お時間は計画的に
「いらっしゃいませ」
幸が先行して挨拶をすると、遅れて、
「いらっしゃいませ!」
笑顔で明るいサチの声がお客さんに届く。
「……すいません。お店間違いました」
「ぇえっ」
ミスがあったと勘違いしたサチは慌てて幸に助けを求める視線を送ってくるが、たぶん、問題があるとすれば今来たお客の方だろう。
それはマスターもわかっているようで、
「サチちゃん大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから」
マスターのフォローにサチは落ち込んだような小さな声で返事を返す。
「あれ、お店合ってた」
それからすぐにお客さんは戻ってきた。
「お冷とおしぼり出して、あの人は常連さんでカウンターに座るから案内はいらない」
「あ、はい」
サチがコップにお冷を入れている間にお客さんの謎の行動が解き明かされている。
「いらっしゃい。いつものでいいね」
「あ、ああ、びっくりしたよ。いきなりかわいい子がいたから店間違ったかと思った」
「あははは、今日からの新人さんね」
「お冷です。今日からお世話になっています。サチといいます。よろしくお願いします」
そこまで丁寧に挨拶しなくてもいいと思ったが、忙しくなれば自然となくなるだろうからと放っておく。
「あ、ああ、よろしくね。いや~これは楽しみが増えるなぁ」
「値段は下げないよ」
「毎日来るんだから俺の小遣いの少なさに免じて、サービスしてよ」
「しょうがないなぁ。サチちゃん」
「はい?」
「笑顔」
離れて見守っていると不思議な流れになっていた。マスターに言われるがままに彼女はお客に向かって笑顔をしてみせる。
「ふぐっ、な、ナイスサービス!」
そして、お客がその純粋な笑顔にノックアウトしていた。
バカバカしい雰囲気の中、次に入ってくるお客さんに幸はおしぼりとお冷を用意する。
「いらっしゃいませ」
「……おはようございます」
眠そうに入ってきたのは、たまに来店してくる高校一年生の少年。
その少年も案内が必要なくカウンターまで勝手に進んで席に着く。
そして、
「いらっしゃいませ!」
また彼女は笑顔で挨拶をした。
「ぎゃぁあああああああああっ!! 綺麗な人がいるぅうううううううっ!!」
幸はその光景を見ながら、なんとなく彼女に手伝ってもらうことにしたのは間違っていたような気がしていた。
「ままままま、マスター! タマさんクビになったの!?」
幸はおしぼりとお冷を少年の前に置いて、その場をマスターに任せて離れる。
「違うよ。タマちゃんは試験期間でお休み。今日はサンドイッチはいるかい?」
少年はサチの方をチラッと見た後、
「何言ってるのさマスター、僕はいつもサンドイッチとコーヒーをブラックで頼むじゃないか」
声色を作り、言い残した。
「カッコつけても手遅れ、それに金ないから週一の時点でいずれはバレる」
「ホットミルクでいいね」
「あんたらには優しさってもんが足りてないっ!」
「たまに早く起きたって金がないんじゃあ」
「あんたも少ない小遣いだろ」
「ぐほっ」
「はいはい、サンドイッチはサク君?」
「今日はいります」
「それにすでにサチちゃんは幸君と一緒に暮らしているよ」
彼女が、はい! と頷き、
「お世話になってます」
ちゃっかりしている発言をしたせいで、事実上大家に認められている。巻き込まれないようにしていたのが仇になった。
「ぐふっ」
「俺は大人だから見ているだけでいいんだ」
少年だけ崩れ落ち、次に入ってきたお客さんに幸よりも早く彼女が挨拶をして、また悲鳴が起きる。それを繰り返しているうちに、朝から店内はお客さんでいっぱいになっていた。
初めてと言っていい朝の客数にフル回転で三人が働いていると、二階から階段を飛び下りる足音が聞こえてきた。
そのまま、店の奥の扉が音を立てて開かれる。
「遅刻だーーーーーーーっ!」
休みだとしても店員とは思えない大声で店内に少女が入ってきた。
「げ」
そこにさっきの少年の声が混ざる。
寝癖も直さずそのままに下りてきた少女は、嫌そうな表情で膠着する少年を見つけると少年の前のサンドイッチに目をやる。
その少年よりも早い初動で残っていたサンドイッチを全て平らげた。
「サンドが、ハムがぁああああああああああ!」
「ごっちそうさまー! 行ってきまーす!」
お客の食い物を食べきった嵐は過ぎ去っていった。
「あの、あの方は?」
店内のお客さんが嵐の登場に膠着する中で近づいてきたサチは、幸たちと同様裏から入ってきた少女が誰か不思議そうに尋ねた。
「うちの隣に住んでいる上村珠虎。今日休みのもう一人の店員」
「あ、じゃあ私が働けるのは珠虎さんのおかげなんですね?」
「まぁ、そうなるのか。試験が終われば店に出てくる」
納得したようで彼女は両手を合わせると、何か不思議なことでもあったように壁に掛けられている時計を見た。
「急いでいたみたいですよね?」
ここは丘上の住宅外だから、電車を利用する場合、時間に余裕を持っていかないと間に合わなくなる。
知るはずもないかと幸がサチに説明をすると、
「あの、皆さんはお時間大丈夫なんですか?」
その声で一斉に壁に掛けられた時計にお客全員の目がいった。
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がる。
我先にと会計を済ませ、のんびりとした雰囲気のなかコーヒーを嗜んでいたお客さんがあっという間に姿を消した。
たった一人残された少年だけが、
「ばかだなぁ、時間には余裕をもって行動しないと」
余裕の笑みでホットミルクを嗜んでいた、カウンターのお皿をマスターが片付け始め思いついたように近隣の情報を口にするまでは。
「あ、そういえばサク君がいつも使っている道、工事中で通れないよ」
「――バカなっ!?」
扉の鈴が鳴った。
これで誰もいなくなり、忙しい時間帯が過ぎ去っていった。




