4.魔法魔王と空っぽ老婆
「イコの理を崩すことは、世界を滅ぼすことに他ならない。……魔王は、そのためにクリスタルを集めているのだと思うわ」
そこまで神妙な面持ちで話していたニーナは、急に身体全体から力を抜いて肩を揉んだ。話し疲れたのかもしれない。いよいよ核心のクリスタルの話にいきそうだったので、私はもじもじとニーナの前で肩を揺らした。ニーナは私の仕草に気づいたのか気づかなかったのか、優雅に手を組み直して笑う。
「イチカさんは、どうして勇者のパーティに入りたいと思ったの?」
この辺の話は想定外である。私は漫画かと思うくらい固まった。下手なことは言えないが、かといって一般人らしく答えなければならない。難しい!ひねり出した答えに自己嫌悪することになった。
「あの、勇者さまが、すごく格好良くて……あの、」
「まあ!」
まあ!は私が叫びたい。まあまあまあと言いながらバク転したい気分である。嘘だけど。とりあえずこんなに焦ったのはいつぶりだろうか。なんだこのチンケな理由は。その辺の小さいパーティにもこんな賢者はいないだろう。仮にも私は魔王である。
魔王だから、私は決して焦りまくった表情は露とも見せなかった。動揺を見抜かれてしまったら終わりである。
「分かるわよ。格好良くて、傍にいたいと思ったのよね」
意外とニーナにはウケたが、私は冷静な顔を装ったままうな垂れた。とりあえずあまりにも理由がショボすぎて、バレなくて良かった。あと、サキがこの場にいなくて本当に良かった。
「強力な惚れ薬とか使ったりしてないわよね? 勇者には効かないからやめた方がいいのよ。あと、闘ったあとの勇者は意外と簡単に堕ちるわよ。なんでかしら、多分興奮が抑えきれないのね」
「はあ、え……はあ」
老婆に恋の手ほどきを教授される魔王である。しかも、恋の相手は勇者である。こんなところまで来て私は一体何をしているのか。泣く子も黙る魔王のはずではないのだろうか。まあいい。まあいいのだ、元の世界に帰るためなら、スカイツリーの三倍はあるプライドも野良犬にくれてやる。
下を向いたままの私の気乗りしない雰囲気に気づいたのだろう、ニーナは「ごめんなさいね」と取り繕うように笑ってから口を開いた。
「それで、そうね。クリスタルの話ね」
「お願いします」
「イチカちゃんは固いのね。そんなんじゃ勇者とはヤれないわよ」
「クリスタルの話をお願いします」
ちょっと涙声の私である。
「無数にいるイコの居場所を魔法で凝縮させたのがクリスタルよ。クリスタルとは言うけど、透明な結晶を想像しちゃいけないわ。それはイコが依り代にしているというだけで、外見は何の変哲もない古びた棒切れだったりするの。もちろん、依り代にしやすいという点で、英気の詰まったクリスタルを依り代にする場合は多いですけど」
それは全く新しい情報だ。おとぎ話に出てくるような美しい水晶を想像していたから、私はまばたきを繰り返した。
「でも、クリスタルはどんな外見をしていても絶対にその辺に転がったりしていることはないわ。イコの詰まったクリスタルは、この世界のあらゆる事象をひっくり返すことができる。常識なんて通用しない。いくつもの伝説を歴史に残して、クリスタルは保存されたり、隠されたりしています」
「勇者でも見つけられないの?」
「普通の勇者ならまずお目にかからないと思うわ。世界にどれほどのクリスタルがあって、それぞれがどこにあるかなんて、全部知っている人はいないんじゃないかしら」
聞いてる途中で気分が悪くなってきた。ニーナの話が間違っていなければ、クリスタルを全て集めることは不可能に近いんじゃないだろうか。ていうか無理だ。その前に私は弱体化し、哀れな姿を晒して勇者に殺されるだろう。
最後の望みをかけて、私はニーナに質問してみた。
「魔王が世界を破壊するためには、いくつのクリスタルがいるんだろう」
「分からないわ」
ばっさり切られた。私は顔色を悪くしてニーナを見つめてみたが、そもそもニーナは私のことが見えないのだった。いくら表情を取り繕っても全く意味がなかったのだ。冷静そうな顔で焦りまくっていた数分前の自分をぶん殴りたい。
大変有益な情報だったのは間違いない。ニーナが嘘を言っているとは思えないし、話にも筋が通っている。イコの理を破壊することで、私は世界を超えて地球に戻ることができるのだろう。多分。しかし、しかしだ。手に入れた情報から察するにクリスタルを手に入れ、元の世界に帰れた魔王なんていないんじゃないだろうか。聞いたこともないのは、この話を聞いてわかった気がする。身体から力が抜けた。
