できなかった告白
『運命の出会いは、何か特別な予感のする日ではなく、いつも通りの日常に訪れる、って簡単に口にするけれど、リエ、ぼく達は、そうじゃなかったね……』
ぼくがリエを好きになったのは、小学5年の時だった。
はじめはただの同級生程度くらいにしか思ってなかったけど、ある日の体育の授業で体操服に着替える時、無意識にキミの姿が目に入って、その時、キミの乳房が私服からこぼれて、ぼくの目に、偶然にもその瞬間が視界に入って、ぼくはその時今まで知らなかった感情がこころの奥底から、まるで風船がふくらむように現れた。
その時の想いは決して欲望からくるものではなかった。
愛情でも恋情とも違う、不思議な感情だった。
中学に進学した時、幸運にも、ぼくとキミは同じクラスになった。
うれしかった。
キミは、肌が搾りたてのミルクのように白く、ショートカットの髪がいつもきれいに流れていたね。イタリア語の「アモーレ」という表現が、これ以上ないほど似合っていた。新学期、幸運なことに、キミとぼくは隣の席になった。
でもひとつぼくにはわからないことがあった。
それは小学生の時、キミのみょうじは「アオタ」だったのに、中学生になったキミは先生からもともだちからも、「スズモト」と呼ばれることになったことだ。
でも、
「どうしてみょうじ変わったの――?」
なんて気軽に聞けるほど、ぼくとキミの距離は近くなかった。
それにぼくはバカだったから、聡明なキミに気楽に話しかける勇気がなかった。
何かの映画で見たんだけど、いや映画じゃなかったかな、とにかく高校生が主人公のサッカーマンガ、そうだ、思い出した、マンガだ。そして単純で流されやすい性格のぼくはサッカー部に入部した。
本当は、野球部に入るつもりだったんだけど。
その理由は小学3年の時、プロ野球の阪神タイガースが21年ぶりに日本一になって、それが少年達のこころに火をつけたのだ。どんなにスポーツが苦手な小学生男子も、ゴムボールをプラスチックのバットで打つ。、グローブを使わない、自分たちだけの、野球にのめり込んだ。
しかし中学にあがると、多くの男子は、野球部ではなく、陸上部やバレー部やバスケ部に入った。それでもやっぱり男子が一番多く入部したのは、サッカー部、だった。
そしてリエ。
キミは女子バスケ部を選んだね。
ぼくのように中学からサッカーを本格的にはじめた新入部員は校庭ではなく校舎脇の小さなスペースで、2年生の「1年生指導係」の先輩のもと、サッカーの基礎を学んだ。
そして朝練(授業前の部活動)の時は、女子バスケ部員が、持久力を高めるための練習だったんだね、ぼく達が基礎練をするすぐ横を走っていたね。
リエ、キミはいつも、その先頭を走っていたね。
ぼくは練習中にもかかわらず、キミの走るその姿を見つめてしまったんだ。
ぼくもがんばろう。
ぼくは部活だけでなく勉強もがんばったんだ。
成績はどんどんあがり、先生達を驚かせた。
そして2ヶ月、3ヶ月、と時はすぎ、ある日のサッカー部の試合のこと、サッカー部の顧問の先生(監督っていった方がいいかな)がぼくの名前を呼んだ。
3年生中心のレギュラーチームの試合、ぼくは自分の名前が呼ばれることになんか天と地がひっくりかえるようようなことがない限りありえないだろう思って、先輩達の中にぼくと同じみょうじの部員がいるんだと思って、なんのリアクションもおこさなかったけれど、先生は、もう一度、ぼくの名前を、さっきより大きな声で、指名した。
ぼくは、
「あ、はい」と、信じられなくて、うわずった声で返事をした。
すると先生はサッカーのエースナンバーの「10番」のユニホームをぼくに手渡した。
1年生指導係の先輩が、ぼくを試合で使ってくれるよう推薦してくれてのだ。
