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4日目(中)

 



 ヴァイスの自宅はゲームセンターから10分もかからない所にあった。

 戸建てが3つくらい引っ付いて、それぞれの部屋を貸し出してるみたいな形をしてる田舎ではよくある賃貸アパート。

 その一番端の101号室に僕は強引に連れ込まれた。


「いやー、寒い寒い。暖房つけるから待ってやー」

「あ、お邪魔します……」


 玄関に靴を脱ぎ捨てて、小走りで奥の部屋に入っていくヴァイスを見ながら、僕はとてつもなく緊張していた。

 当たり前だ。女の子の家に入るなんて生まれて初めて。ましてヴァイスは一人暮らしだ。

 僕は今、一人暮らしの女の人の家に上がって。

 2人きりの空間に入ろうとしてるわけで。


「ほんま壁が薄いんか知らんけど、寒いんよねこの部屋……って、何突っ立ってるん?」


 ヴァイスが部屋から顔を出して僕に言う。

 落ち着け僕。相手はヴァイスだぞ。そんなムフフな展開などあるものか。


「あ、いや、なんでもない」


 靴を脱いで、玄関口に丁寧に並べる。ついでに先程ヴァイスが脱ぎ捨てて行った靴も揃える。

 ってか靴下とか穴開いてなかったよな?

 靴を揃えた姿勢のまま、僕は靴下の状態を確認して、というか穴が開いていたところで靴下の代わりなんてないんだけど、何故か確認して僕はヴァイスのいる部屋へ向かった。


「お、きたきた。いらっしゃい少年!」

「おおぅ、なんというか、その」

「なんやその反応、全然女の子らしくない部屋でびっくりしたんか?」


 確かに女の子らしい?部屋では無い。

 僕にとって女の子らしい部屋というと琴乃の部屋になるのだけど、ヴァイスの部屋はどちらかといえば僕の部屋に似ていた。

 ベッドの上に丸められた掛け布団と毛布。乱雑に積まれた机の上の本、床に積み上がる恐らく空箱のダンボール。

 鏡やドライヤー、倒れた化粧水の容器がある小さなちゃぶ台に、横着した結果が如実に現れている畳まれているのかいないのか判断しにくい服達。

 足の踏み場はあるし、決して不衛生ではない。が。

 生活感がありすぎる。


「女の一人暮らしなんでこんなもんやで、いい勉強になったな少年」

「主語が大きすぎるんじゃないか?」

「なはははは、少年が来るって前以て分かってれば片付けとったんやけどな?」


 ヴァイスに促されて、僕は渡された座布団の上に座る。

 ちゃぶ台を挟む形でヴァイスと向き合う。ニマニマ笑いながら僕を見るヴァイスが何だか可愛く見えてしまうのは、2人きりというこの環境に僕が流されているだけなんだろうか。


「ここなら落ち着いて話出来るやろ?ほれ、話してみーや」


 単刀直入。ジャブも駆け引きもなくいきなり本題をぶっ込まれた。まぁヴァイスらしいよな。


「ヴァイスのお察しの通り、妹のことなんだけどさ」


 琴乃との朝の一件を簡単に、ざっくりと、簡潔に伝えようと始めた僕だったけど、ヴァイスは狙っているのかいないのか、上手いこと僕から話を引き出してくる。

「それはそうやな」「せやけど少年」「気持ちわかるわー」と僕の話に相槌を打つかのように差し込まれる彼女の一言一言が、妙に心地よかった。

 気づけば僕は今回の出来事、事象のことだけじゃなく自分の心情や過去の出来事まで吐露していた。ゲロっていた。吐かされていた。


「概ね分かったで少年」

「……随分聞き上手だな……」

「せやろ、これでも少年よりお姉さんやからな!」


 ヴァイスは得意げに笑って胸を張った。セーター越しに膨らむ立派なお胸が強調されて、僕は目を逸らした。


「それで、少年は言い方が悪かったかもしれんって思っとるわけやな」

「うん、もっと優しい言い方とか、納得させてやれる伝え方があったんじゃないかなって……僕は間違ったよなって思ってさ」

「間違い、間違いなあ……」


 うーん、とヴァイスは唸った。腕を組んだまま身体を90度くらい横に曲げて考え込む。なんでこう、こいつは行動一つ一つが可笑しいんだ。シリアスな話をしてるはずなのに、空気が重くならない。空気が温かく感じる。