「他に聞きたい話はない? 勇者が惹かれやすいタイプとか、ねえねえ」
「大丈夫です。超助かりました!」
ニーナが杖をコンと床について、服に隠していたネックレスを取り出した。幾何学模様の金色のリースがトップに輝いていた。
疑念は確信に変わる。
「帰るの?」
ニーナの口の端がキューッとつり上がって、つかの間不気味な笑顔が現れた。
「!」
私は外套をかなぐり捨ててソファーから大きく跳躍した。派手な音を立てて花瓶が散らかる。その横にあった金色のリースは、怪しく輝いたままピクリとも動かない。間違いない、超高度の結界呪文である。
「間抜けな魔王ね。そんな嫌らしい瘴気を垂れ流して、気づかれないとでも思ったの? 盲者だからって舐められたものだわ」
窓辺に避難した私は舌打ちした。ニーナは見えないはずの私の居場所を正確に把握し、ゆっくりとこちらに顔を向けた。優しげだった風体に面影は無く、老婆の身体からは凄まじい魔力が流れ出ている。この家まるごと覆う結界呪文で、魔王の私をこの家に閉じ込めたのである。彼女はやっぱりただの老婆ではなかった。
「ニーナ、お前」
「魔王。お前を殺してやる。私の勇者と目を返せ!!」
轟音と共に砂漠の何倍も熱い熱波が飛んできた。床に踏ん張って耐えたものの、紺色のドレスの端が焦げて、髪の毛の焼ける嫌な匂いがした。床に落ちたオアシスの花は、見るも無惨に炭と化している。壁一面は結界呪文で守られているため、一気に私より壁の方が小綺麗な状態になってしまった。久しぶりに不意を突かれて、いやな魔法をまともに受けてしまったのだ。
私は顔を歪めて、杖を掲げるニーナを睨みつける。
「お前、勇者の仲間だったのか」
目の見えない状態で、高度な呪文と魔法を的確に素早く扱っている。さぞ名のある賢者だったに違いない。あの魔王め。あとで絶対に殺してやる。
優秀な賢者であったろうニーナは、全身を震わせながら声を張り上げた。
「そうだ! 私の勇者はお前達魔王に殺された! ろくに闘わせてもくれず、私達の目の前で勇者を殺したんだ!」
これほどの賢者がいるパーティの勇者を瞬殺するとは驚きだ。私は目を細めて、怒りに震えるニーナを見据えた。彼女はきっと、このために今日まで生きてきたのだろう。張り巡らせた呪文は複雑で、それは目の前の老婆の恨みの程を表していた。
「勇者がどれほど苦しみながらお前達を倒そうとしてたか分からないだろう。それを……お前達、魔王は、笑って!」
涙が、老婆の白い目から溢れ落ちる。
「ロシェは死んだ! 殺してやる、私がお前達を、殺してやる、ロシェを! 返せええええええっ!」
かすけたニーナの声が耳をつんざくように響き、白い塊が飛んできた。あれはさっきの比じゃない熱さだ。怒り狂ったニーナの叫び声が止まない。
「ああああああああああっ!!」
ニーナの不運なところは、私が魔王の中でも魔法に特化した魔王だったことだ。先ほど玄関に入る手前に、金色のリースの呪文を書き換えておいた。私の使いやすいように。
私は窓辺から玄関近くに跳び、ニーナの作り出した白い塊の方に手のひらを向けた。途端に玄関を抜いたリースと、ニーナの首元にあるものと窓辺にあったものが、それぞれ震えてひっくり返る。
「!」
ニーナは何かを察知したようだ。反応は早いがもう手遅れである。ネックレストップのリースは飛び出して、白い塊を挟んだ窓辺のリースと反応し、そこに新しく結界を張った。一瞬だけキラキラ光る魔法の正方形は、太陽みたいに眩しい塊を中身に閉じ込めてしまった。どっちにも行けなくなった熱の塊は、不穏な音を立てながらそこに留まることになる。
「なに……⁉︎」
「お前の結界呪文は強力だけど、先に気づいておいてよかった。書き換えた」
「……お前」
ニーナは唇を噛みながら、それでも寸分違わず私の居場所を睨めつけている。魔王なんかよりずっと恐ろしい顔だと思う。
「何故嘘をつかなかった?」
最初から私を魔王と気づいているなら、本当のことを言っても何の得にもならないことになる。それどころか勇者側には不利益ばかりだ。
「……お前を、殺せると思っているから!」
「私に、嘘はつけないと分かっていたからじゃないの?」
