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勇者よ、私は忙しい  作者: 真中39
1.魔王城と魔王
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5.イライラ魔王と廊下の鼠

 魔王の私も二日酔いになる。数いる魔王の中でも私は特に人間に近いため、より人間らしい身体なのだ。酔っ払えば正体も記憶も失うし、人間らしくやっちまったりする。


 砂漠の街エリスから帰ってきて、サキと共に朝までたいそう飲んだらしい。最後の方は覚えていない。見慣れた私のエメラルドグリーンの色調の部屋は、惨状を呈していた。

 サキは開けっ放しの窓に二つ折りになっていて、腰から上は外側に張り付いていて見えない。どういう寝方をしたのだろう。床にはあっちこっちに焼いて小さくなったキモール虫が転がっている。ヘドロのような深緑色に変色し、歯型がついている。サキの歯型だと思いたい。

 そしてどういうわけか、私はエリスの街の娘が着るような白い麻のドレスを着ていた。なんとも似合わない。彼女らの健康的な褐色の肌の上だから、宝石はきらきらして見えたのだろう。私の青白い肌には、このドレスは恐ろしく似合わない。

 でも何でこんなのを着ているんだろうか。覚えていない。部屋の時計は午前10時を指しているが、魔王城は陽が沈むまで常におどろおどろしい瘴気に包まれているから、あまり時間の感覚はない。


 とりあえず汚い部屋とくさいサキの処理はお世話仮面に頼んで、地下の風呂でさっぱりすることにした。魔王で風呂を使う者は、この魔王城にはほとんどいない。よくサキと鉢合わせするので、サキを地下の拷問部屋に閉じ込めておくことが多い。魔王自体、身体を清めるのは嫌いな傾向がある。私はただ単に、汚いのが嫌いなだけだ。お風呂好きだし。


 お気に入りだった紺色の焦げたドレスを捨てて、魔王達に馬鹿にされるくらい明るいオレンジのワンピースに袖を通した。これくらいのテンションに上げてかないとやってられるかと、半ば拗ねたような気分だ。最上階を目指す。

 ニーナを殺したことは、意外と私にはこたえていたらしい。16年以上前は、賢者なんて殺す価値もないと思っていたのに。あの優秀な元賢者は、ただただ復讐に生きてきたのだろう。それはひどく中身のない人生だと思うが、私に彼女を否定することは出来ない。魔王の私と人間では、善と悪の基準も価値観も何もかも違う。

 でも元人間として、自分の愛したひとを殺されても、そいつに復讐するためだけに生きるのは何か違うと思う。合理的じゃないし、もったいない。ただ哀しい。哀しいのをぶつけられた私はいい迷惑だ。彼女というものを吸収して、勇者と闘い続けなければならないのだ。所詮、私は勇者を殺す魔王であり、復讐を生産するだけの存在である。なのに、ああ、面倒くさい。

 最近普通の人間に接することのなかった私に、ニーナは魔王の存在自体が悪だと再び突きつけた。分かっている。本当は魔王も魔王城も、あってはならないものなのは、分かっている。だけど。


 二日酔いを足したイライラをそのまま顔に出し、私は最上階のベランダにブーツを踏み鳴らした。魔王城の50階にあるこのベランダは、小学校の校庭くらいの広さがある。大理石の敷き詰められた床の上には何百もの物干し竿が並び、午前中の内にお世話仮面が魔王城で出た洗濯物を干しに来る。瘴気だらけの紫色の空の下で、何であんなに干したての衣類は良い石鹸の匂いがするのか、私は疑問である。

 そして物干し竿の中の一つに、相変わらずあいつは干されていた。


「よう、イチカちゃーん」


 真っ赤な髪を不良のように逆立てて、終始血走った目をしている、こいつがあのゲス野郎の魔王である。名前をナイルという。赤い髪から黒い二本の角が伸びているのが大きな特徴だ。ロックミュージャンのようなピチピチの黒い革のスーツを着て、酸性のよだれを飛ばしまくるキモい奴である。ほんとにキモい。そして人間の若い女を拷問したり犯すのが大好きである。キモい。


