4日目(前)
真っ黒なトーストを食べきった僕であるが、今日の僕は機嫌が良い。
まぁ、琴乃の寝顔を見れたことは確かに眼福ではあるが、そこが僕の機嫌の良い理由ではない。
単純である。琴乃がクリスマスプレゼントを喜んでくれたことだ。
今年のサンタが琴乃に用意したクリスマスプレゼントは、この街から2つほど隣にある街で開催されているイルミネーションフェスタに入場できるペアチケットである。なんとも趣味がいい。
このサンタはプレゼントの選ぶセンスがなかなかに良い。化粧品が欲しいと言っていた琴乃であったが、このプレゼントにはにっこり。
いや、表情はあまり変化がなかったけれど、声をやや焦らせながら「兄さん、兄さん……!」とプレゼントを両手に持ち、駆け寄ってくる姿は可愛らしかった。天使である。
今朝の不機嫌はどこへやら、琴乃はもうすっかり機嫌を直し、スマホでイルミネーションフェスタについて調べているようだった。
ふふん。俺としても嬉しい。
「兄さんは、どんなプレゼントをもらいましたか?」
「え?」
満足げに朝食の皿洗いをしていた僕に、リビングに座っている琴乃が聞いてきた。
残念ながら、僕のお財布に僕のプレゼントを買えるほどの余裕なんてなかった。
「もらってないな」
「え、そうなんですか。……兄さんは良い子ではないですもんね」
「失礼な奴だな。僕はもう大人だからサンタは来ないんだよ」
「何言ってるんですか。兄さんなんてがきんちょですよ」
「少なくとも妹に言われることではないな!」
まったく、誰がそのサンタをやってると思ってるんだ。
いやまぁ、それは俺がしたくてしてるんだから、そこを恩着せがましく言うつもりはないけれど。
「あ、兄さん」
琴乃はリビングのソファから立ち上がって僕を見た。
キッチンで洗い物をしてる最中だったけれど、とりあえず手を止めて琴乃を見返すことにした。
「なんだ?」
「今日、おでかけしてきます」
「ん? おう。わかった」
なんでそんな律儀に外に遊びに行くのを僕に報告するんだ。
いつも勝手に遊びに行って勝手に帰ってきてるだろうに。まぁ、そんな遅くまで出かけたりしないし、ちゃんと夕ご飯までには帰ってきて一緒にご飯の準備をするわけだから、僕も今まで別に文句を言ってこなかったわけだし。
まだ頭にハテナを浮かべている僕に、琴乃は言葉を続けた。
「帰りが遅くなります」
あぁ、なるほど。
そういうことね。だから僕にちゃんと報告してくれてるわけね。
「あー、どれくらいに帰ってくるんだ? 遅くなるって晩御飯でも食べてくるんだろ? 小遣い足りてるか?」
まぁ、今日はクリスマスだ。
友達と一緒に騒ぎたい一大イベントでもあるだろうし、もしかしたらどこかでクリスマスパーティーと称してご飯を食べたりするかもしれない。
そんなことを思って、僕はいろいろ提案する。
する中で、琴乃の表情がいつもより真剣味を帯びていることに気が付いた。遅くなるだけの連絡でこうはならないか。
……そう思って、僕は琴乃に彼氏ができたことを思いだした。昨日あれだけ話をして、忘れるはずもないことを、すっかりと忘れていた。
今日はクリスマス。恋人たちの白い聖夜だ。
なんとなく、合点がいった。
「はい。外食します。お小遣いは大丈夫です」
そういって、ぐっと琴乃は口元を引き締めた。
なにかを覚悟するかのように、ぎゅっと手も握りしめて。
「はいよ。じゃあ僕は今日寂しく一人で食べるよ。それで、いつ帰ってくる予定なんだ?」
僕の問いかけに、琴乃は少しの沈黙の後に答えた。
「明日の、朝に帰ってきます」
…………。
僕は手に持っていた洗いかけのお皿を置いて、蛇口を止める。キッチンとリビングに沈黙が訪れる。
「……誰とだ?」
思ったよりずっと冷たい声が出た。自分でもびっくりするくらい冷たく低い声だ。
琴乃は僕の言葉に、目を伏せ、深呼吸するかのように、静かに息を吸い込んだ。
「……彼氏と、です」
「だめだ」
即座に僕は答えた。
「泊まりはダメだ。帰ってきなさい」
「……なんでですか」
「お前はまだ中学生だ。ましてや小学校上がりたての1年生。そんなお前が彼氏と泊まりなんて早すぎるし、なにか間違いが起こったらどうするんだ」
「間違いなんて起こりません」
「言い切れる根拠がない。それに、相手の親御さんはこの事を許可してるのか?」
琴乃は目を僕に合わせない。
ややうつむきがちで、両手を寝巻の裾を握っている。
「親御さんは、その、今日はいなくて、お兄さんだけが、いるような感じです」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
びくっと琴乃の体が震えた。怖がらせるつもりはないんだけど、つい語気が荒くなる。
「親御さんは、知っているのかって聞いてるんだよ」
「それは、分かりません……」
ふう。
小さく息を吐く。落ち着かないとダメだが、だめだ、落ち着かない。
