銀から無へ
『大江山』鬼嶽は『総本山』に呼び出されていた。
いつものような緩やかな着付けから離れ、稲荷神としての尊厳にあった衣装に身を包み参道を行く。
これも『五狐奉行』元締の仕事の一つである。
呼ばれた理由は当然のように、先日の『紅葉山』での抗争に関する調書とこの先何度も繰り返される評定の準備ためである。
兄妹達の支持は圧倒的に『豊山』にある。
だが一部では『豊山』が事を大きくしすぎただけだとか、嫁入りの順序くらいで多勢無勢で押し入るとは、と『豊山』の起こした行動に批判もあった。
渦中の『葵山』清祥咲夜は『紅葉山』より救い出されてからまだ意識が戻らない。
侍女松緒の評定による発言が、『葵山』の発言とされることになる。
『豊山』への嫁入りを心待ちにしていた『葵山』を略奪し、踏みにじったと涙ながらに告げたが、信頼と真の心為しに成立しない『紅葉山』分社時雨がいることから、『葵山』に『紅葉山』への心が全くなかった訳ではなかったとされる疑惑も投げかけられる。
事態が長引けば『葵山』を苦しめるだけだと、『豊山』は『葵山』への追求を引き受け、最初の評定を強引に終幕させたのだった。
「ご報告いたします」
鬼嶽は手にした書簡を持って、『総本山』本殿で母上の侍従達と向かい合った。
正面には侍従三柱が座し、鬼嶽をじっと見つめている。
「この度の事変におき、『紅葉山一ノ宮麓』守夏負傷、『豊山』預かり。『紅葉山』二ノ宮取水口守朝霧討死。『吉良碧海姫』六侍従うち四柱討死。『豊山一ノ輪麓』浮冬討死、『豊山』三ノ輪参道守良峰討死致しました」
『総本山』侍従三柱にとって、守夏と浮冬は子である。
「『葵山』侍従たちは」
「捕縛して事情を聞く次第です」
だがそこに子を失い、または傷つけられた恨みなどないようで、無表情のままで評定の応答を繰り返す。
「他に攻め込まれた『紅葉山』の被害はないのか。山の狐たちはどうなった」
「直前に浮冬の陣へと寝返りをして受け入れられておりますので、殺生された様子はありません」
「なるほど、ということは『紅葉山』で死んだものは、その守護を担った朝霧なる従者だけか」
「そういうことになりますでしょうか」
『総本山』侍従の問いかけに、鬼嶽は淡々と応える。
「一方で『豊山』は一の侍従である浮冬と従者良峰を討たれているとなると、『豊山』の腹の虫はこの裁決では収まらぬかもしれませんな」
「しかし、数で語るはどうであろうか……この度の事は『紅葉山』の一方的な略奪に対し、『豊山』が同じように一方的に略奪し返したと言ってもいい攻勢であろう。報告によれば、そのほとんどを『紅葉山』が一柱で対処したと聞いている。侍従が側添えをしたわけではない」
裁決に意見を交わす三侍従たちを、鬼嶽は黙って見つめている。
それぞれ言うことは正しい。
これは長い長い評定になりそうだと、鬼嶽は呆れながら内心大きなため息をついた。
季節は巡り、秋を迎える。
かつては山の狐も従者たちも数多くいた『紅葉山』はほんの一握りの山ノ狐と、たった一柱の稲荷神によって支えられていた。
それでも変わらず美しく紅葉するさまを、隣の『大江山』から鬼嶽は見下ろしていた。
『紅葉山』が微笑む横顔に変化はないと思っても、それが嘘だと知っている。
いつかその嘘を真の心で塗りつぶし、救うものがあるとすればそれもまたひとの子の心なのかもしれない。
ひらりと着物の袖を翻し、鬼嶽は己の侍従に声をかけた。
「『大紅葉山』は嘘をつくのがお上手だ。慧眼は時に私が見たいと思う未来以外を映すのかもしれない」
「何を仰せですか。稲荷は嘘をつけはしません。ひとの子の願いを紡ぐ我らに、嘘というものはないのですから」
鬼嶽の侍従はきょとんとして答えると、鬼嶽は確かにと笑ってみせた。
「それはそうだな」
燃える紅葉山の色は、ひとの子がたまに口ずさむ『真っ赤な嘘』に相応しい色に染まり燃えている。
「ではこう言おう。あの山の主がつく嘘は『赤い嘘』というのだ。稲荷神であるが故、それを全うするために貫く意志を──『赤い嘘』とな」
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『青い嘘』
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