4日目(兄妹喧嘩 後)
ヴァイスと翔真くんの介入により、一旦落ち着いた僕と琴乃は数分後、ちゃぶ台で再度対面した。
僕の隣にヴァイス、琴乃の隣に翔真くんという構図で、まるでそれぞれの保護者が同席した状態での子供同士の喧嘩ようだ。
兄妹間の喧嘩の仲裁に入ってもらい、ましてや翔真くんは僕より年下なのだと思うと居た堪れない。
「取り乱して、すいませんでした」
琴乃が静かに言った。まだ時折鼻を鳴らしているが、声色は平常時に戻りつつあった。
「なははは、ほんまびっくりしたで。少年から聞いてた妹ちゃんの人物像と掛け離れてたから面食らってもうたわ」
「……少年?」
「あぁ、妹ちゃんの兄さんのことや!」
妹の問いかけにヴァイスが僕の肩をバシバシと叩く。
「まぁきっと、妹ちゃんがそうなるくらいのお話やったんやろうけどな」
ヴァイスは僕と琴乃の関係を知らないように振舞っている。恐らく琴乃に気を遣ってくれているのだろう。
翔真くんという琴乃のコミュニティの人間もいる。それこそ迂闊な発言は琴乃の日常生活に大きな影響を与えてしまう。
「でも少年、ここは他人の家で尚且つ夜中やで。もう少し静かに話せんとな?」
「そうだな、面目ない」
つい熱くなってしまった。未だにビンタされた頬がヒリヒリと痛む。
「ほな、うちらはまた席外すけど、今度は静かに話すんやで?」
ヴァイスはそう言って立ち上がった。
うちら、というからには翔真くんも含まれているのだろうけれど、その翔真くんに立ち上がる様子は無い。
何か考えるように目を伏せていた翔真くんは、あろうことは隣に座る琴乃の手を取った。待て、なんで今手を取るんだよ。
「琴乃ちゃん」
「はい?」
翔真くんの呼び掛けに琴乃が首を傾げて返事をする。
やはり翔真くんに対しては分かりやすい表情を作るようで、僕と相対する時とは違い、露骨に疑問そうな顔を浮かべていた。
「琴乃ちゃんはいつもどこか壁があって、きっとまだまだ俺に対して気持ちを許してくれてないってのは分かってるんだ。俺の告白を受けてくれたのだって、俺と両想いだったなんてことがないことも分かってる」
「……え、翔真くん、ちょっと待ってください。私は……」
「大丈夫。わかるよ。そこまで俺も盲目じゃないよ」
盲目じゃない。
恋に盲目ではないと。
少し慌てる姿を見せる琴乃の様子を見ながら僕はじっと耳を傾ける。ヴァイスも同様のようで、立ち上がったまま、その場から動かない。
「今日も、俺が強引に泊まろうなんて誘っちゃったせいで、迷惑をかけちゃったって思ってる。俺、焦っちゃってさ。琴乃ちゃんと付き合えて、まるで夢みたいで。だから、その、色々焦って、迷惑かけちゃったなってさ」
「そんなことありません。……今日は私も考えた上で来ました。自分の意思で、ここに来ました。決して翔馬くんに流されたわけじゃなく……。私が、兄さんの反対を押し切って、ここまで来ました」
「……そう言ってもらえたら、俺もすごい嬉しいんだけど……。でも、琴乃ちゃんはきっと、たくさんあるんだと思うんだ。そのなんていうか……考えてることっていうか、悩んでることっていうか、……今日の泊まりの話以外に、もっと大きななんかを」
中学生の少年であろうと、いくら社会的仮面を被った琴乃を相手にしていようと、垣間見えていたのだろう。翔真くんは、琴乃の心のひずみに気づいていた。正確には今日気づいたのかもしれないけれど。
そう、僕以外であろうと、気づく奴は気づくのだ。
「何かを押し殺してるみたいっていうか……あ、別にそれが嫌ってわけじゃないんだ! それは誤解しないで欲しい。ただ、少しでも琴乃ちゃんのそういう重さ? みたいなものを僕が少しでも紛らわせたり、軽くできるなら、なんだってやるっていうか……その……今日もその一環だったっていうか……強引だったし、迷惑かけちゃったけど、えっと……なんていえばいいのかな」
