金から銀へ
時雨の泣き声が遠ざかるにつれて『紅葉山』は自我を取り戻しつつあった。
離れていく愛しい妹の気配を、意識のどこかで探っている。
山粧う紅葉、綾なす葉の合間、合間。
石段を下りていく複数の足音は、己の心臓の音にも似ている。
ひとの子の、赤子の願いというものは、どうしてこうも貪欲なのだろうか。
強い願いは神の意識をも凌駕し、物理的距離が生まれる事でやっと理性や感覚を取り戻させる。
一歩──足を動かす。
いつもならば玉砂利が音を立てるのだが、境内にすでに玉砂利はない。
爆ぜて飛び散ってしまった──ように、『紅葉山』の目に映った。
剥き出しの土肌を踏むと柔らかな土の感覚が返ってくる。
視線を四方に投げる。
倒れているのは、守夏だけではない。
『豊山一ノ輪麓』浮冬の姿もあった。
いつからやってきて、なぜ今にも息を絶え絶えにしているのか。そんな不条理すら浮かぶほどに『紅葉山』個体の意識は今まで遠くにあった。
だが周辺の惨状を見て、己に傷の一つもないことを考えれば自ずと想像はついた。
加勢した浮冬は今にも膝を地につきそうな深い傷を受けて、それでも守夏を守り『紅葉山』を睨み付けている。
腰まであった長く美しい髪は、斜めに肩のあたりで切り裂かれている。
時雨の生きたいと願った思いを妨害する侍従達を、一掃しようと体が動いたのだろう。
守夏は浮冬に守られながら、かつて『紅葉山』と並んで月見団子を食した大岩にうつ伏せになって体を横たえている。
『紅葉山』に手の感覚が戻ってくる。
暖かいのは血潮に濡れていたからか、それとも激しい攻防を繰り広げたからか分からない。
「──守、夏」
自然と『紅葉山』の口から守夏の名前が零れる。
その言葉に、浮冬が異常な反応を示した。
「これ以上守夏に触れるな!」
浮冬の声には激しい憎悪と侮蔑が込められている。
「己の侍従の片目を抉り骨を断つとは何という惨い仕打ちを。悪狐め、もはやお前を三朱とも長兄とも、眷属とも思わない」
声は震えていて、今にも涙が落ちてしまいそうなほどに瞳は潤んでいる。
猛将として知られた『豊山一ノ輪麓』浮冬が怯え涙する姿など、見ることができたのは『紅葉山』だけに違いない。
激しい慟哭と共に、浮冬は折れた白刃を振るい近づこうとした『紅葉山』を退けた。
「──そうか」
『紅葉山』は己が無意識のうちに守夏を退け与えた所業を受けて、乾いた唇でそう返した。
右手を染める血は、では守夏のものに違いない。
だが『紅葉山』の淡泊な返答は、浮冬の怒りに止めどなく火をつけるだけだ。
きつく歯を食いしばり、守夏を守る盾となって『紅葉山』と対峙した。
折れて切っ先をなくした白刃を突き出し傷だらけで構えを取っている。
演技はまだ続ける必要がある。
胸がどれほど軋み荒れ狂ったとしても、それを表に出すことは許されない。
「しかし、生きてはいるな……?」
「侍従の誇りも、生き様すらも主に奪われた守夏によくもその口で、生きているなどと言える!」
「なんだ浮冬、怯えておるのか?」
『紅葉山』は分かりやすい挑発をした。
「怖いのか? そなたにも迫ってくる死が」