「そのドレス似合うねえ」

「何故ニーナが勇者の仲間だったことを黙っていた」


 返答次第では殺すつもりだ。ベランダの物干し竿に固定されているナイルは、私の魔法のせいで本当に洗濯物よろしくペラッペラになっている。身動きが取れないようにしておいて良かった。


「ニーナ? ああ、あの情報持ちのババアのことか」


 瘴気の混じった風が吹き、ナイルの身体はタオルのように揺れている。私は目をギラギラさせながら彼に近づいた。


「もうちょっとで私は殺されるところだった。どうしてくれる」

「だってイチカちゃんだってやらせてくれなかったじゃん。あんたが元賢者のババアに殺されるなんてあり得ないし、これでイーブンだろうが」

「お前のきったないお茶のみに付き合ってやったんだからそれで充分だろう」

「全然だめだ! あれはイチカちゃんが全部悪い。この魔法を解けよ」


 私は首をゴキゴキ鳴らした。言うのを忘れていたが、私はこの魔法城の魔王達の中でもレベルが高い方だ。まだこの世界に生まれてから19年しか経っていないためである。対してこのナイルのレベルは65。普通に毛が生えただけと言った程度だ。こいつのヤバさは、レベルではなくその異常性にある。


「聞いてどうした? 絶望しただろ? 形の決まってないクリスタルを全部集めることなんて無理なんだよ。諦めろよ、イチカちゃん」

「お前、やっぱり全部知ってたのか! 何で言わなかったんだ!」


 いい加減むかっ腹がたってペラペラ揺れるナイルに詰め寄った。ナイルは舌舐めずりしながら、私を下から上まで眺めてよだれを垂らす。ベランダの床がジュウッと音を立てた。


「なんでって、イチカちゃんが俺の言ったことで悲しむのは見たくないもんだ。ただの若い女なら泣かすのは超興奮するけど。ブヘッ!」


 私はナイルをぶん殴った。怒りが収まらない。こいつが最初に全部喋っていれば、私はニーナを殺すこともなかったのだ。


「許さん、この、変態クソ野郎、雑巾にしてやる、この」

「ブヘッ! ブヘッ!  ブヘッ!」

「ナイルトイチカガエスエムプレイシテルヨー、ワオ!」


 そこで洗濯物を干しに来たお世話仮面達がわらわらと現れ、私は気分が萎えた。

 踵を返してしかめ面をする。ナイルを殺しても結局気分は晴れない。人を殺してすっきりすることは、永劫に私にはあり得ないことなのだろう。


「どうせ魔王なんて何をしようが死ぬ。そういうことになってんだよ。だったら何でも好き勝手にやった方がいいだろ。せっかく他人より強く生まれたんだからさあ。なあ、おいーーイチカ! もったいないだろォ!」


 後ろからナイルの不愉快な笑い声が追いかけてくる。私は振り返らないまま、お世話仮面を押しのけながらベランダを出た。







 部屋に帰るとこざっぱりしたサキが本を読んでいた。黒いスラックスに洗いざらしの灰色のシャツを被っただけのシンプルな服装だ。いつもの黒いマントと革鎧は私のベッドに放り投げてある。


「イチカ」


 私はカツカツ部屋の中に入って、リネンのベッドの上のマントと鎧をぶっ飛ばした。サキがびっくりして切れ長の目を瞬かせる。私は構わずにそのまま、天蓋付きの乙女なベッドに突っ伏した。