「0か1か。間違いか正しいかってことなら、確かに少年は間違っとるとは思うで」


 腑に落ちないような、怪訝な顔つきのままヴァイスは言う。


「でもそれは極論的に、100%少年が悪くないわけやないって話。概ね少年の言うとることは間違ってないし、伝え方も、どちらかといえば理性的で的を射てたと思うで。ただ……」


 正論すぎただけや、とヴァイスは言った。

 正論すぎた?正論にすぎるも何もあるのか。

 僕の困惑を表情から読み取ったのか、ヴァイスは僕の顔を見ながら言葉を続ける。


「正論しか言うてない。そこに妹ちゃんの感情が含まれてへん。ただただ正論をぶつけたに過ぎんのや」

「いや、ちょっと待ってくれよ。僕は兄として間違ってることは間違ってるって伝えなくちゃいけないわけで」

「せやで、だから少年の言うてる事は間違ってへんよ。ただ、妹ちゃんがなんで間違えるに至ったのか、って所を少年は気づけてへん。というか、聞こうとせーへんかった。そこが、間違っとるとこやで」


 ヴァイスが力強く僕を見つめてくる。先程までの空気感はどこへやら、ピシッとした張り詰めた空気が僕を包む。

 真剣に真摯に言葉を選びながら、ゆっくり一言一言僕に噛み締めさせるように間隔を開けながら、ヴァイスは続ける。

 僕にだってヴァイスの言葉に対して言いたいことはある。でもそれは喉につっかえて僕の口から漏れることは無い。

 ヴァイスの作り出す空気が、目線が、僕の喉を締めつける。

 惹き込まれる。その目に、言葉に。


「少年と妹ちゃんの関係は特殊や。さっき話してくれた夏休みの一件は特に決定的やろ。どう考えても、その件が今回の件に尾を引いとるで」

「……でも、あの日から僕らはいい距離感を測れて……」

「その距離感ってなんや?兄妹に芽生えた感情の後処理を終えて、普通の兄妹に戻れたっていう距離感か?それとも、今まで通りの関係に戻れたって距離感か?」


 僕の言葉に被せて、ヴァイスが矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

 いや最早これは質問というより詰問だった。僕の誤りを炙り出すかのように、僕の誤りを僕に気づかせるかのように、誘導するような詰問。


「そりゃ、今まで通りに……」

「そうだとしたら、少年。君は大いに間違っとるで」


 そしてヴァイスは言い切った。


「そんな距離感、あらへんよ。今のあんたらに。絶対に」


 僕達に対する否定。そう感じた。というか、そうとしか感じられなかった。

 13年間、妹と過ごしてきた僕に、僕達に。どうして他人であるヴァイスがそこまで言えるんだ。何を知って、何を分かって僕達の関係を否定するんだ。

 一気に頭に血が上る。腹立たしさが僕の背中を押す。


「何を知ってそんなこと言えるんだよ!ヴァイスは僕達のことを何も知らないだろ!」


 ちゃぶ台に身を乗り出して怒鳴ってしまう僕に、ヴァイスはピクっと眉を動かし目を見開いたが、それも少しの間だけ。

 すぐにさっきまでの真っ直ぐな瞳に戻って、僕を見据えてくる。


