綿雲
雨だ。
リズム良く屋根を打つ水の音で目を覚ました。
午前五時。
いつもより30分程早い。
ひと通りの身支度を済ませたあと、パソコンを起動した。
鈍い音を放ちながら起動する様子を横目に、窓の外を眺める。
昨日の時点での降水確率は70%だった。
今日も、空は不思議な表情を見せていた。
霞む視界の向こうに見える風力発電所が、風の強さを伝えていた。
天気予報は終日雨であると伝えていたが、きっとそうではない。
今日は午後4時から晴れるだろう、空の表情がそう告げる。
昨日も、一昨日も、その前からずっとそうだった。空はいつもこちらを見ていて、それに気が付いた者だけが視線を感じる、それだけのこと。
空は鏡なのだ。惑星の表面にへばりついた膜ではなく、外界と繫ぐ門であると。
門は常に開かれ、見ている者を映し、その状態を常に晒す。
故に、鏡を通した光は鏡からのことばだ。ことばは力となって綿を紡ぎ、流す。
……それは17のとき、強風で飛んできた何かに頭をしたたかにぶつけたことだと思う。
その場では何もなく、せいぜい痣と痺れがあった程度だったが、三日後。
高熱にうなされて数日休んだあと、目覚めた瞬間に何かが切り替わった。
一時間ほど、身動きすら取れなかった。あまりの情報量に脳は耐えられず、ただ呆然とするしかなかった。指先が、わき腹が、うなじが、全身の皮膚がすべて、痛い。ようやく落ち着いてきたころ、窓から差した夕日と雲の流れが否応なくわからせた。
この触覚は、空だ。