 サキがなんとも言い難い顔になって、「とうとう筆下ろしか?」と、すっとぼけたことを言った。


「何でよ、死ね」

「……二日酔いは?」

「ありまくりでイライラしてる。見てわかんない?」

「あのドレス、もうしまったのか?」


 私はワンピースがしわになるのを気にしないで、ごろっと体勢を変えて顔を上げた。


「あのドレスなに? 朝起きたら着てた」

「お前が欲しそうにしてたからエリスの街で買っといたんだ」


 やっぱりサキだったか。風呂から出たてなのか、いつもより乱れた髪のサキは妙に色気がある。


「そしたらお前、すごい喜んでベッドの上で踊り始めたぞ。キモール虫を咥えながらくねくねしてたぞ」

「まじで!」


 イライラなど全部吹き飛んだ。サキは珍しく相好を崩して本を閉じる。


「嘘! 私キモール虫食べたの⁉︎ あの⁉︎」

「食べたけど一口でペッしてた。全く行儀が悪い」

「嫌だもう! あんたが食わせたんでしょ! ねえ⁉︎」

「痛い痛い痛い! やめろ! お前が勝手に食ったんだろ!」


 生意気にもベッドに座り込んだサキの頭に、ぐりぐりげんこつを押しつけた。いくら正体を失っても、あの見た目の虫を食べるなんて。私は魔王である!


「うぎゃ!」


 怒ったサキが殴ってきた。私はまともにくらってすっ飛び、ベッドと接している壁に頭をぶつけた。


「痛いだろうが! この馬鹿!」

「うるさい! このくるくるパー! 金髪が馬鹿っぽい!」

「!!」


 ボッコボコに殴りあう喧嘩に発展した。ここまでくだらない理由で喧嘩したのはいつぶりだろうか。サキの髪の毛を30本くらい抜いたとき、ブチ切れたサキが般若の様な形相になって私をシーツでぐるぐる巻いたので、いったん殴り合いはお開きになった。


「この野郎……俺の髪……」

「はーげーろっ! はーげーろっ!」


 ちくわから頭を生やしたような私は、寝心地が悪くなったベッドの上で飛び跳ねた。私の頭には何個もたんこぶが出来ているけど、サキは泣きそうになりながら頭を押さえている。ざまあみろである。私は人殺しですっきりは出来ないが、サキと喧嘩することですっきりするらしい。最近気づいた。

 機嫌が良くなった私は、サキに甘えるような声色で言った。


「サキ! 退屈! 遊ぼ!」

「人でなしが。俺の髪の毛を生やしたら遊んでやる。じゃなきゃ帰る」

「えー、成長促進の魔法薬は今切れてる。面倒くさい」

「じゃ帰る」


 サキは素っ気なくマントと革鎧を掴んで出て行ってしまった。さすがにやり過ぎたらしい。ただでさえ男の人って二十歳過ぎると髪の毛を気にするっていうし。成長促進ではなくて、毛が生える魔法薬そのものじゃないと効かないかも。ちょっとひどいことをした気もしてきた。


 しかし暇である。というかサキは私を布団で芋虫みたいにしたあげくそのままで出て行きやがった。仕方ない私は、ワンピースをシワだらけにしながら唸り声を上げつつ、10分くらい部屋で退屈を持て余してから、根負けして部屋から出た。目指すは一階の食堂横、材料部屋である。

 

 退屈しないこと、退屈しないためにクリスタルを集めることに必死になること、合理的でないことはしないこと。それをやっているのは私だけな気がしていた。実際にこの魔王城でクリスタルを集めようとしているのは、いよいよ殺されそうになったレベルの低い魔王だけだ。他の魔王達は有り余る時間を勇者殺しや村の壊滅などの無駄なことで消費し、最後は勇者に殺される。それは実に面白くない生き方だと思っていた。何で元の世界に帰ろうとしないのだろう、自分の運命がただみっともなく殺されて終わるなんて受け入れられない。

 でもクリスタルを集めきれる、元の世界に帰れる確率を知ってしまった今、もったいない生き方をしているのは私かもしれないと思った。魔王達は、帰れもしない元の世界に固執している私を馬鹿みたいに思っているのだろうか。ナイルは力を持った自分を活かして、好きなことをして生きている。それは無駄なことなんかではなくて、本当はそれこそ魔王の哀れな人生を一番無駄なく過ごす方法なのではないだろうか。もったいないなど、私以外が使うのを初めて聞いた。