あの琴乃が、いつも冷静で落ち着いていて、しっかり物事を考えれる琴乃が、今どう考えてもおかしい行動を取ろうとしている。
これが恋は盲目というやつなのか。それ以外はあり得ないだろうけれど、僕の言葉に若干言い訳がましく答えてくるけれど、なんというか「反抗的」というより「悪いと分かっているけど」という部分が見え隠れしている気がする。
その目を伏せて話す態度がまさにそうだ。
あの琴乃にしては珍しい。珍しいのだ。
「もう一度いう。ダメだ。もう少し大きくなってからにしろ。せめて、僕らの家に父さんと母さんがいるときにしろ。今はダメだ」
「…………」
「晩御飯を食べて、遅くなるのは構わない。それでも9時までには家に帰りなさい。わかったか?」
「…………」
琴乃は頷かなかった。
ただ黙ってその場で立ち尽くし、僕の視線がいたたまれなくなったのか、駆け足で自室に戻っていった。
本当に分かったのかもう一度名前を呼んで「話は終わってない」と言ってもよかったかもしれないが、琴乃も僕に強く言われて落ち込んでいるところもあるだろう。
ましてや、昨日彼氏の話で微妙な空気になっていたところだ。
僕に前以て許可を取ろうとしたあたり、完全に開き直っているわけでもない。少し落ち着く時間がいるんだろう。あの子もちゃんとした女の子で、年頃の女の子なんだから。
……でも、僕も僕で、本当にあれでよかったのか分からない。
間違ったことは言っていないだろうが、間違った伝え方をしてしまっているかもしれない。
……洗い物が終わってリビングで一人座り、黙々と考えていたが、僕にはそれを判断することはできなかった。
だから、頼ることにした。友達に。
今年の夏休み。どうやって連絡したらいいか悩んで、結局できなかったあの頃とは違って、何も迷うことなく、躊躇なく電話を掛けた。
僕が胸を張って友達と言えて、僕のことを友達と言ってくれた。ヴァイスに。
★ ☆ ★
「なははは、こんな聖なる日にお誘いを受けるなんて、期待してもええんやろか?な?」
「悪いけどプレゼントはないぞ」
「なははは、そういうつもりやなかったけどまぁええわ。どないしたんや少年。こんな日にうちと過ごすとかほんま暇人やねんな」
「暇人ではあるけどな」
実際、予定がなかったわけだしな。
あの後、ヴァイスに今日時間が無いか聞いたところ、ヴァイスは即答で「ないわけないやろ」と半笑いで返してきた。
ないわけないとは思わなかったけれど、どうやらヴァイスも僕と同じ非リア充らしい。さらに仲間意識が湧く。
とりあえず、いきなり相談したいことがある、なんて言うのもあれだなと思い、「遊びに行こうぜ」と言ってみたところ、ヴァイスはあっさり快諾。
こうしてクリスマスのカップル蔓延る外で待ち合わせたわけである。
「まぁ、待ち合わせ場所がゲームセンターってところが、いかにも少年って感じやな!」
「どういう意味だよ!」
俺らが待ち合わせするならここが一番分かりやすいだろうが!
「まぁ、ええわ。遊ぶ言うたらゲームセンターくらいやろしな」
「いや、ゲームセンターの前にちょっと腹ごしらえしようぜ」
「腹ごしらえ……? まだ10時前やで? 少年、朝ごはん食べてへんのか?」
怪訝そうな顔をされた。
ヴァイスからしても特に腹が空いてるわけではないのだろう。僕だってそうだ。トースト食べたからな。真っ黒な。
今回の僕の目的が遊ぶことではなくて、相談事であるということをまだ伝えていないから、ゆっくり話せる喫茶店とかに行きたいという僕の思惑は、全く理解できないことなのだろう。
ゲームセンター入る気満々だったみたいだしな。
「少しな、話を聞いてほしいんだ」
「……ほう?」
「相談ってやつだよ」
「おおぉ! なるほど! やっと合点がいったわ!」
なははは、と笑いながら僕の背中をたたいてくる。
「任せとけ任せとけ! お姉さんがぱぱっと解決したるわ!」
「んじゃ、期待させてもらうわ」
ヴァイスはにんまりと笑うと、帽子を外して髪の毛を片手で整え直した。
帽子をかぶり直すと、きりっと真面目な顔をして、僕に目を合わせてきた。
なんだ。
「……ふふ、だめや、真面目にしよう思ったけど無理やわ」
そう言って、また目を細めて笑い出した。なんだこいつ。
「よかったよかった。少年もやっと笑ったな」
「え?」
ヴァイスは笑いながら僕にそういうと、僕の肩に片手を置いた。
笑ったって、え、俺そんな真面目な顔してたか……?
「ものごっつ暗い顔してたから、少しでも笑ってくれてよかったわ。あれやろ? 例の妹さんの件やろ?」
なんでわかるんだよこいつ。
「少年は分かりやすいからな」
そういって、ヴァイスは僕の肩に置いていた手を僕の腕に移して、掴んできた。
そのまま歩き出す。ヴァイスに腕を引っ張られる形で、僕はヴァイスに連れられる。
その光景に、周りのすれ違う人の視線が若干痛い。
「おい! どこ行くんだよ!」
「あれやろ? ゆっくり話したいんやろ?」
僕の問いかけに、ヴァイスは振り向かずに答えた。
「うちの家で話そうや」