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4日目(兄妹喧嘩 前)

 



 怒りでも悲しみでもなく、湧いてきた感情はドロドロとした失望だった。

 琴乃が帰宅しない可能性は想定していたのに、それでもやはり夜の9時を超えた自宅に琴乃の姿がない現状を見て、僕は裏切られたような喪失感を得ていた。


「どーするん、少年」


 項垂れる僕にヴァイスが声をかけてくれる。


「……分かんねえ」

「帰ってくると思ってたん?」

「お前は帰ってこないって思ってたのかよ」

「帰ってくる可能性の方が低いやろなぁって思っとったよ」


 はは、なんでもお見通しってか、くそ。

 僕はテーブルに置いているスマホを手に取って、琴乃の電話番号を連絡帳から選ぶ。電話を発信しようとして、その指をとめた。

 ……なんて伝える?早く帰ってこいって伝えるのか?どこで何してる?兄との話をすっぽかしたまま、彼氏と仲良く朝まで過ごすってのか?琴乃は僕の事、そんなに大切に思ってないんじゃ。


「少年」


 ヴァイスが僕を呼んで、僕の手からスマホを引き抜いた。

 画面を消して、それをテーブルに置くと僕を抱きしめる。


「少年の顔を見とると何を考えてるのか(おおよ)その検討はつく。でも大丈夫や。あんたらはそんな柔い繋がりやあらへんよ」


 不本意やけどな、とヴァイスは最後に言って僕から離れた。

 彼女の香りはどうしてこうも気持ちが落ち着くのだろう。


「ほな、妹ちゃんのとこ行こか」

「……は?今なんて?」

「なんや聞こえへんかったん?妹ちゃんに会いに行こって言うたんや」


 思考がついていけず、フリーズする僕を尻目にヴァイスは自分のスマホを取り出してどこかに電話をかけ始めた。

 数コール分程の沈黙の時間が流れ、ついにヴァイスが口を開く。


「すまんな夜中に。ちょっとええか?」


 相手は誰だ?琴乃?いや、ヴァイスと面識は一切無いはずだ。

 電話の向こうがにいる誰かとヴァイスは会話を続ける。


 あんたの家に中学生くらいのちっちゃい女の子おらへん?――そーそー、その兄貴と今おるんやけどな――えらい心配しとってさ、――――そー、そんな感じ。せやから、迎えに行こうと思うんや――いや、電話は代わらんでええよ。住所だけ教えてくれん?――メールに入れといて、うん。ほな。


 短い会話だった。1分かかったくらいだろうか。

 ヴァイスはスマホを耳から外し、そのままズボンのポケットの中に仕舞った。

 未だに動けない僕を見て、やれやれとヴァイスは笑うと僕の腕を引いて僕を立ち上がらせた。


「ほら行くで。しゃきっとしーや」

「ちょ、ちょっと待てよヴァイス。状況が呑み込めないんだけど!」

「妹ちゃんが帰ってこーへんと思っとったから、うちもうちでそれなりに考えとったって話や」


 ヴァイスがガウンを羽織るのを見て、僕も上着を羽織る。

 最早ヴァイスについて行くことしか出来ない。当事者であるはずの僕の思考が何故か置いてけぼりのままだ。

 落ち着いて考えさせてくれる間もない。ヴァイスは大股で玄関に向かい出した。後を追う。


「少年、要らんことは考えんでええ」

「要らんこと?」

「そうや、要らん事や」


 リビングの電気をつけっぱなしだったけど、僕らは玄関を出てガレージに向かう。

 真冬の真夜中の気温は0度に迫る。耳の先がキーン、と痛む。


「妹ちゃんの気持ちを考えながら、受け止めることだけを考えるんや」

「その、つもりだけど……」

「そうか?ほなええけど、間違っても「裏切られた」みたいなこと言うたらアカンで」


 数分前の僕の考えに釘を刺した。本当にこいつは僕の考えに対して凡その検討がついていたのだ。


「少年がまだ妹ちゃんに対して、「ちゃんとした妹」である仮面を信じてしまうことは分かる。今日の今日で急にその考えを無くすのは無理やろうし。せやから、とりあえず今は要らん事を考えるな」


