4日目(後)
僕達はヴァイスの車が停めてあるという賃貸の裏手の駐車場に入った。
もしヴァイスの車が外車とかだったら、ヴァイスの髪の色も相まりロックすぎて流石の僕もヴァイスに惚れてしまうかもしれない。
しかし流石にそんなことは無く、駐車場の一番奥に止めてあった青色のタントにヴァイスは乗り込んだ。
僕もそれに続くように助手席側に回り、ドアを開けた。
「おぉ?なんだこれ」
「あーー、すまんちょっと待ってや」
だが、助手席に僕の座れるスペースはなかった。
助手席に鎮座しているのは大きめのダンボール2箱。なんで車の中にまでダンボールがあるんだ。
ヴァイスは運転席側からダンボール箱をひょいっと持ち上げると後部座席に放り込んだ。文字通りに、放り投げた。
空だったらしいダンボール箱は簡単に後部座席に飛んで行き、後部座席に車の天井近くまで積み上げられているダンボールやら毛布やら何かしらの機材等のゴミの一部と化した。
「なんで車の中がこんなことになってんだよ!」
「なはははは、片付けるん忘れとってん」
急ブレーキをかけようものなら、後部座席から濁流のようにこのガラクタ達が僕達の後頭部を襲うだろう。
「はよ乗り!ちゃっちゃと行くで」
ちゃっちゃと運転してガラクタを崩さないでくれよ。
僕は助手席に座りシートベルトを締める。
「少年の家の住所教えてくれんか、ナビ出すから」
ヴァイスは僕に住所を聞きながらスマホを操作し、マップアプリのナビ機能を使用して、ナビが開始されたスマホをスマホスタンドに設置した。
サイドブレーキを上げて、アクセルを踏む……前にヴァイスは思い出したかのようにスマホをスタンドに設置したまま操作する。
画面的に音楽を流そうとしてるらしい。ヴァイスの音楽の趣味って何だろうか。マキシマムザホルモンとか好きそうなイメージがあるけれど、なんの根拠もなくあるけれど。
果たしてBluetoothで接続された車内のオーディオから流れた音楽はバッキバキの電波ソングだった。
「ええぇ!?嘘だろ!?」
「何や少年。このグループの曲好きなんか?」
「いやこのグループのことは知らんけど、選曲が意外過ぎた」
「可愛ええやろ、やっぱ可愛い女の子が歌う可愛い歌は堪らんわ」
へへへへ、といつもの豪快な笑い方はどこへやら。下心が見え透いたおっさんの笑みを浮かべたヴァイスは今度こそ車を発進させた。
「少年は趣味とかないんか、あ、妹ちゃんを愛でる以外で頼むわ」
「前以て確実に僕の選択肢を狭めるな」
趣味、趣味か。
しばらく考えたがそれらしい答えは浮かばなかった。基本家でダラダラと過ごしているだけで特別なにか打ち込んでることもない。
「ないな」
「つまらん男やなぁ」
「そう言うヴァイスは何かあるのかよ」
「色々あるで。最近はアイドルの推し活やな、あとキャンプとか好きやし、基本外で何かしてるのが好きなんよ。後ろに積まれてるのソロキャンプした時の名残やしな」
「これキャンプした時のやつなの!?」
僕は後部座席を振り返って、哀れなキャンプ道具たちを見る。なんて無惨な……。こういう道具って高いんじゃないのか……もう少し大事に扱ってやれよ……。
「大学の友達とキャンプしたりするの?」
「なはははは、せーへんせーへん。私みたいな奴はこういう田舎やと浮いてまうんやで」
「え、友達いないの?」
「プライベートで遊ぶ友達はおれへんな」
何だろう、仲間意識が出てくる。
クリスマスにぼっち極めてるヴァイスに共感してたところだったけれど、まさかここでも共感してしまうとは。
僕と違って陰キャという訳でもないんだけど、関西弁然り豪快な性格然り大学のメンバーとは馬が合わないのだろうか。
「あ、でも今はちゃうな」
何? せっかく僕が共感してたってのに、早速裏切るのかコイツ。
「少年がおるからな」
ヴァイスからのさも当たり前かのように発せられた言葉に僕は反射的にヴァイスを見てしまう。
ヴァイスは運転中の為、視線は前方に向けられたままで、特に変なことを言ったつもりも無いのだろう。いつも通りニマニマした顔のまま運転を続けていた。
小っ恥ずかしいセリフを良くもまぁそんな平然に。
妙なむず痒さに僕はヴァイスを見たまま黙り込んでしまう。
「静かにならんといてや!なんか恥ずかしいわ!」
僕が返事が無いことに耐えきれなかったヴァイスが声を張る。丁度赤信号で車を停止させたタイミングなのもあり、ヴァイスがこちらを向いた。