試合がはじまると、ぼくは緊張しまくって、ほとんどボールに触れなかった。
そしてぼくは前半だけで交代させられた。でもうれしかった。
見てくれている人は見てくれている。
それは、古今東西、老若男女を関係しない。そういう天才的な指導者は、必ずいる。
さらに驚いたことに、その後のAチーム(レギュラーチーム)の試合でも先生はぼくを試合で使ってくれた。
しかしぼくは、よそ行きのプレーしかできず、先生の期待に応えることはできず、先生や先輩達を失望させてしまった。
それでもぼくはくさったりしなかった。
Aチームの試合に出られなくなっても練習には一生懸命励んだし、勉強の方もがんばって学年で、最高12位までのびた。
そして3年生が最後の夏の大会で、負け、引退すると、すぐに2年生中心の新人戦がはじまり、最初の試合でぼくはトップ下のレギュラーとして出場し、往年の名選手、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナのように相手ディフェンスをつぎつぎ抜き去りゴールを決めた。でもその試合の結果は、負け、だった。
『リエ……、すべてはキミに男として異性として認めてもらいたかったからだ』
中2の夏休みあけ、ぼくたちはとなりの席にはなれなかったね。でも、それから何度か席がえがあって、最後はとなりの席になれた。ぼくはうれしかった。
ちょっと覚えてないんだけど、ある授業の時、キミはしたじきを忘れたことがあったね。
それを見たぼくはキミにしたじきを貸したような記憶があるんだけど、ぼく達は2年生に進級して別々のクラスになって、結局そのしたじきをぼくが持っていないのだから、やっぱりぼくの記憶ちがいかな。
でも神様ってやっぱりいるんだね、ぼく達は3年生になると、また、同じクラスになれたんだから、ぼくは、幸運な男なんだと、今でも、そう思う。
キミと離れてすごして1年間は、すごく切なく、とても淋しかった。そしてぼくは、ずっと、キミを想っていたよ。
3年生の春の陸上競技大会。
ぼくはもっとも距離の長い1500メートル走に立候補し、誰にもなんの有無をいわせず、当選した(こういう時、当選、って使うのかな?)
サッカー部のきびしい練習できたえたぼくは脚力に自信があった。自負もあった。意地と、意気地と、プライドが、あった。そして希望と予感もあった。
レース前ぼくはものすごく緊張していた。
なぜなら、ゴール地点の真横で着順を記録していたのが、リエ、キミだったから。
ぼくはスタートから一気に飛ばすつもりでいた。
当時流行していたマラソンランナーが主人公のドラマで、普通の長距離走者は腕にまいた時計をチェックしながらペース配分を考えて走るのだが、そのドラマの主人公は、スタートから先頭におどり出て、「あとはどうにでもなれ」という無謀なレースをするんだと……。
その主人公の真似をしたわけじゃないがスタートから陸上部員のすぐうしろにピタリとくっついて走った。
クラスメイトがぼくを応援してくれていた。その激励を受けてぼくは2番目を走った。
しかしラスト100メートル。ぼくにはもうラストスパートをかけるエネルギーは残っておらず、もう1人の陸上部員に抜かれて、3位でゴールした。
これじゃあリエに男として認めてもらえない。
息は「ゼェゼェ」
足は「フラフラ」
リエ。それでもキミはぼくに拍手して、
「すごーい」
といってくれたね。
ぼくはその時、「告白」しようかと思ったけど、できなかった。
ぼくは決意した。
この陸上競技大会では3位に終わったけど、冬におこなわれる寒稽古のクラス対抗駅伝大会で優勝したら、その時こそ、リエに、告白しよう。そう自らに、誓った。絶対、優勝してみせる!