 ヴァイスと共に車に乗り込む。

 確かにヴァイスの言う通り、僕はまだ琴乃の事をちゃんとした妹として見ている。これまでいい子だった琴乃と同じように、今日もまた、いい子に帰ってくると。

 今朝、ヴァイスと話して気付かされたばかりだって言うのに、僕はまだ信じていた。これが盲信なのだろう。分かったつもりでも分かってなかった。気を抜けば、直ぐに僕は琴乃の強さに甘えてる。


 今の琴乃は「ちゃんとした妹」状態じゃない。


 きっと、脆く儚く崩れてしまいそうな仮面を必死に手繰り寄せて顔を隠してる。

 それを1番理解してるのは僕じゃないか。

 夏祭りの日のあの子を、僕は知ってるはずじゃないか。


「正念場や、少年。多分これまでの人生で1番のな」

「……ありがとう、ヴァイス」


 自然に出た感謝の言葉だった。

 数分前まであんな落ち込んでしまって、挙句の果てに琴乃に対して裏切られたとか僕のこと大切に思ってないとか、そんな事を思ってしまっていたのに。

 たった数分で、少ない言葉の中でヴァイスはどうしてこうも僕の気持ちを変えてしまうのだろう。


「なんや急に」


 車が発進する。琴乃の元に向けて。


「ええ顔するやん。ムカつくわ」


 なはははは。

 ヴァイスの笑い声が僕の背中を押してくれた。



 ☆  ★  ☆



 到着した目的地は思ったより近かった。車で5分ほどで到着する位置にあった。

 琴乃と会っていたあの男は西側の隣町のゲームセンターがホームだと言っていたから、西側の隣町まで行って、3、40分はかかると覚悟していたのに。

 家の風貌は完全に和風の平屋だった。それなり大きい敷地のようで、家を囲う塀は暗い視界の中では角まで見えない。


「ほないこか」


 なんの躊躇もなく、ヴァイスは呼び鈴を鳴らした。

 ごくりと、生唾を飲み込む。半端じゃない緊張感がある。足が震えてるような気がする。

 呼び鈴から程なくして、玄関の引き戸が開けられる。

 引き戸の先にはゲームセンターにいた例の切れ目の男がいた。


「悪いな急に」

「いや、構わないよ。こっちも悪いしな」


 男はヴァイスと一言交わすと僕に視線を向けた。


「初めまして、琴乃ちゃんのお兄さんですね」


 軽い会釈をしてくる男に僕も会釈を返す。

 琴乃ちゃんって馴れ馴れしく呼びやがって……。


「入ってください」


 男の背を追うように僕とヴァイスは家に上がった。

 僕の見立ては間違ってなかったようで、家の中はやはり広かった。大きな庭があり雪が草木に振り積もっているのを見ながら縁側を歩く。

 その間、僕達は一言も言葉を交わさなかった。

 ひとつの部屋の前。襖に遮られた部屋の前で、男は立ち止まった。立ち止まって、僕達に振り返った。


「この中に琴乃ちゃんはいます」


 そう言って、男はどうぞ、と手で入るように促してくる。


「少年」

「あ、おう。分かった」


 ヴァイスの一声で僕は襖の取っ手に手をかけた。

 ひとつ大きな深呼吸をする。琴乃と会うだけでこんなに気を張るなんて今まであっただろうか。

 今朝、琴乃と一緒に食事を摂っていたじゃないか。変わらない。いつもと、変わらない。

 ……違う。


 変わるんだ、今日、今から。


 僕は襖をゆっくりと開けた。

 やはり真っ先に視界に飛び込んできたのは琴乃だった。今朝と変わらない、可愛らしくて愛らしい琴乃が正座をして座っていた。

 畳の敷かれた居間でちゃぶ台越しに、いつものジト目と無表情さで僕を出迎える。


「琴乃……」

「……」


 僕の口から漏れた呼び掛けに、琴乃は反応しない。

 ただ静かに座っていた。そこで気づいた、琴乃から少し離れた所にもうひとり居た。正座をして座る人が。

 中学生くらいの男の子だった。生真面目に真剣な目で僕を見てくる。

 僕と目が合って、彼は意を決したように息を吸い込んで立ち上がった。


「初めまして、お兄さん!」

「え、あ、はい」


 思ったより大きな声で思わずたじろぐ。え、誰だこの子。


「琴乃さんとお付き合いさせてもらっています。翔真(しょうま)といいます、よろしくお願いします!」

「は?え、付き合う……?え?」


 僕は咄嗟に振り返った。

 まだ居間の入口に立つ切れ目の男を見る。あれ、琴乃はあいつと付き合ってるんじゃないのか?