恥ずかしさを誤魔化す為か、なははは、と笑うがいつものキレとか豪快さは微塵もない。フェードアウトしていくように笑い声が小さくなる。
目が合って数秒。どちらからということもなく、僕達は目を逸らして前方を向いた。
……なんだこれ。恥ずかしい。
「……じゃあ今度、キャンプ連れてってくれ」
沈黙の時間がいたたまれなくて、言った。
特にキャンプをしたいとかそんなこと微塵も思ってなかったのだけれど、口をついて出た言葉だった。
「せやな!行こ!キャンプはええで少年!」
だけれど、僕の言葉に満面の笑みで返してくれるヴァイスを見ていると、こいつと行くキャンプは楽しいのかもしれないなと思った。
でも冬はスキーやで!、とキャンプだけでは飽き足らず、他の遊びにまで僕を巻き込もうとヴァイスは話し続ける。
普段ならば鬱陶しく感じるであろう興味のないアウトドアの話でも、僕にしては珍しく今日に限っては心地良かった。何故だろうか。
「友達と遊ぶ計画立ててる時って、いっちばん楽しいわ」
ヴァイスはそう言ってなはははは、と笑う。
すっかり聞き慣れた笑い声に僕の口角が自然と上がる。
そう、聞き慣れてしまったのだ、ヴァイスの笑い声を。
僕はきっとヴァイスと遊びに行くのが楽しみなのだ。
心地良さの正体は、コイツだった。
☆ ★ ☆
結論から言うと、自宅に琴乃は居なかった。
玄関に琴乃のブーツは無く、部屋にも一応行ったが、鍵が開いている上に無人だったので、間違いないだろう。
自宅のガレージのスペースにヴァイスの車を停めて、家の中にヴァイスを招き入れる。
僕の友達として女子を招き入れたのはヴァイスが初めてだ。招いたというか勝手に付いてきた訳だけれど、もっと言うと強引に連れてこられたレベルなのだけど、事情はどうあれ女子は女子。多少なりとも緊張はする。
「立派な家やなあ、お邪魔します」
流石のヴァイスも他人の家となると靴を脱ぎ散らかしたりはせず、丁寧に並べてから玄関を上がってきた。
「これってあれか、男友達の家で2人っきりってシチュエーションやねんな」
「……そうなるな」
「これはイケナイ予感がしてまうなあ?」
「僕にそんな勇気があると思ってるのか」
「うちはあるで」
「お前が襲う側かよ!」
童貞男子の家に肉食女子を上げてしまった……。
本来なら喜ぶべきシチュエーションなのかもしれないが、事情が事情なのだ、そんな喜んでなどいられない。
……待て。それだと僕は事情が無ければこのシチュを歓迎してるみたいになるじゃないか。ヴァイスとの「そういう事」を期待してるような。
待て待て待て待てやめろやめろ、せっかく出来た女友達になんてこと考えてるんだ!
僕は足早とリビングに向かう。
「少年の部屋に案内してくれるんやないの?」
「僕の部屋には暖房が無いんだ。寒いだろ」
「構わんけどね、どうせ暑くなるんやし?」
そう言ってリビングに入ってきたヴァイスが僕を後ろから抱き竦めた。後ろからの唐突な衝撃に倒れそうになるのを何とか耐える。もう少しヴァイスが大きかったら絶対に倒れちまってた。
ってか――なんでくっついて!
「な、なにしてんだよ!」
「暑くなることしようと思ってな?」
「ちょ、ヴァイス……!」
「少年も満更やないやろ?」
ヴァイスが僕のお腹に回した腕に力を入れる。
僕とヴァイスの密着する面積が更に増える。お互い上着を着てる為、分かりやすい人の柔らかさは感じにくかったけれど、首元にかかるヴァイスの吐息ははっきりと感じた。
首だけで後ろに振り向くと、目の前にヴァイスの顔があった。ボーイッシュだけれど、間近で見るヴァイスの顔はしっかりと女の子で、僕は思わずたじろぐ。
「……少年」
「な、なに……?」
「なははは、その反応が見れただけでヨシとしとくわ」
ヴァイスはそう言いながら、僕の体から離れた。
呆然としてしまう僕に対して、ヴァイスは特に動じた様子はなく、ガウンを脱いでソファに座った。
な、なんだったんだ今の……。
「すまんな、ちょっと確かめたかっただけや」
「なんの確認だったんだよ……」
「内緒や」
暖房をつけて間もなくのにも関わらず、僕の身体はすっかり火照っていた。確かにヴァイスの行動は僕を暑くしてくれた訳だけれど、その為だけにした訳じゃないだろう。
これも琴乃との事に関係がある事なのか??
