金から銀へ
本当なら守夏に己の幕を下ろしてもらおうと考えていたが、守夏はやはり主には敵わなかった。
ひとの子の願いを叶えるために心という制御を外し暴走した己を、止めることはできなかったのだ。
咲夜はすでに山を降りた。
もう何の心配もない。
不自然でない状況であれば消えることすら惜しくはない。
浮冬が構える白刃は震えで金属が触れあう音をたてている。
『豊山一ノ輪麓』といえど『紅葉山』とは格が違うのだとこの場を観劇するものがいればそう思っただろうが、残念ながらこの場でそれを見つめるものは誰もいない。
闇に染まった深い緑と、赤黒い鳥居だけが『紅葉山』と浮冬を見下ろしていた。
「怯えてなど、い、い、いないっ……」
赤い目がまっすぐに浮冬を貫き、浮冬は応えたが声が震えている。
情けないと己に叱咤しても、心が体を制御しない。
これは完全に恐怖というものだ。
「兄だな浮冬。守夏であればすぐに怯えていると言った」
それを守夏への侮辱だと認識したのか、浮冬は白刃を握りしめる手に力を込め主の名前を二度唱えて『紅葉山』へと駆けだした。
「浮冬様、そこまでです!」
だが刃が『紅葉山』が届く前に、久照が声を上げ浮冬の手を止めた。
平素であれば久照の腕など簡単に払い捨てることができるが、それはできない。
「なぜ止める!」
「『葵山』の奪還は成功しました。もうこの場に残る理由はありません。ご自身の負傷がどれほどのものかもお分かりでしょう」
「あれはもう、我らが長兄にあらず! ここで切って捨てねば安寧はない!」
「落ち着いてください」
「止めるな久照、この悪狐は『葵山』を強奪し、己の侍従を踏みにじり道を踏み外した!ここで首を落としておかねば……おかねば……!」
「なりません、このままでは命に関わります」
浮冬は冷静さを完全に失っていた。
『葵山』は取り戻した。
そして浮冬の義弟守夏が大事であれば、今すぐにでも処置を施さなければ命を失うことにもなりかねない。
それは浮冬自身の命も同じだ。
このまま『紅葉山』を殺しても、何の利益もないのだ。
『紅葉山』は割って入ってきた久照を見つめ、冷静にこの場を見ている彼の存在をありがたいとも、邪魔だとも思った。
誰が彼を差し向けたのかは想像に容易い。
傷ついた体でまだ立ち向かおうとする浮冬だが、息を荒げ強い痛みを感じるとすぐに意識を手放した。
まだ息はあるが、それも危うい。
最強の侍従兄弟は共に意識を失い、地に落ちた。
「次の相手は、そなたか……? 『豊山三ノ輪麓』久照」
芝居がかった言葉だと、久照は思いながら首を横に大きく振った。
「いえ、儂らの目的はもう十分に果たせました。欲を掻く必要はありません」
『紅葉山』は一歩だけ久照に近づいた。
「逆に貴方はどうされたいのか、聞いてもよろしいか。『大紅葉山』あなたは真に添い、摂理に従ったまでのこと。罪は──ありますまい」
「そなたは、時雨の声を聞いたのか……」
久照は冷静に応えてみせたので、『紅葉山』は小さく頷いて、身を翻し半壊し瓦礫と化した本殿へ腰をかけた。
「罪ならある」
視線は守夏と浮冬を指している。
傷が深い浮冬は、このままでは間違いなく死に至るだろう。




