血肉ボイコット
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ほう、こー坊もちょっとはまともに食事ができるようになったか、感心感心。
……なんじゃ、覚えとらんのか。お前は小さい頃、なんでも牛乳をぶっかけて食べていたんだぞい。それに飽き足らずスプーンで、もしくはそのままおててで、こねこね、こねこね……せっかく形を整えたオムライスが、腹をかっさばかれ、身体をバラされてミルク雑炊にされとったわい。今でもわしらの中で「バラバラ事件」と称して、伝説になっとるぞ。
――ん? 黒歴史をほじるな、と?
なんじゃ、「墨で黒く塗りつぶされた、歴史教科書」の略か? 最近の若い者は、珍妙な略語を使うもんじゃのう。意味も気持ちもわかるが。
しかし、別にこー坊の恥をさらそうというわけではないぞ。これも大事なしつけの一つよ。食べ物で遊ぶな、という奴のな。
戦争を経験しとるじいちゃんからしたら、食べ物で遊ぶなというのは、食べ物を粗末にするな、という意味合いも大きい。そういうと、「じゃあ、最終的に食べりゃいいだろ。勝手にさせろよ」という反発が出るのも、まあ、仕方ない。
だがな、そんなものでは済まない、理とやらも、世の中に存在するとじいちゃんも知ったのよ。
こー坊は、お前のおじさんおばさんが、何人いるかは知っていよう。その半数はじいちゃんとばあちゃんの子供じゃ。小さい頃はお前の父ちゃんも含めて一緒に住んどったわ。
歳が近いから、一緒に食卓を囲む回数は多かったが、これが全員、食べ方がへったくそでのう。魚の食べ方ひとつを取っても、じいちゃんとばあちゃんの目には、もったいないお化けが出てしまいそうなくらい、身の部分が散らかりっぱなしじゃ。
ご飯はこぼすわ、みそ汁は倒すわ、夕食のたびにちゃぶ台いちめん、汁野原よ。毎日毎日、汚れても構わん布を、シーツ代わりに用意しとったのを覚えとる。
――信じられんという顔じゃな。お前の親たちも、頑張って今のようなきれいな食べ方ができるようになったんじゃ。根気よくやりゃ、人間たいていのことはできるわい。
だが、汚れるだけならまだいい方でな。こいつで遊びだしたりすると、まずいことがあるみたいなんじゃ。
その日、ばあちゃんは風邪気味で、一日中、寝込んどってな。それでも「うつすといけないから、私には構わないでください」と、じいちゃんに伝えてきた。
ばあちゃんは昔から、これと決めたら譲らない女。下手に看病すると、嬉しがるどころか、逆に怒り出すような人じゃったから、じいちゃんはいつも通りにするしかなかった。
そして、じいちゃんが仕事から帰る頃には、もうお前の父ちゃんたちが腹減ったと騒いどったわ。
その日は、くたびれていることが自覚できるくらい、疲れていた。最低限の飯の支度だけして、後は適当にやっといてくれ、とおじさんたちを放っておいたんじゃ。
ウトウトしたい誘惑に、抗いきれなくてのう。こんな時に子供をしつけとったら、間違いなく怒って、殴って、ケガをさせる自信があったからな。
日頃から、さんざん言ってきたんじゃ。さすがにひどいことにはならんじゃろ、とたかをくくっていたことも、否定はせんよ。書斎のソファに腰かけたじいちゃんは、足に溜まった疲れが身体に広がっていくのを感じながら、まどろんでいた……
ふと、食卓のある居間が騒がしくなって、じいちゃんははっと目覚めて腰をあげた。
駆けつけると、こー坊にとって一番上のおじさんと、一番下のおばさんがケンカをしとった。こー坊の父ちゃんを含めた、他の子たちは居間の端に固まって、居心地悪そうにしていたわ。
おじさんとおばさんは、ご飯にみそ汁をかけてな。粘土のようにこねて、雪合戦ならぬ米合戦をしておったのじゃ。シーツ代わりのバスタオルはおろか、テレビや黒電話にも、とばっちりがあって、べとべとになっている。
おじさんとおばさんの身体も、米とそれを固めたみそ汁まみれ。おばさんは大泣きしとって、さすがにじいちゃんとしても許せんかったわい。見せしめの意味も込めて、こー坊の父ちゃんたちの前できつく叱り、掃除も自分たちの手でさせた。
疲れていても、こいつらの面倒を見ないといかんか、と家を切り盛りしとる、ばあちゃんの苦労が身に染みたものよ。
だが、話はここで収まらなかったのじゃ。
数日後。体調が回復したばあちゃんと、仕事が遅かったじいちゃん。久しぶりに二人だけで食卓を囲んだ。
この間の米合戦騒動があってから、わずかずつではあるが、シーツ代わりの布の、汚れる面積が小さくなってきている。このまま、食べ物をきれいに食べるようになってくれれば、と考え始めた矢先じゃった。