「言うほどお前は合理的じゃないぞ」


 材料部屋でサキに遭遇し、毛生え薬の調合材料を選びながら愚痴をこぼしたらサキに一刀両断された。なんとこいつは自分で毛生え薬を作る気だったらしい。一般人のくせに無理なことをする。魔法薬の調合は私でさえときどき失敗し、魔王城が異常な匂いに騒然とすることがあるというのに。

 私が材料部屋に来たことで一応機嫌を直したサキは、口をぱくぱくしながら材料を選ぶ私を見ていた。


「何でよ」

「お前が合理的なら何で俺の髪の毛を抜いたりするんだ。それこそ無駄だろう」

「根に持ちすぎでしょ……」

「毛根の恨みは長く続くぞ」


 こうなったサキは本当に強情で、どんな魔王もこれには敵わない。かくいう私も。


「だってサキをいじめるとすっきりするんだよ」


 ちょっと困って素直に言うと、サキも同じ顔になった。


「それならあれだ。お前は俺と喧嘩するのが楽しいってことじゃないのか」

「楽しくはない」

「そうか……」


 オークの無精髭、一角獣(ユニコーン)の網膜、エルフの処女血と、サキは金髪だからゴールドマリーの雄しべ。毛生え薬の材料を編みかごの中に入れて、私とサキは地下の調合室に歩いた。廊下は魔王の大好きな陰気な空気と湿気でむせ返るようだ。

 魔王城の地下にはなんでも食べる鼠がいて、魔王達は清潔にすることも鼠を嫌うこともしないので、奴らはぬくぬくとここで怠けるに徹している。おまけにお世話仮面はわりとこいつらを可愛がって、廊下に魔王達の食べ残しを置いて行ったりする。自分で食料を手に入れることをやめた鼠達は、素早く動くこともなく、肥大化し、子猫ぐらいの大きさに変化した。清潔が好きな私とサキは、見つけ次第こいつらを殺すことにしている。本来早く動けるはずの鼠は太ったせいでノロノロと走って簡単に逃げそびれ、私達が本気を出せば一日で殲滅できるほど生命力を減退させた。今もサキが落ちていたメイスで寝ている鼠達を潰している。

 鼠を見て私は気づいた。もし、クリスタルを集めきる確率がゼロに等しいとしても、私は目標を失ってはならない。目標を失えば私は生き抜く(したたか)さを忘れ、ただ殺される愚かな鼠に成り下がる。それだけは絶対に嫌だ。時空の歪みという自分が殺されるための舞台を自分で展開し、きずなという綺麗で浅はかなものを見せつけられ、ただ殺されるなんて絶対に嫌だ。地球に帰ることは出来なくとも、無為に勇者に殺されるような魔王にはなりたくない。絶対に!

 退屈は私にとっての敵である。運命づけられた退化は避けられないなら、知識を、精神を進化させなければならない。自分の為に。それにはやっぱり目標をうしなってはだめなのだ。

 サキが隣で下手な呪いの練習をし始めた。鼻歌にしか聞こえなくて、私はなんとなく気分が良くなった。






 調合室は拷問部屋の隣にあって、部屋の中央には大きな黒い鍋が設置してある。長い歴史を経た鍋は、淵にいくつもの呪いや魔法をこびりつけて緑にてかてか光っている。サキはその中に編みかごの中身をまるごと入れて、切れ長の目を細めて私を眺めた。


「イチカ。明日、絶対に壊れない将棋盤を作りに北の方に行こう。とんでもなく耐久性のあるイチイの木が生える島があるんだ」


 私とサキはよく将棋をする。退屈を持て余した私が、サキに将棋を教え込んだのだ。以来、意外にもサキの実力は私と拮抗するほどになり、私かサキがたびたび激昂して将棋盤を割る事態になった。ので、今の荒く作った将棋盤は何代目か分からない。サキがぎばちょと名前をつけている。

 私は鼻を鳴らして、鍋に火をつけた。


「いいけど」

「えっ」

「……なによ」

「ありがとう」

「……もしかしてその木、暴れたりしない?」


 サキは目を逸らし、そのせいで私は鍋から目を逸らすことになる。


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