黒から銀へ
茂野は奥の院、裏から中へ忍び込み座敷牢近くへ到達していた。
正面本殿ではすでに衝突が起きているのか地響きが足から、手から肌から伝わってくる。
その度に泣く時雨の声で茂野は『葵山』の居場所をすぐに導き出すことができた。
襖を開き中を窺い中へ中へと進むと、「誰です」と厳しい声がかかった。
「『豊山一ノ輪』神楽殿守、茂野──そなたは『紅葉山』のものか」
「いいえ『葵山』の松緒と申します。あぁ、助けにきて下さったのですね」
茂野の言葉に松緒は声を上げてすがりついた。
「松緒殿、『葵山』は」
「この奥に、早く早く姫様をお助け下さい」
松緒は奥の襖を開き、格子に囲まれた座敷牢に伏せる『葵山』の元へ茂野を導いた。
『葵山』は時雨を抱いたまま伏せている。
茂野はその様子に息を飲んでしまったが、すぐに気を取り直し左手の甲へ手を重ねて術式をくみ上げた。
『丸菊』の術と呼ばれる炸裂破で格子を吹き飛ばすと、座敷牢へ飛び込み『葵山』を抱き上げた。
「『葵山』、助けに参りました」
『葵山』に意識はない。
ただ頬は涙に濡れていて悲痛さが伺われた。
茂野はこうして『葵山』の睫一本一本を確認できる距離で顔を見たことがなかったので、その悲痛さに合わせて噂以上の美しさに息を忘れた。
他どの美しきものに例えることもできない。美しい姫君だ。
それをこれほどまでに苦しめ簒奪するとは『紅葉山』とは、どれだけに性根の腐った稲荷神なのだろう。
茂野は奥歯に力を込め、意識を切り替える。
敵うものならば、今すぐにでも正殿へ向かい一太刀浴びせたいものだが、それが敵う力量でないのは承知のことだ。
今は『葵山』を助け出すことが茂野の任務だ。
松緒が早く外へと催促する声に我に返ると、時雨も抱き上げて牢を出る。
見知らぬものに抱き留められて、時雨がまた泣き出した。
「一刻も早くこの山から分社の君と姫様を出して差し上げて下さい」
一ノ宮取水口にいる鬼嶽と久照と合流しようと来た石畳を戻ると、そこには鬼嶽の姿しかない。
「『大江山』、久照様は」
「正殿へ浮冬殿を助けに向かわれた。おや松緒、大事ないかい」
鬼嶽に問われ、松緒は二度大きく頷いた。
「その子が──『紅葉山』分社か。この距離で見るのは初めてだな」
松緒の腕の中の時雨を鬼嶽が覗き込む。
鬼嶽の持つ力が怖いのか時雨はまた泣いた。
「おお、泣かせてはいけないいけない。泣けば泣くほど、『大紅葉山』は苦しまれる」
鬼嶽は時雨を抱いたまま、松緒の手を引いて裏参道を駆け下りる。
茂野も『葵山』を抱いたまま急いでその後を追った。
「お力添え感謝申し上げます」
「私は何もしていないよ。私の心はいつも未来にあるのだからね」