しかし1500メートル走と駅伝は同じ「走る」にしても、決定的な、ちがいがある。
それは、走るのが苦手なクラスメイト、つまり「足の遅いヤツ」「瞬発力も持久力もない」クラスメイトもいる、ということだ。
1クラス2チーム……。
誰がどこを走るか……。
それによって勝敗の結果が変わってしまう。つまり、ぼくひとりだけ速くても、優勝できる保証はない、ということだ。
そこで学級会が行われた。
ぼくは長距離走が得意なメイトで「最速チーム」をつくってくれ、と主張した。なにせ、告白、がかかっているのだ、鈍足チームがどんな赤っ恥をかこうが関係ない、ぼくが優勝のゴールテープを先頭できれれば、それでいい。
しかしやっぱり「かけっこの苦手なメイト」がビリッケツになるのはかわいそうだという女子がひとり、ぼくに反論し、結局、多数決で決めることになった。
ぼくは、祈った。
しかし駅伝の女神は、ぼくに微笑んではくれなかった。
だがそんなことで「リエへの恋情」をあきらめるようなヤワな男じゃあない。
ぼくは大会当日まで、自分ひとりアンカーを走って、背中が見えたランナーを全員ごぼう抜きして、1位でゴールできるように、学校が終わっても帰宅せず、何度もいうが自分ひとりの力で優勝できるように、減量の追い込みにはいったボクサーのように、校庭を、毎日、走り込んだ。
レース本番が、日一日と迫ってくる。
『リエ……ぼくはキミのために……』
決戦前夜、ぼくはまったく眠れなかった。
そしてその日をむかえた。
レース直前、ぼくは自信に満ちあふれていた。もともと自分は俊足だという自負もあった。それにサッカー部の練習と、放課後のトレーニングで、自分の脚力が普通じゃ考えられないほど進化したはずだという確信もあった。だから5分や10分程度の差だったら、自分ひとりで優勝を勝ち取れる。そう、信じていた。
そうしたら、今度こそリエに告白しよう。
小学5年の、はじめて同じクラスになった時から、ずっと、好きだったと。想っていたと。
しかしレース直後、ぼくは信じられない光景に両目を奪われた。完膚無きまでに……。
ぼくのチームの第一走者が集団から大きくはなれて、ビリを走っていた。
校庭を1周走って、そして他のクラスの第一走者がトップで校門から見えなくなるころには、これは悪の呪いか? それとも神にあたえられた試練だろうか? ぼくは絶望した。
ぼくのチームの第一走者の野郎は先頭からおくれること25分以上の差でかえってきた。かえってきやがった。
「信じられない」
ぼくはため息とともにそう呟いていた。
アンカーのぼくがタスキを受け取るより先にトップチームの第一走者が校庭に戻ってきた。
ぼくは死に物狂いで走り、何人ものランナーを抜いた。しかしそれは無駄な抵抗だということを、他の誰よりも思い知らされていた。
結局ぼくは4位でゴールした。よくがんばった。自分で自分をほめてやりたい。でも、告白する条件を満たすことはできなかった。
でも、よく考えてみると、「自分さえよければそれでいい」なんて、そんな最悪なことを願っている人間に、勝負の女神がほほえんでくれるわけなどあるはずがない。
人が本当に幸せを感じるのは、自分だけが幸福な時ではなく、自分以外の誰かを幸福にさせることができた瞬間なのだから。
そうして時は再び静かに流れ、卒業の日が迫ってきた。
<おい、おまえ! 本当にリエをあきらめるのか?>
そんなこころの声みたいなものが幻聴のように聞こえていた。
『しかし、ぼくが忘れてしまったことを、リエ、キミは覚えていてくれたんだね』
「はいこれ」といって、キミはぼく達が1年生だった時貸してあげたしたじきを返してくれたね。ありがとう、といって。
「おれ(その時はじめて君に対して自分のことを、ぼくではなく、おれ、といった気がした)キミが好きだ。」
その「告白」をするには、ぼくはまだ幼稚だった。
中3の1年は、あっという間にすぎた。
そしてぼくはさんざんまよった揚げ句、サッカーの強豪校に進学した。ぼくは、恋ではなく、夢を選んだんだ。
『リエ……ごめん」
高校に進学して数日、小学校から中学校に進んだ時とはまるで違って、それぞれ別の学校から来た者ばかりだ。みんな緊張して、沈黙だけが教室を支配していた。