「うちは少年の話してくれた事しか知らんよ。それ以外のあんたらのことなんて知らん。でも、分かるで」

「なんで……!」

「うちは少年よりもお姉さんやからや」


 冗談交じりの言葉じゃない。本当にそれが根拠であるかのようにヴァイスは言った。


「考えてみーや。少年。抱いてはいけない感情を伝えて、それが不発で終わり、さぁじゃあ明日から元通りにしましょうって……そんなこと出来ると思っとるんか?」

「でも現に琴乃は……!」

「少年がさっき自分で言うとったんやで。妹ちゃんはしっかり者で感情表現が乏しい癖に周りに人が集まるって」

「……それは言ったけど、だからってそれがなんの意味に……」

「妹ちゃんが少年のいう感情表情が乏しい女の子であるなら、周りに人なんて出来ん。それでもコミュニティを確立し、人気者になってるってことは、何枚もの社会的仮面を妹ちゃんは被っとるんやろな」


 夏休み、花火が咲く夜空の下で琴乃は確かに言っていた。

 自分を演じていたと。


「夏休み以降、妹ちゃんは家でもその仮面を被っとったんちゃうか。少年に気を遣わせないために。自分の気持ちが世間的に許されるものでは無いと分かってるなら尚更。兄である少年に、重荷と思わせないように演じることは、当然のことちゃうか」


 僕に対して、琴乃が気を遣ってた?

 僕に、琴乃が演じた自分を見せていた?

 信じられない。そんなわけが無い。琴乃は僕にだけ、素の自分を明かせるんだ。演じずにいたからこそ、僕に惚れてしまったと琴乃自身が言っていたんだ。

 僕の前で琴乃が自分を演じるだなんてそんなこと、あるわけが。


「演じなかったが故に惚れてしまったんやから、これ以上惚れない為に演じるのは、何もおかしなことやあらへん。少年。今回の一件は妹ちゃんなりのケジメなのかもしれんで。前に進もうとしてる証拠なのかもしれん。確かに間違ったことをしとるかもしれんけど、それでもそこには寄り添うべきちゃうかなと、お姉さんは思う」


 絶妙な距離感だと思っていたのは……僕だけで。

 それは全部、琴乃が演じて作り出してくれていた距離だった……?

 僕はそれを、琴乃が心から決めて測り直したものだと思い込んで、僕は琴乃を信じていた?

 違う。信じていた、じゃない。盲信していたんだ。

 勝手に琴乃の強さに期待して、琴乃が唯一拠り所としてくれていた場所を僕は奪った。梯子を外した。

 距離を測るべきだったのは僕だったのに。全てそれを琴乃に任せてしまっていたんだ。

 僕が。僕が……。


「少年。うちも女やからな、女心っていうのが何となく分かるんや。ガサツで男っぽい性格でもやな、何となく分かってまうんや」


 ヴァイスは立ち上がって僕の横に来ると、僕の方を向いてしゃがみ込んだ。

 帽子をちゃぶ台に置いて、項垂れる僕の肩に手を置く。

 ヴァイスの声色はどこまでも優しく包容感があった。年上のお姉さんであることを認めざるおえないほどに。


「惚れた男に振られて尚、元の関係を維持するのはすっごいしんどい事なんや。それでも側におりたいから、惚れた男に笑って欲しいから、辛くてもな、頑張ってまうねん。女の子は。だからな、少年」