疑問は尽きないが、とりあえず上着を脱ぐ前にトイレに行こうと思う。
その後、ヴァイスと自宅で過ごした。
僕の家に着く頃には昼時だったのもあり、冷蔵庫にあるもので簡単に僕が昼飯を作って二人で食べた。
さっきのハグについては一切お互い触れないまま、他愛もない話をする。ゲームの事、学校の事、趣味の事。話題を意識しなくても話が弾む。心地がいい。
昼ご飯を食べ終えて、二人でリビングのテレビでゲームをする。琴乃がほとんどゲームをしないため、家庭用ゲーム機でゲームをするのは僕一人だ。誰かと一緒に遊ぶ経験というのがほとんど無かった僕だ。これ以上に無くはしゃいでしまった。
ヴァイスとソファで笑い合いながら過ごして、時間は刻々と進んで行く。
もしかするとヴァイスは琴乃が帰ってくるまでの間、僕が独りで過ごさないように、余計な事を色々考えてしんどくならないようにしてくれたのでは無いか。
例えそうだとしてもそうでなかったとしても、それをヴァイスに確認するのは野暮な気がした。
だから僕はただ、ヴァイスと過ごす楽しい時間を満喫することにした。彼女が用意してくれた僕のための時間を、可能な限り、最大限に。
「少年。時計見過ぎやで」
「え、あ、すまん」
「謝るようなことやあらへんよ」
時間は既に夜の6時を回っていた。
ヴァイスとの時間を満喫すると言って、すっかり6時間以上も過ごしたのだけど、時間が経つにつれてやはり心は冷めていく。舞い上がった気持ちが落ち着いていく。
「すっかり外も暗くなってきたなぁ」
「……そうだな」
「どうや少年。あんたの中で妹ちゃんへの言葉は見つけたんか」
「……どうだろうな」
「曖昧やなぁ」
二人並んでソファに腰を下ろし、僕たちは目線を交わさない。
「琴乃の考え次第なところがあるというか、僕はどこまでいっても兄だから。伝えることは結局それしかないかなって」
「少年にとって、妹ちゃんはどういう存在なんや?」
「妹は妹だよ。大切で大事で尊い、僕の全てだよ」
「それを真顔で即答してくるんは、重症やなぁ」
ヴァイスから呆れた声が返ってくる。
僕がシスコンで周りから揶揄われるのはいつものことだ。その反応だって慣れたもんさ。
琴乃が小さい頃から僕はずっと琴乃の面倒を見てきたんだ。忙しい両親に代わって守り通してきたんだ。
僕が琴乃を大切にして何がおかしい。自分の事のように、むしろ自分よりも大切な存在だ。
兄として、人生の半分以上を妹に費やしてきて、それで妹を愛することの何がおかしいっていうんだ。
「うちには兄弟がおらんから、その辺の価値観は分からへんけど」
ヴァイスが言葉を選ぶように一拍置く。
「少年の妹ちゃんに対する感情というか考えいうんは、妹ちゃんの恋愛感情の比やないよな」
「どういうことだよ」
「まるで少年は妹ちゃんの事を、自分の存在価値そのものであるように言うんやなって」
僕はヴァイスの方に向いた。既にヴァイスは僕の顔を見ていて、視線が絡まる。
いつになく真剣な眼差しで僕を貫く。
「少年は、妹ちゃんが一緒に死んでほしいって言うなら、死ぬんとちゃう?」
「死ねるさ」
「あほちゃうか」
ヴァイスは吐き捨てるようにそう言った。
「それが愛情?ちゃんちゃらおかしいわ」
「……」
ヴァイスが僕の手を握ってくる。咄嗟の事で何も反応できなかった僕を置いて、その手を自分の方に引き寄せた。
まるで「そっちに行くな」と言わんばかりに。
きつい言葉で僕を否定しているはずなのに、怒りが沸かない。
それがなぜか。否定で突き放しているように見えるけど、その言葉の真意は僕を想ってのことだと思えるからか?引き寄せられる手に親愛感を得ているからか?
黙り込む僕にヴァイスは続ける。
「一緒に生きようって手を引くのが、あんたの役目やろ」
「……」
「兄として、兄妹としてブレないなら少年はきっと妹ちゃんの為に何でもするんやと思う。まるでそれは呪いや。執着や依存、言葉はきっと色々あるやろうけど、うちからしたら今の少年は妹ちゃんに憑かれとる。憑かれに行っとる」
「憑かれ……?」
「そうや。だってあんた自身は気づいてないんやからな。憑かれてるって言葉が一番しっくりくるんとちゃうか」
ヴァイスは元気なく笑った。力なく表情を崩した。
「だからうちがあんたの呪いを解いてやろうと思ってな」
「……は?」
そこでヴァイスの話は終わった。
煮え切らない終わり方だったから話をまだ続けたかったが、ヴァイスの表情を見るとそんな気も失せた。
これも、僕がさっき怒りが込みあがらなかった理由の一つになるんだろうか。
お互い沈黙する。自分の呼吸音と時計の秒針が進む音だけが耳に入る。
ヴァイスが家に来てから初めての沈黙。だが、別に煩わしいとは思わなかった。
未だに繋いだままの手は僕たち二人の体温で身体のどの部分よりも熱を持っていた。
そして時計の長針と短針が逆L字を指す頃になっても、琴乃が自宅に帰ってくることは遂になかった。