血走った目のニーナは一瞬固まったが、また壊れた人形のように叫び始めた。
「ああそうだ! お前達魔王に嘘は通用しない! だって、ああああああああッ!」
「!」
何をするかと思いきや、ニーナはただ単に飛びかかってきた。何の呪文も唱えずに。私は驚きのあまり動けず、桃色の絨毯に押し付けられた。馬乗りになってきたニーナの身体は、中身が空っぽに思えるくらい軽い。
「ロシェが嘘をついたんだ! 『なかまのきずなを使おう』って言っても――魔王は使わせてくれなかった! 『嘘をつくな、勇者の本当の望みはこれだろう』って! ロシェは目の前で殺されて、私たちは生かされた。ロシェは嘘をついてたんだ。魔王はそれを!」
ニーナの細い指が私の首をありったけの力を持って締め付ける。ああ。降ってくる涙は、それがニーナの全てだった。
「ロシェは最初から『なかまのきずな』を使う気なんてなかった、私達を、自分を殺させる代わりに、助けて――」
肉の焦げる匂い。魔王の私の肌に触れていられる人間はいない。
「いやあああッ」
ニーナは私の身体の上から飛び退いた。彼女の骨ばった手は、黒ずんでぼろぼろと床に落ちていく。私は身体を起こして、魔法で玄関を開け放った。金色のリースが飛んでくる。
「痛い! 痛い! いやあ!」
私はリースに最後の呪文を書き込んだ。向こう側にあった正方形の結界呪文が縮小し、中にあった白い太陽ごとサイコロみたいな大きさになりながら、こちらに飛んでくる。
私の手のひらまでサイコロが到達した時、ニーナは天井を仰いで苦しみに泣いていた。
「お前の気持ちは分からない」
ニーナの心臓部に正確にサイコロを飛ばす。それは私の付け加えた魔法で、静かにニーナの体内に進入して、その効果を解いた。
「私は魔王なんだよ」
ニーナの身体がゴトリと床に崩れ落ちた。痛みは一瞬だったはずだ。ニーナが生み出した白い太陽は、彼女の心臓部だけを素早く焼いて消えた。そういうふうにした。
ニーナの遺体をベッドに整え、私は彼女の家を後にした。リースは一つだけ持っていくことにした。
外套をニーナの家に忘れてきたから、私はそうそうと魔王城に帰ることにした。そしたら案の定、「イチカ!」とアルトの声がして、私は辟易する。ただでさえ周りの皆が瘴気を嫌がって避けるから、私はモーゼかと思いながら街の中を歩いていたのだ。辟易もしたくなるというものだ。
「イチカ! ……もう帰るのか?」
得体の知れない黄緑色の大きい芋虫のを、いくつもマントに囲い込んだサキがついてきた。聞きたくもないが多分キモール虫だろう。ほんとにキモい。ついて来たのはその虫だけで、女の子達はついてきてはいないようだった。
「帰るよ。村の入り口からすぐに転移する」
「了解した。キモール虫も一緒に転移出来るかな」
「出来るから付けてくんな、死ね」
「名前をつけたぞ。エスキモー小隊長と、スーパーモール1号店だ」
私の機嫌が悪い時ほどサキのウザさは増すんだけど、これにいちいちキレてたら私の頭の毛細血管が持たないことに、ちょっと前に気がついた。私はため息をついて、ヤシの木が揺れる村の入り口から数歩のところで立ち止まる。
呪文の書き換えは難度が高く、しかもニーナの呪文は高層ビルのようにつのり募って複雑な階層をなしていた。魔王の私もこれはなかなかこたえて、転移魔法の準備が遅くなる。
「イチカ、俺転移魔法の術式書けるぞ」
「はあ、なんであんたが? ……ほんとに?」
「ほんとだぞ。何回お前と転移してると思ってるんだ。はい、ギモーブ小隊長持ってて」
「嫌よ! 絶対いや! 殺す!」
本当に驚いたことに、サキは転移魔法の術式を書き上げた。ただの一般人に習得されるようなやっすい魔法ではないはずなんだけど。
「イチカ、帰ろう」
サキがキモール虫の付いていない方の手を伸ばしてきた。その手は取らずに、私はしっかりとした足取りで砂漠に描いた術式の中に立つ。
「サキ」
「うん?」
「今日は飲み明かすから、めっちゃ飲むから、最後まで付き合って」
「うん」
転移するときは、術者である私とサキは触れ合っていなければならない。背の高い彼の肩に、焦げくさい頭をぐりぐり押し付けた。
これだから嫌なのだ、魔王なんて。悪いのは魔王、死ぬべきは魔王。そう唱える人間は何も悪くない。悪いのは、魔王だ。私達魔王は死ぬべきなのだろう。でも。
「お疲れ」
サキが、独り言より小さい声で言った。