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5日目





 私が、周りの人達と違うと思ったのは小学生高学年になった時でした。

 人それぞれ個性がある、とか。

 みんな違ってみんな良い、とか。

 そういう道徳の授業でよく聞いた当たり前の倫理観のお話ではなく、私が異質であると感じ始めた時の事です。どうして今そんな過去の事を思い返しているのか私もよく分かりませんが、行き詰った今の私の脳みそにも多少の休息が必要ということなのでしょう。そういうことにしておきましょう。


 私は昔から他人と接するのが苦手でした。

 感情表現が苦手だったことも一因でしたが、そもそも私は他人に興味を持てません。

 隣の席になったクラスメイトも、今となっては名前も顔も一致していますが、当時の私は正直それも危ういところがありました。それほどに他人という存在は私にとって不要なものでした。


『琴乃ちゃん、私たちと話すのつまらない?』


 ええ。つまらないです。


 そんな私でしたが、他人以外には興味津々でした。つまるところ、兄さんの存在です。

 幼い頃から私の傍にいる兄さんは、いつだってバカでした。いつもお母さんとお父さんに怒られているダメダメな兄さんでした。ですが、兄としては満点の兄さんでした。


 誰よりも私に優しくして、誰よりも私のことを考えてくれる。結果的な行動の善し悪しは置いておいて、その理由にはいつも私を笑わせたいという理由が存在していました。

 笑顔を見せない私に対して、嫌気をさすわけでもなく、面倒くさそうにする訳でもなく……。そんな兄さんは私にとって自慢以外の何物でもありませんでした。


 今思い返すだけでも恥ずかしい話ですが、小学生の頃は兄さんについていってばかりでした。

 どこに行くにも兄さんにべったりくっついて、お風呂さえも一緒に入っていましたし……それこそ中学生になるまでは。

 そう、中学生になるまでは。


 異質である私ではありましたが、しっかり人間でして、ちゃんと中学生の女の子でして。

 思春期の到来によって、私は兄さんと距離を置くようになりました。何かきっかけがあったかと聞かれると、特に思い付きませんし、それこそ思春期だからとしか言えないのですが、異性である兄との距離感が私が中学生になる時を機に変化しました。


 しかしそこは流石と言うべきでしょうか。バカ代表の兄さんです。そんなのお構い無しです。私の思春期特有の感情の起伏などものともせず、正面突破でぶち壊します。

 兄さんはいつだって兄さんです。バカでマヌケで少しえっちで。でもどんな私に対しても自慢の兄でいてくれる。

 私を笑顔にしようといつも笑うんです。


 だからこそ兄さんの言葉には信憑性があります。

 私がどんな私であったとしても、兄さんは私の兄であり続けるのでしょう。例え私が兄さんを拒絶しても、兄さんは私を笑顔にするためにあの手この手でバカみたいに突進してくるのでしょう。


 昨日のように、これまでのように。


 私の気持ちなどお構い無しに。


 ウザイです。気持ち悪いです。過保護です。関わらないでください。ほっといてください。

 残酷だと思いませんか兄さん。

 どうして兄離れさせてくれないんですか、どうして私を拒絶しないんですか、どうして私の気持ちを断るくせに愛してるなんて平気で言うんですか。


 どうして私はまだ兄さんのことがこんなに好きなんですか。




 ……兄さんを好きと自覚したのはいつだったでしょうか。


 中学に入り、私は自身の異質性に対してある回答を導き出しました。

 他人に興味が持てず、感情を表に出せない私でしたが、1つ気づきがあったからです。

 人は感情を嘘で塗り固めて、言葉を発することが出来ることを知りました。心から笑えずとも、心から共感出来ずとも、喜怒哀楽を表情に出せることを知りました。齢12歳にして、私は社交性を身に付けました。


 たったそれだけで私の周りには人が溢れました。

 私は存外、嘘が得意だったようです。小学生の頃、私を敬遠していたクラスメイトですら、過去の確執を忘れ、私のそばで笑うくらいに。


 告白されることも増えました。

 大して関わってもいない異性が、必死に私に手を差し出して求愛してきます。

 社交性を身につけた私は、嘘を覚えた私は、優しい笑顔を作って優しい声色を可能な限り作って、興味のないその異性に答えます。


『ごめんなさい。私には好きな人がいるんです』


 取って付けたような嘘でした。

 好きな人。誰ですかそれは。好きな他人ということですか?

 でも、一番手っ取り早い否定の回答だったんです。掘り下げられても「恥ずかしい」とか適当な理由をつけて誤魔化すことが出来て、告白を受け入れない正当な理由。


 興味のない有象無象を振り払うのにこれ以上楽で簡単な文句はありません。


 お母さん、お父さんもそうです。私が表情を作るようになると笑いました。喜びました。

 両親が私の異質性を心配して、色々と気にかけてくれていたことを知ってます。だから、私が友人に囲まれて学校生活を過ごしていると知ると私を祝福しました。

 私も悪い気はしませんでした。お母さんとお父さんは他人では無いです。有象無象のひとつではないです。大事な大事な家族です。家族が喜んでくれるのなら私は嬉しいです。


 では兄さんもそうでしょう。

 私がこうして嘘を覚えて、社会に溶け込むことが出来て大いに喜ぶことでしょう。大好きな妹が表情を作ることを覚えたのですから、そうでしょう。


 ……でも違いました。兄さんだけは違いました。


 いえ、結果的には、結論で言えば、兄さんも両親と同じではあるんです。喜んでくれて祝福もしてくれて……でもなにか違いました。何が違うのでしょうか。この違和感はなんなのでしょうか。