 困惑する僕を見つつ、ヴァイスが笑いを堪えるように真剣な顔をプルプルふるわせていた。いや、隠せてないぞ腹立つなあいつ。なんだ、どういう……。


「翔真くん、少しだけ席を外してくれますか?」


 琴乃がゆっくりと言った。

 少し笑みを浮かべて、そう、穏やかな小さな微笑みを浮かべて、翔真と名乗った男の子を見つめて言った。

 彼は少し渋った顔をしたけれど、数秒も経たずに「分かった」と言って僕の横を通り抜けて居間の外に出て行った。

 それに合わせるように切れ目の男が襖を閉めた。襖越しの2人の影が離れるのを見て、僕は琴乃と二人っきりにしてくれたのだと悟った。


「兄さん」

「……あぁ」

「座らないんですか」


 琴乃の言葉に僕は琴乃の正面に置かれていた座布団に腰を下ろした。


「…………」

「…………」


 琴乃は少し顔を伏せて動かない。

 かく言う僕も何か言わなければと口を動かそうとするが、何を、何から話せばいいか整理がついておらず、もごもごと動かすだけで終わってしまう。


「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「…………琴乃」


 ぴくっと琴乃の肩が動いた。


「その、楽しかったか。今日は……」

「……はい、楽しかったですよ」

「そっか」


 再び沈黙に戻ってしまう。


「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

「……………………」

「………………兄さん」


 今度は琴乃からだった。

 相変わらず目を合わせてはくれないが、僕は琴乃の可愛いジト目を見つめる。


「なんだ」

「…………怒らないんですか」


 怒っていた、と思う。いつもの僕なら。

 今朝の僕ならば間違いなく琴乃を叱っていた。兄として、琴乃の間違いを責めていたはず。

 でもそんな気持ちには到底なれなかった。怒りなど、どこにも湧いてこなかった。

 琴乃の本心を知りたい。僕には今、その想いだけしかない。

 琴乃は今何に苦しんで、僕は何をしてやれるのか。


「怒らないよ。せっかくのクリスマスで、初めての彼氏との楽しい夜だ。時間を忘れてしまうなんてよくある話だろ」

「まるで、兄さんには経験があるみたいに言うんですね」

「僕にそんな相手がいないことは、琴乃がよく分かってるだろ」

「……そうですね」

「なぁ、琴乃」

「……なんですか」


「お前今、幸せか?」


 琴乃は答えない。

 僕の質問に対して特に何か反応を見せることも無く、ただ静かに動かない。

 数秒、十数秒の沈黙。それがもう答えであるとわかった。琴乃の沈黙には、いつだって意味がある。


「ごめんな琴乃。僕が不甲斐ないばかりにさ」

「……兄さんのせいでは……」

「色々無理してきたんだよな、あの夏祭りの日からさ。なのに琴乃の事考えてやれずに、今朝も一方的に色々言っちまった……。兄として情けない」

「……兄として、ですか」


 琴乃は小さくそう呟くと、やっと僕の目を見た。

 無気力で感情の籠っていない目は相変わらずだけれど、こうして目線を交わすとわかる。

 お前……なんて顔してんだよ。息苦しそうな、諦めてしまったかのような。


「琴乃!教えてくれ、僕は琴乃に何をしてやれる?」


 つい焦ってしまう。

 こんな琴乃の顔は見た事がない。そんなに、何がお前を追い詰めてる?僕への恋心の諦念?違う、そんな顔じゃない。もっと大きな。何かを失ったかのよな。


「兄さんは、私を妹だと思えますか」

「当然だろ!僕は琴乃の兄さんで、琴乃は僕の大切な妹だ!!」

「私は、私は……」


 琴乃は目を伏せて、何度か小さな呼吸をしてから、大きく深呼吸をした。

 今から発する言葉を打ち出すための力を貯えるように。言い切る気持ちを整えるように。

 そして琴乃は僕を見据えた。その目は酷く揺れていて、その声は、どこまでも震えていた。


「私は、兄さんを兄ともう思えません。思えなく、なりました」


 ――――。