じいちゃんたちが住んどる家は二階建てで、居間や台所、書斎は一階。寝室は二階に集まっている。トイレは一階と二階のどちらにもあるから、近い方を利用すればいい。
ましてや夜ももう遅め。わざわざ下に来る理由もないだろうに、階段を下りてくる音がしたんじゃ。
誰だ、と居間の入口を見るじいちゃんとばあちゃん。姿を現したのは、一番下のおばさんじゃった。
まだ四つになったばかりのおばさんは、小さい身体を震わせながら、言ったんじゃ。
「なあなあ、あたし変になっちゃった。トイレが変になっちゃった」
要領を得ない言葉に、まずはばあちゃんが付き添って、トイレの様子を見に行った。だが、すぐにじいちゃんも召し出された。おばさんのお通じがおかしい、というのじゃ。
誘導のままに、じいちゃんもおばさんが用を足した洋式便器の中をのぞいたが、思わず目を見張った。
便座の中身は、夕飯に食べたものがそのまま入っていた。一度、身体の中を通したとは思えない。そのまま膳の中身をぶちまけでもしない限り、このようなことにはならないと、じいちゃんは思った。
一番下のおばさんは、時間をかけても毎日残さずにご飯を食べる子じゃった。秘かに隠してトイレに捨てるなど、とうてい考えられなかった。
念のために確かめると、これらはすべての身体から出たものだと、おばさんは答えた。
にわかには信じられなかった。だが、事実ならば捨て置けない。相談した結果、明日も仕事があるじいちゃんは早めに寝て、ばあちゃんがおばさんに付き添い、用を足すのを見届けることにしたんじゃ。
そして翌日。おばさんの言っていたことが本当であったことを、じいちゃんはばあちゃんから聞いた。すぐにおばさんを病院に運び、医者に診てもらったわい。
検査をしつつ入院をすることになり、おばさんは胃腸の機能が著しく減衰していることは分かった。しかし、その原因が何なのかは、さっぱりわからない。そして、食物があそこまで形を整えて排泄されるなど、いくら臓器が弱っていたとしても考え難い。
おばさんの腹は減り続けた。だが、食物はのどを通っても、わずかな体液にまみれるだけで、おばさんの身体をトンネルのようにすり抜けていく。点滴を打つことでどうにか対処できたが、おばさんは病院から離れることができなくなってしまったんじゃ。
じいちゃんもばあちゃんも、毎日、お見舞いに行った。先生たちに何度も頭を下げて、病状の打開を頼んだが、一向に好転の兆しが見えない。更にこのまま点滴の生活が続いた場合、成長しきっていないおばさんの身体は、肺水腫。すなわち血管からあふれ出た水分で、肺が水浸しになる恐れさえある、と指摘されたのじゃ。
どうにかせねば、とじいちゃんやばあちゃんが頭をひねっているところに、新しい知らせが入って来た。
一番上のおじさんが、学校で倒れて意識を失った、とのことじゃ。
やつれていたばあちゃんを病院に残し、じいちゃんだけが車で学校に出向いた。その時には、おじさんは意識を取り戻していたが、自力ではまっすぐ歩けないほどにふらついていたのを覚えとる。
どうにか助手席に乗せて事情を聞くと、数日前からいくら食べても、腹が減って仕方ないと答えるおじさん。まさか、とじいちゃんはトイレでのことを尋ねた。
おじさんの顔が、一瞬青ざめる。はっきりとは言わなかったが、それで十分じゃった。おじさんもおばさんと同じことになっている。そいつが恥ずかしくて、言わずに隠していたのじゃと。
じいちゃんはそのまま病院に向かい、おじさんを診てもらった。案の定、数日後におばさんと同じ症状だったことが判明。入院をする羽目になる。
たとえ信じがたくとも、じいちゃんも他の子どもたちも、うすうす感じていた。あの日の米合戦が原因ではないか、と。あの時、寝込んでいたばあちゃんには、じいちゃんから詳細を話したわ。
その日から、じいちゃんたちはいただきますとごちそうさまのあいさつはもちろん、どうかおじさんとおばさんの無礼を許してくれるよう、ご飯たちに祈った。一口一口に感謝を捧げ、ゆっくりゆっくり、心の中でお礼をしながら食べる日々が続く。
最終的におじさんとおばさんは、一ヶ月近くの入院の後、同時期に退院した。じいちゃんたちが祈るようになって数日後から、身体が病院食をしっかり消化し始め、点滴の世話になることがなくなったとのこと。
ご飯たちは、ずっとあの日のことを根に持っていたのじゃろう。そして、他の食べ物たちにも呼び掛けた。絶対にあいつらの力に、血肉になどなってはならない、と。
じいちゃんは今でも、毎日の食事のたび、こやつらの命を感じ、忘れぬようにしておるよ。