でも日一日と時が流れていくと、誰からともなく、近くの席にすわる知らないクラスメイトに話しかけはじめ、少しずつ、みんな、こころを開いていった。
たしか高校に入学してから5日ほどたった時のこと、だったと思う。
ぼくは中学時代のサッカー部のともだち4人と、サッカー部の練習を見学しようと、金木犀とも、銀杏ともっ違った匂いのする校庭の方へ向った。
するとどういうわけか、ジャージとスパイクはあるから、さっそく練習に参加するよう命じられた。
練習はミニゲーム(サッカーのグラウンドの半分をピッチにしてハンドボールのゴールでおこなわれる実践練習)だった。
誰にも信じてもらえないだろうが、ぼくは、ゴールを決めた。中学時代、あまり試合に使ってもらえなかったこのぼくが。
新入部員の1年生は、顧問の先生や先輩に名前を覚えてもらうために、出身中学の体育のジャージの腹と背中に、陸上部員が大会でつけているゼッケンのようなものに名前を書いて縫いつけなければならず、まあ、その程度ならなんてことないが、野球部でもないのに「髪の毛を坊主にしてこい」と命令され、それが嫌で多くの新入部員がサッカーを、あきらめた。
ぼくはどうだったかといえば、そんなことでサッカーをやめたりしない。 どうしてかって,「リエ」をあきらめてまで入学した高校なのだから。
そしてぼくはサッカーを始めた中1の時と同じように、根性だけは負けたくないと、しがみつくように練習した。
「オイテー(オーイ)、オイテー(オーイ)、オイテー(オーイ)」
このかけ声は、練習を盛り上げるための1年生の最初の役目だった。
その声が小さいと、1年生は罰を与えられた。
通称――バツダッシュ。
ピッチのサイドラインからサイドラインまで走りまたサイドラインを時間内に走ってもどってこなければならない。しかもひとりでも時間内に戻れなければその「一本」はカウントされない。
まさに、地獄だ。
ちなみに「オイテー」というのは「ファイト―」を焼き直したものだ。
そうしたつらいところを一緒に乗り越えたから、ぼく達はチームメイトになれたのだ。
あたたかな部屋の中でただ理想を語り合うだけじゃなかったから、ともだちになれたのだ。
そうやって少しずつ高校生活は楽しいものになっていった。
そんなある日、1時間目の授業が始まる前にひとりの女生徒がぼくの方へ近づいてきた。
「2番目」のキミだ。
「ねぇ、あなた素直じゃない?」
それが彼女の第一声だった。
彼女がとってもきれいだったので、ぼくは一目惚れしてしまった。
一瞬、リエの顔が脳裏を駆け抜けた。
確かこんな歌があった、と思う。
『好きだよといえずに初恋は……』
その時のぼくの気持ちそのままだ。
『中学時代と同じように高校生活の二年間も、あっという間ににすぎ、1,2年の時は同じクラスだったけれど、3年になる時はクラスメイトにはなれなかったね。君は剣道部に入部したね。君がぼくより先に部活(稽古、っていったかな)が終わると、勉強そっちのけでJリーガーになることしか考えていない夢追い人のぼくがチームメイトと居残りの練習をしていたのを、君は、校舎の隅からずっと、見ていたね。ぼくは君のこころに気づいていたよ。 ぼくを、好きになってくれた、女の子。
もし生まれ変わることができたら、まためぐり会おう、、ね。そして、ずっと一緒に、生きようね』
「奇跡」ってこういうことをいうのかな?
最近、ぼくは6歳年の離れた姉と、過去の恋の話をした。
「おれ、中学の時、ラーメン屋の裏に住んでたスズモトリエさんって子が好きだったけど……」
姉に、そう話すと、姉は、
「ヤスコちゃんの妹でしょ?」
とこたえた。
「ウソッ!」
とぼくは驚かされた。そして十八年の時を越え、胸が灼熱のように熱くなった。
そうか、そうだったのか!
ヨシッ!
オレ、これから行って、想いを告げてくる!
というのはウソだけど、伝えたい、
オレ、君のことがずっと好きだったんだ。
18年前、キミが好きだったんだ。
ぼくは今、重い病で立つことさえできない。最期はもう目に見ている。だから、ここに残しておくよ。
ぼくのふたつの恋物語の記録を。
「この話で完結します」