「……はい。わかります。何を伝えたいかは、なんとなく分かるので、大丈夫です。翔真くん」
琴乃はそう言うと、自分の手を握る翔真くんの手を両手で握り返した。
「確かに私は色々と翔真くんに話していないことがあります。そう言ってもらえた上で言いますが、きっと、この先も今私が抱えてる想いは、翔真くんには話しません」
「構わないよ。別に詮索しようなんて思ってない。琴乃ちゃんの助けになるなら、全然いいんだ」
翔真くんの視線と琴乃の視線が重なっている。
琴乃の目はいつの間にか、いつものようなジト目に変わっていた。大泣きした影響で目元はやや赤くなっているが、そのジト目は僕のよく知るジト目だった。
つい数分前まで翔真くんに分かりやすいように作り変えていた表情をすべて剥ぎ取り、何を考えているか分からないような無表情で。
真剣に、翔真くんを見つめていた。
「……話に口を挟んで悪いんだけどさ」
その二人に話しかけたのは、部屋の襖にやや体を預けた切れ目のお兄さんだった。
「とりあえず、こういう事態になってるわけだし、今日は家に帰りな。色々事情があるようだし、ちゃんと話し合ってきた方がいい」
「それはそうやな、迷惑もかかる」
ヴァイスもそれに賛同する。
僕もそれに反対する理由なんてなかった。
琴乃も意固地になって反対なんてする訳もなく、「はい。分かりました」と素直に頷いて帰り支度を整え始めた。
☆ ★ ☆
帰路は琴乃と一緒に歩いた。
ヴァイスの車で送ってもらいたかったが、ヴァイスの車の後部座席は人が乗れるような状況では無い。
申し訳なさそうに笑うヴァイスであったけれど、そもそも僕ら家族の問題にここまで付き合ってくれただけでも十分助かっているんだ。
今度、お礼に後部座席の片付けの手伝いでもしよう。
車で片道5分ほどだった道を徒歩十数分かけて僕達は自宅に帰ってきた。僕たちの間の距離は依然として開いたままで、沈黙を貫いたままの帰途となった。
時間は既に23時。いつもの琴乃ならば既に寝ている時間帯。
このままリビングで継続して話を続けるのは、流石に琴乃に酷だろう。
また後日、ゆっくり話そう。
「琴乃、今日はとりあえず――」
「兄さん、ごめんなさい」
玄関とリビングを繋ぐ通路の間、2階に続く階段で琴乃は僕の言葉を遮った。
「……うん、僕もごめん。色々言いすぎたよな。いくら心配だからって琴乃のやることにごちゃごちゃ言い過ぎたと思う」
「いえ、兄さんの反応はごもっともです。私が自分勝手なだけでした。ごめんなさい」
当然のことだけど、空気が重い。
「…………」
「…………」
「兄さん」
「なんだ?」
「こんな迷惑をかける妹、嫌ですよね」
「……あのな琴乃。何があっても、例え世界がみんな琴乃を責め立てたとしても、僕だけは絶対に琴乃を守る。琴乃のそばにいる。何があっても、どんな事があっても琴乃は僕の大事な妹だ。だから、そんな背負い込まなくていい」
目線を合わせてくれない琴乃に、僕は続ける。
「むしろ、ずっと琴乃に助けられてた。夏休みからずっと琴乃に甘えてた。本当は僕がちゃんとすべきだったのに。なぁなぁにしたまま、琴乃にずっと我慢を強いらせてたよな」
「……いえ」
「僕は変わらないよ琴乃。琴乃が僕にどんな感情を抱いたとしても。拒絶でも恋慕でも、なんであろうとも僕は琴乃を愛してる。僕はずっと琴乃のお兄ちゃんだ」
「……少し時間をください。自分の気持ちを整理したいです」
そう言って、琴乃は階段を上がって行った。
足音が遠ざかり、琴乃の部屋の扉が開いて閉まる音が聞こえるまで、僕は階段の上を見たままだった。