁッ!?」
黄金の竜は伸びてくる血を雷で焼いてしまおうと考えたみたいだけれど、甘かった。
仮にも――なんて言ったらディアナちゃんは怒りそうだけれど――吸血姫の、それも魔王の血液。超高階級に位置する存在の濃密な魔力を溶かしたそれは、並の電流で蒸発するほど柔ではない。竜の雷撃は血液の持つ魔力抵抗を貫けず、表面を滑って空気中に霧散する。
そして止められなかった血液は歪曲する槍と成り、竜の体に突き刺さった。
「ぎ、ぃい――ッ!!」
つんざくような悲鳴が壁を、床を震わせる。
私は思わず耳を覆ってしまったけれど、ディアナちゃんはむしろそれが心地よいとばかりに嗤っている。残虐な魔王の一面。恐ろしいという感情が、少しだけ私の心に芽吹くけれど……それでも彼女の可憐な容姿は、その残虐性を補って余りある。
むしろ、その姿にもまた違った魅力を感じる私は、ちょっとおかしいのかな?
うーん……ルシフェードがいたら賛同してくれたかも?
なんて考えていたら、突如視界が黄色に塗り潰された。
何が起きたのか……なんて考えるよりも早く、私の勘が竜の雷撃によるものだと告げる。ディアナちゃんが魔王は第六感が働くとか言っていたから、ちょっとは私も強くなれたのかも。
私の成長はさておいて。
きっちり五秒後に、世界は元の灰色を取り戻す。
晴れた視界で、膝(前足じゃなくて腕だったら肘?)をつく黄金の竜と、右手を血で濡らしたディアナちゃんの姿が映った。
「ディアナちゃん……! その手っ」
「案ずるな。剣が溶けただけじゃよ」
ああ……良かった。傷を負ったわけじゃないみたい。
でもそれは、ディアナちゃんの魔法を破るほどの雷をあの竜が放出したということの証明だ。もしこれ以上の雷撃を出せるなら、あの黄金の竜は、魔王たるディアナちゃんの肌にすら傷をつけられるかもしれない。
そんな相手に、私が挑んでも……勝てるの?
竜の美しさを前に薄れていたとはいえ、鬼族の性質から完全には失っていなかった闘志が、急激に冷えていくのを感じる。私が一撃で首を落としたあの竜なんかとは比べものにならない。それはディアナちゃんが――直接聞いたわけではないけれど、確実に私よりも階級が……そして技量も上の彼女が「強いかもしれぬ」と反応した時点で、推して知るべしだった。
あの雷は、私の体を焼き切るのに五秒もかからないだろう。――そう、直感で悟る。
「……、」
――悔しい。
そう感じずにはいられない。
戦う前から負けを悟り認めることは、生物にとってはごく当たり前で、生き残る上で必要な能力だけれど……鬼族にとっては最大級の屈辱だ。惨めでも戦って死んだ方がマシと考えるほどに。
それでも……いや、だからこそ。震える右手は刀を落とさない。
私が直接戦っているわけではないけれど……完全に戦いを放棄することだけは、私の中に残る最後の意地が許さなかった。
「お、のれ……貴様、血吸いの鬼か」
横腹の辺りから流れる血を押さえながら、竜が低い声――けれど女性の声域で、だが――で唸る。対してディアナちゃんは、再びその手に血液の剣を生成しながら言葉を返す。
「その頂点、或いは姫と言えば分かるかのう?」
「吸血姫……! なるほど、『紅血の魔王』か……ッ」
「ふ……。ふふふふふっ、はあーっはっはっは! やはりわらわを知る者はいるのじゃな! うむ、当然じゃよな。わらわ、魔王じゃし!」
大声で高笑いするディアナちゃんはとっても可愛いけれど……今、多大な敗北感と屈辱感を抱く私に、その愛らしい少女に飛びつき抱き締める余裕はない。
「くっ……最も『赤』に近いと謳われた魔王、か……。しかし貴様……いや、貴方様は封印されていたはず……」
「ふん。情報が古いぞ、羽蜥蜴。わらわは百余年の封印より目覚めたのじゃ。そこの小娘のおかげ……、仕業でな」
と、こっちに視線を向けてくるディアナちゃん。少し頬が赤いのは……ちょっとは私に感謝してくれているって証、なのかな? わかりにくいけれど……それがまた可愛らしい。
けれど、ディアナちゃんに釣られて視線を向けてきた竜は、不快そうな吐息を零して、
「ただの小鬼か。貴方様の眷族かと思ったが、その気配もない。小娘如きが『天幻の魔道士』が施した封印を解いただと? あり得んな」
馬鹿にされている。けれど、黄金の竜から見た私は、弱者だ。その評価は正当なものであり、それを覆せない私には何も言うことはできない。
…………。
ぎゅっ、と。刀を握る手に、力が籠もる。
言われっぱなしで良いの? 見下されたままで、良いの?
――否。
良くない。
負けたままでいたくない。ううん。そもそも、戦う前から敗北を決めつけるなんて、やっぱり嫌だ。
だから私は、視線に力を込め、『黄金』を纏う竜を睨み付ける。
「確かに私は――」
弱いけれど……と続けようとして。
「――ふ、ふふふ。なるほど。なるほどな」
遮ったのは、ディアナちゃんだった。
吸血姫の少女は顔を俯かせ、肩を震わせる。その姿は笑っているようにも泣いているようにも見えるし、或いは怒っているようにも見えた。
その真意は――続く言葉に表れる。
「寝惚けておるのだな、羽蜥蜴。『色』どころか親の力の一割も継げなかったような駄竜が、ルシェを凡百に落とし込むなど」
嗤笑。或いは、嘲弄。
最大限の嘲りで以て、吸血姫は笑む。
「……、どういうことだ」
訝しむ竜の声には、しかし目の前の上位者に対する恐怖が滲んでいた。
けれどディアナちゃんは、竜の問いには答えず、代わりに私に視線を向けてくる。
ディアナちゃんが私に向ける瞳には、竜に向けるそれと違って恐いものなど欠片も宿っておらず、妖美な紅玉はただただ楽しげな感情を映している。
が――刹那。背筋にぞわっ……と悪寒が走った。
……なんだか、嫌な予感がするなぁ。
「でぃ、ディアナちゃん……?」
「ふふ、ルシェ。貴様も鬼族じゃ。ゆえに、今は面白くないと感じておろう?」
確かに、面白くない。だって、強者との戦いは鬼族最大の楽しみで、そして戦わずしての敗北は死に勝る屈辱なのだから。
でも……勝てないのも、また事実だ。
けれど、ディアナちゃんはそんな私の思いなど知らず……或いは知っていて無視しているのか、実に愉快そうな顔で、こう告げた。
「ルシェ。そこの羽蜥蜴を斬るんじゃ。世界で五本の指に入る美食じゃからな、あまり肉を痛めぬよう上手く斬るんじゃぞ?」
…………。
やっぱりディアナちゃんって、食い意地張ってるよね。
ステータスは更新されていないので無しです。
ところで白き魔王様は、いなくなってから段々と散々な評価になってきているんですけど、なして……?