 温かい体温が僕を包んだ。

 項垂れていた僕の頭がヴァイスの肩に押し付けられる。

 抱きしめられてる。ヴァイスに。女の人に。

 柑橘系なのに甘く落ち着く香りがヴァイスのセーターから匂う。いい香りだ。グチャグチャになってる感情がまとまっていく。


「少年から妹ちゃんに引導を渡さなあかん。それを妹ちゃん独りに背負い込ませたらあかん。少年が責任を持って、半分背負うんや。少年は妹ちゃんのお兄ちゃんなんやろ」


 僕の背中を摩るヴァイスの手が優しい。

 こんな、こんな事で……。


「今はそれでええ。でも、泣き止んだらしゃきっとしーや」

「……泣いてないやい」


 部屋が暑くて汗が出ただけだ。僕が泣くわけないだろ。


 ……ありがとう。



 ☆  ★  ☆



 さて、琴乃ともう一度ちゃんとお話をしようと意気込んだのは良いものの、当の琴乃はもう遊びに出ている事だろう。

 彼氏とクリスマスデートをしているというのに、兄に邪魔されたくはないだろう。僕だってクリスマスという記念すべき日の妹のデートを台無しにしたくはない。

 だが、琴乃の宿泊の件については決着が着いていない。

 泊まりはダメだと伝えたが、琴乃からそれを了承した返事を貰えた訳では無い。場合によっては僕の忠告を無視して宿泊を決行する場合も有り得る。

 琴乃の危なっかしい行動を止める、ないし理解する為に話をしたいのに、その危なっかしい行動をした後では本末転倒だ。

 物分りがよくて、良い子な琴乃が僕の言葉を無視するなんて事するわけがないと思う反面、ヴァイスが推察した琴乃の本心を考えるとそうとも言い切れない。不安になる。

 僕は結局、琴乃の一番の理解者では無かったのだ。


「そんなことはあらへんよ、少年」


 ヴァイスはそんな僕の泣き言を一蹴した。


「少なくとも、妹ちゃんの一番の理解者はあんたやで。そんな一番のあんたでも分からんことがある。それだけの話や。だからちゃんと話をしたらええ。自信を無くすことやない」


 ヴァイスは僕の隣に座り、肩を組むようにして僕の体を揺する。

 なはははと大きな声で笑いながら、僕の肩をバシバシと叩き、僕を鼓舞してくれる。励まし方がいちいち男勝りだ。

 いやでも、あのハグはちょっと恥ずかしかったな。


「さて、少年。とりあえず家に戻らんとな」

「あ、あぁそうだな」


 そう言うとヴァイスは立ち上がって、セーターの上に黒いガウンを羽織った。

 ん?ちょっと待て、なんでヴァイスまで上着を羽織るんだ。


「ヴァイスも今からどっか行くのか?」

「何言うてんの?少年の家に行くんやんか」

「ちょっとまてぇ!?」


 ついてくるなんて聞いてないぞ!?


「いやいや少年。相談に乗るだけ乗ってもらって、ほなさいならって甘いんとちゃう?」


 ヴァイスが口端を吊り上げて、厭らしく笑う。

 悪魔かこいつ。なんだその等価交換は!条件の提示が遅すぎる!


「それに少年歩いてきたんやろ?結構遠いって前言うてたやん。うちの車で一緒に向かう方が楽やろ?」

「え、車あるの?」

「そらあるやろ、こんなド田舎で車持ってない一人暮らしの大学生なんておらんて」


 恐らく車のキーである黒い四角の箱を僕に見せつけながら、ヴァイスは玄関に向けて歩き出す。

 慌てて僕も上着を羽織って後を追う。


「琴乃が居たらどうするんだよ!」

「その時は大人しく外の車で待ってるわ。邪魔するつもりはあらへんよ」

「待つってなんだ!帰れよ!」

「乗っかかった船やし、最後まで付き合わさせてもらうで」


 ヴァイスが玄関を開ける。外の空気が暖房の効いた家の中に入り込み、上着を羽織った状態でも身震いしてしまう。

 そんな僕にヴァイスは見向きもせず、颯爽と大股で玄関の外に出ていく。


「少年を独りに出来へんしな」


 ヴァイスが小さく言った。

 ヴァイスは大股で外に向かってしまっていて、僕は先程の身震いで出遅れていた事もあり、その声は僕には届かなかった。

 ただ、僕の先を歩くヴァイスの背中は小柄だけど大きくて、僕にただ安心感を抱かせた。






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[良い点] 読者目線だと「妹ちゃんは間違っているとわかっていてもどうにか気持ちを振り切るために動かないわけにはいかなかったんだろうな」となんとなく想像もついてましたけど そもそもここまでお兄ちゃんは兄…
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