1.哀しき魔王とデフレ
考えてもみて欲しい。元来、一般的に魔王と呼ばれるものには目標がある。それは世界征服であったり、魔物だらけの帝国をつくることであったり、はたまた世界そのものをぶっ壊すという凶悪なものまであるが、彼らには一様に『目標がある』。それがどんなに悪いものだったとしても。そこで、相対する正義の味方、一般的に勇者と呼ばれる者についても考えて欲しい。彼らは魔王達の目標達成の要所要所に現れ、ことごとく魔王の邪魔をしてくるのである。つまり勇者とは、名前ばかり爽やかである『邪魔者』に他ならない。性格と環境と容姿に恵まれただけの厄介な存在である。
と、ここまでつらつらと述べてきたが、世界とは所詮見方を変えれば何にでもなってしまう理不尽な場所である。私の見解は全て魔王側から世界を観察し、私に都合の良いように解釈しただけのものに過ぎない。つまり私は、魔王である。
陰気な空気の漂う魔王城は、黒く刺々しい屋根と爛れたような城壁を想像してもらえれば良い。だいたい五十階建てくらいだ。でかい。城下には魔物と呼ばれる禍々しい姿をした者たちが集落を作り、魔王の外出の際には地震を起こすような足音を轟かせて出向する。魔王城とその城下の空には常にどろどろとした紫色の瘴気が立ち込め、普通の人間なら一日いては死んでしまう。魔王である私は、魔王城の一室(大体四十階くらい)から外を見渡しながらとんでもなく甘い紅茶を飲むのが、一日の最初の日課になっている。この赤紫色の紅茶は、魔王以外が飲んだら胃が焼けるくらい甘いそうな。私も最初はペッと吐き出したものである。
そうして優雅に紅茶を飲んでいると、一週間にいっぺんくらいの頻度で現れる客が騒々しく訪れた。
「――今日こそ、お前達を倒してやる! 出てこい、魔王! 俺はお前達を倒すためだけにここまで来たんだ!」
このセリフだけで分かるテンプレ具合である。勇者である。そうしてこちらも答えが返る。私より階下から聞こえてきた。
「とうとうここまで来たな、愚かな勇者よ! 幾多の試練を乗り越えてきたことは褒めてやる! しかしそれも今日までだ!」
多分向こうのテンプレ具合に合わせると、こんな感じの返答になったに違いない。魔王とは勇者に合わせるものだと考える魔王は、まだ多い。
だいたいこの辺で時間がかかるから、私は開きっぱなしの窓から顔を出した。四人組のパーティが堂々と城下に立っている。魔王城に入ってこないで叫ぶあたり、面白さが全くない。たまに泥棒よろしく侵入してくる勇者がいてもいいと思うのだけど。多分彼らにも、私達と同じようにヒマラヤより高いプライドがあるのだろう。全くもってつまらない。
勇者は威勢良く叫んだはいいものの、魔王から返事が来たきり、肝心の魔王が全く城から出てこないので流石に戸惑い始めた。確かに、私の感覚ではもう十分は経っている。悪役は間を置いて登場すると凄みが増すというが、いくらなんでも間を置きすぎだ。勇者のそばのいかつい戦士が、拍子抜けしたようにごついハンマーを足元に下ろした。
とはいってもこれは日常茶飯事で、無理のないことだと思う。一、二階では、今まさに想像を絶する魔王同士の小競り合いが起こっているはずだ。
「お前今返事しただろうが! お前行け!」
「お前の方が俺より強いって! 勝てるって!」
「ええい決まらん! うるさい! かくなる上は多数決だ!」
皆はRPGをやっていてふと思ったことはないだろうか。勇者達のボスイベントの度に現れるラスボスは、最初とんでもなく強く、プレイヤーに絶望を植え付けていくが、勇者のレベルが上がるほどその絶望は薄れていくことに。もちろん勇者のレベルが上がって戦局をうまいこと運べるようになるのが大きな原因ではあるが、それだけではない。
魔王は、勇者と闘い死ぬまでレベルが下がり続けるのである。
つまりラストステージ(魔王城)までやってきた勇者はだいたいレベルで魔王に勝っているため、どう闘っても魔王は勇者に殺される運命にある。たまになんのバグかと思う弱っちい勇者が訪れたりするが。今回の勇者のレベルは45。平均は超えていないが、階下の魔王達にとっては死神に見えるに違いない。
「はーはっはー! 勇者よ、私の前に無力に跪くが良い!」
しばらく経ってから、真っ黒い布切れをまとった瘴気の溢れる背中が城から出て行った。瘴気だけでなく悲哀感が半端ない。勇者だけでなく見ている魔王達も顔を背けるほど悲しい背中である。勇者一行は顔を引き締めて武器を構えたが、相手取る魔王のレベルは24である。ダブルスコアに届きそうでお互いが不憫である。
「お前達を時空の歪みで打ち取ることにしよう」
そう言って哀れ24レベルの魔王は、大きく両手を掲げて、どろどろの青黒い塊を作り出した。気分的に盛り上がるし、何より闘いの被害が魔王城に及ばないので推奨されている。最後にヤケクソになって魔王城を壊そうとした魔王がいたそうだが、自分達の居城がなくなる魔王達がそいつをボッコボコにした。裏切りの魔王タコ殴り事件である。その後はどうなったか知らないが、多分他の魔王と同じように勇者に殺されたのだろう。
勇者一行と魔王が時空の歪みに消える前に、魔王城にはいつもの陰気な空気が立ち込め、私は飲み終わった紅茶のカップを勢いよく窓から捨てた。勇者一行の誰かの頭にでも落ちると良いのだけど。私の気分が。