 ……そう、兄さんは変わらなかったんです。

 小学生までの無表情で感情の起伏にあわせて、いわば偽らずに素直に異質性を放ち続けていた私と、中学生からの表情を表し、感情の起伏に支配されず、いわば嘘で塗り固めて社交的になった私。双方ともに、兄さんは等しく接したのです。

 相変わらず私のためにバカをして。相変わらず私のために体を張って。相変わらず私のために動くその姿は、何も変わってなんてなかったんです。


 馬鹿らしくなりました。

 私が必死に覚えたこの世渡り術を何事も無かったかのようにして、兄さんは相変わらずバカをしています。

 この人に私の嘘なんて意味は無い。嘘で塗り固めた表情の仮面を付けても付けていなくても、兄さんは兄さんのままで。

 私を、笑顔にしようと動くのです。


 バカみたい。アホくさい。

 なんなんでしょうこの人は。


『あははっ』


 笑いました。いつぶりだったか、最早覚えていないレベルで、感情に合わせて笑みが零れました。

 涙が出ました。兄さんがバカすぎて、お腹がちょちょ切れそうになりました。

 ……嬉しいと、心の底から思いました。

 きっと、私の初恋が始まったのはそこだったのでしょう。



 ☆  ★  ☆



「兄さん……」


 うわ言のように兄さんを呼ぶのは今日で何度目でしょうか。

 ベッド寝転んだまま、枕元のスマホを拾いあげて時間を確認します。もう昼過ぎです。

 遮光性の高いカーテンによって太陽の光が遮られた室内は、カーテンの裾から漏れる光のみに照らされて、薄暗いままです。

 私はゆっくりと上体を起こしました。起こして両膝を抱えて座ります。


「兄さん……」


 兄さん。

 私、兄さんに見放されるのが怖かったんです。

 兄さんに恋して告白して振られて、私は兄さんの彼女になることが出来ず、そして、妹ですら無くなってしまって、兄さんと他人になるのが怖かったんです。

 兄さんが私を笑わせるために行動しなくなる事が怖かったんです。

 他人になった私に興味が無くなるのが怖かったんです。

 だって、兄さんが私のそばにいてくれるのは、兄さんの妹だから。私が妹だから、大好きな妹だからそばに居てくれるんですよね。

 だから、だからこそ私は、なんとしても妹に戻らないといけない。兄さんの、大好きだった妹に。


『何があっても、例え世界がみんな琴乃を責め立てたとしても、僕だけは絶対に琴乃を守る。琴乃のそばにいる。何があっても、どんな事があっても琴乃は俺の大事な妹だ! だから、背負い込まなくていい』『琴乃が僕にどんな感情を抱いたとしても。拒絶でも恋慕でも、なんであろうとも僕は琴乃を愛してる。僕はずっと琴乃のお兄ちゃんだ』 


 ……短絡的な考えでしたと、今なら思います。

 あのバカな兄さんが、私の告白程度のことでその本質を揺らすことなんてあるはずないでしょうから。


 では、私はどうするべきでしょうか。

 私の行動は、どう収拾をつければいいのでしょうか。


 翔真くんのこともそうです。

 彼の好意を利用して、私は自分の気持ちを偽っています。兄さんへの恋心に嘘をついて、翔真くんの恋心に乗っかっています。


 グイグイと距離感を縮めて来る割に、行動原理は私が喜ぶかどうか。私が反応したものには必ず反応し、次の日には私よりも詳しくなってくる熱量。

 翔真くんは他の人達とは違う。

 まるで兄さんのように立ち振る舞うその姿に全く興味を示さなかったといえば、嘘になります。


 もしかしたら、私の兄さんへの想いに対する何かのきっかけになるかもしれないと。そういう期待を持ちました。

 私は自分本位に、私と兄さんの関係性のためだけに、翔真くんの告白を受け入れ、恋仲となりました。


 なんと自分勝手なことでしょうか。どこまで嘘を重ねていくのでしょうか。


 それでも、彼は言いました。


『なんだってやる』


 兄さんもそうです。


『なにがあっても』


 私がどう思っていようと、私がどう立ち振る舞おうと、きっと兄さんは、翔真くんは、私を見捨てないのでしょう。

 翔真くんの言葉に対する信憑性は、正直信じきれないところが殆どですが、それでも期待してしまうのはやはり兄さんに似ているからなのでしょう。


 兄さんなら私を見捨てない。

 だから、彼も。見捨てない。


 そう考えてて思い至ります。


「……私って、今すごく恵まれてますね……」


 贅沢な話ではないですか。

 兄さんと翔真くんが、私のためにそう言ってくれているのです。

 私なんかのために、こんな異質で不完全な人間のために、そんな言葉を言うんです。


「……兄さん」


 壁越しに隣の部屋の兄さんに呼びかけます。

 こんな声量では兄さんが仮に部屋にいたとしても届くわけないですが、それでも。

 というか、聞こえていては困ります。恥ずかしいですから。


「好きです、兄さん。大好きです、兄さん」


 覚悟を決めましょう。

 私を想ってくれる二人のために、ワガママになりましょう。

 感情を欺かず、表情を偽らず、等身大で異質な私だけれど、あの二人ならばなにがあっても見捨てないと信じて。


「兄さん、わがままを聞いてください」


 だって、兄さんはいつも言ってましたよね。

 兄にわがままを叶えさせるのは、妹の特権だって。

 なら、叶えてくださいよ。兄さん。


「私、兄さんのこと好きなままですけど。それでも―――」


 ねぇ、兄さん。


「――私を愛してください」


 愛してますよ、兄さん。





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