畝雲
痛みを堪えて1日、慣れるのに3日、動くのに6日かかった。
風が強い日は酷く、緩やかな小雨の日が一番おとなしかった。周囲の人の声、車の振動、時報や吐息に至るまで、すべてが肌を震わせた。だが、やはりというべきか、異常なほどに天候の影響が大きかった。
地面を這う音は遠くまで届かない。頭上を通る航空機体は意識を手放すには十分な威力で、慣れた今でも顔をしかめる。半年の休学を経て復帰した高校は、騒音が思い出を上塗りした。
騒音といえど聞こえるわけではない。体表を震わせる僅かな揺れを、何千倍にも増幅されたように受け取るこの肌が全てを台無しにした。服の脱ぎ着で脳天が痺れる体でよく卒業できたものだと思った。
そのころには慣れてきたこともあり、日常生活が戻り始めていた。地方の私立に進学し、軽い授業を取って感覚の制御を始めた。
これがまずかった。
動きが分かるのだ。立体な雲の動き、雨雲の形成が常に伝わる。そして…他の
仕事はできない。人生が決定づけられ、感覚はそれ以上薄れなくなった。
結局大学の4年間をすべて、気象学の習得が占めた。次が見える、世界がわかる。あのときもたらされたのは皮膚感覚だけではない。その後の治療で培われた、天候に限らない未来予測が圧倒的な的中率をはじき出していた。必要なのは知識だけで、2年の研鑽を以て資格を得ることとなる。
テレビに映る気象予報士、にはなれない。人と関わらず、局所的な予報において絶対的な的中率を持つ彼は、来春から特別業務としてとある機関への就職が決定していた。
そこは気象予測研究をかなりの精度で確立したことで有名で、友人の強い紹介により実現したが……正直、業務内容すらよくわからない。必要なのは予測技術であって、正確無比とはいえ感覚に頼った予測など完全に不要に思えた。