 声が出ない。琴乃の言った言葉が理解出来ない。グルグルとその言葉が僕の頭を反芻するけれど、何度噛み砕いて、理解しようとするけれど、混乱するばかりだ。

 もちろん言葉そのものの意味としては理解出来る。だが、その言葉が受け入れられない。脳が拒絶してるように、それを受け入れない。

 呼吸が詰まる。握った両手の手汗が気持ち悪い。体が動かない。


「兄さんに告白したあの日から、私は兄さんと兄妹ではなくなったんです……私がこの気持ちを持ち続ける限り、兄さんは、兄、さんは……私のあに、じゃ――」


 ――うわぁぁぁあああああああああぁぁぁ。

 琴乃が大声を上げた。号泣していた。あの琴乃がいつものジト目をギュッと瞑り、瞼と目尻の隙間から大粒の涙を溢れさせていた。

 最早号泣とはいえない。慟哭だ。慟哭と言って差し支えないほどに、その泣き声は僕の耳を劈く。突き抜ける。

 口を大きく開けて、まるで小さな子供のように琴乃は泣きじゃくる。


「こ、琴乃……!!」


 僕は琴乃に駆け寄ろうと立ち上がる。

 それを止めるように、琴乃は両手を僕に突き出した。こっちに来るなと、ハッキリとした拒絶を見せる。


「ぅわぁああ、がわら、っぁあ、ない゛とっ!!」


 喉の奥から絞り出すような声。()()()ように言葉を絞り出す。溢れる嗚咽を抑えながら、それでも溢れてしまう嗚咽に混じえながら、琴乃は僕に訴える。


「うぅ、わたし、はぁ゛、かわらない、っっと、ぅぐ」

「琴乃……」

「わたしはまた!にいさんを、っっ、に゛いさんを!!、兄さんと呼びたい!!!」


 ――あぁああああ!!

 一度決壊した感情のダムではもう琴乃自身の力で心を留めれない。

 壊れかけの仮面を付け替えながらいつもその下に隠してきた表情が浮き彫りになる。もういつもの琴乃の面影はそこには無かった。

 ただ泣き崩れて、ひたすらに自責の念に駆られ、どうしようもなく潰れてしまいそうな妹の姿しか無かった。


 僕の妹の姿しか無かったんだ。


「琴乃!!!」


 僕は琴乃を抱きしめた。

 嫌だ嫌だと抵抗する両手ごと、琴乃の体を抱きしめる。肩を抱き寄せ、暴れる後頭部を手で包み、琴乃の顔を僕の肩に抑え込む。


「やぁだ!っ離れて!ぅう、にぃ、さん!!」

「ダメだ、離さない。僕は琴乃の兄さんだ。何があってもお前を守る兄さんだ」

「違う!兄さんはぁ゛違う!」

「違わない!!僕はお前の兄さんだ!!」


 まるでパニックになったように暴れる琴乃を抑えつける。

 琴乃の泣き声や大声が聞こえたのだろう。襖が勢いよく開け放たれて、ヴァイスと翔真くんが走り込んでくる。


「少年!!!」

「琴乃ちゃん!!」


 ヴァイスが僕を、翔真くんが琴乃をそれぞれ掴んで、僕と琴乃の引き剥がす。

 邪魔だ!僕はヴァイスの腕を振り払って、翔真くんに抱きしめられて泣く琴乃に近寄る。なんでお前が今琴乃を抱きしめてるんだ。琴乃に触れるな、僕らの話にお前が入り込んでくるな!


「少年!!!!」


 ヴァイスが叫び声と共に、再度僕の腕を掴んだ。

 僕はそれを振り払う。触るな!今は僕と琴乃の時間だ!!!


「少年っ!!!」


 ヴァイスに肩を掴まれて、今度は無理やり振り向かされる。

 くそ、本当に邪魔だ鬱陶しい。いくらヴァイスでもいい加減に――――。


 バチンッ!!!


 は?

 一瞬思考が停止する。何された?頬を叩かれた?誰に?ヴァイスに?

 そのままヴァイスに抱きしめられる。腕ごと巻きとるように、僕を抱きしめる。


「少年っ!!……落ち着き!!」


 遅れてやってくる頬の痛みと、ヴァイスの鬼気迫る目に呆気を取られて、僕はやっと落ち着いた。

 僕とヴァイスの息遣いと、琴乃の泣き声が真夜中の居間で僕の耳に響いていた。





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[一言] とりあえず翔真くんは離れてもらおうか(過激派)
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