銀から銀へ
『紅葉山』の草木が真っ赤に染まっている。
秋を迎えれば当然のこと。
紅葉で赤く彩られることから、この山はひとの子にそう呼ばれるのだから。
だが今の季節は春の終わり。
桜が最後に花を散らす時期である。
赤く染まって見えるのは、この地を包み込む気配によって。足元に息吹く草木すら本来の色を失い、赤く染まる。
昼と夜を奏でる羽虫たちも息を潜め姿を現さない。
異常事態にある山の事態を彼らも察知したに違いない。
その赤い山を見渡せる『大江山』に陣を敷き、千里眼で山を見つめる影が複数ある。
『紅葉山一ノ宮麓』守夏、『豊山一ノ輪麓 (いちのわふもと)』浮冬
そしてその背後に配下の茂野、良峰、久照の姿がある。
「そなたらは裏から回る手はずを取れ」
薄くのばした銀に墨を落としたような長髪の浮冬は、背後の従者に命令を下すと守夏へ視線を投げた。
「それでいいな、守夏」
「構いません、兄上」
浮冬は確認したのは、正面から『紅葉山』へ単身で踏み込む覚悟を問いかけている。
風はない。
生ぬるい嫌な風だけが吹き付けてくる。
「嫌な風だ」
「と言っても、もう日を遅らせる訳にも参りません。あの方の過ちを一刻も早く止めなければなりません」
浮冬は守夏へ視線だけ投げてみせる。
やはり守夏を動かしているのは未だに『紅葉山』への忠誠だ。
「……守夏、私は──『大豊山』の一ノ侍従として、『大紅葉山』に対して手を抜いて立ち向かうつもりはない。向こうもあれほど明確に敵意を剥き出しにしておるのだ。三朱とはいえ処断を辞さぬつもりだ」
「分かっております。それが兄上の責務でございましょう」
「お前はまだ、あの方を信じているのか」
「朱秦様は、このようなことを良しとされる方ではない。それは兄上もお分かりでしょう。『大豊山』も深く理解していらっしゃったからこそ、今日までこうして立ち向かうことを良しとされなかった」
「そうだ、『大豊山』は今、深く悩み傷ついておられる。お前と同じだ守夏」
浮冬はすっと息を吸い、鋭い視線を眼前の『紅葉山』へやる。
「だから私は、ただ一つの信念のみで刀を振るう。『大紅葉山』は『大豊山』を苦しめ悩ませた。『豊山一ノ輪麓』としてそれだけは正しくこの眼で判断したことだ」
「正しきご判断であると存じます。だからこそ兄上もお分かり頂けますでしょう、私の心の内を」
守夏の主『紅葉山』雅親朱秦は道を踏み外した。
だが守夏が稲荷神としての意識が芽生える前から、愛し慈しみ育ててくれた主。
その侍従である守夏は、主の間違いを正さなければならない。
誰かにそれを譲る訳にはいかない。
だがそれを為すには、考えを違える浮冬と別に動き、『紅葉山』に捕らわれた『葵山』とその分社を救い出す一向よりも早く山を駆け上がり、主と対面する必要がある。
『紅葉山』は守夏にとっては庭同然であったが、それでも今眼前に広がるのは守夏が知る『紅葉山』の光景ではない。
迎撃をする準備が綿密に行われ、幾重も結界が敷かれていた。
敵意あるものが足を踏み入れればすぐにでも『紅葉山』に追撃にやってきたことを知られるだろう。
山を抜けてから知る、『紅葉山』の堅牢堅固な作り。
ひとの子の深き信仰の形作る、敵対するものへの拒絶の結界。
「あのやっかいな結界を崩さねば、裏参道の配下も動きはとれまい」
浮冬の言葉に答えたのは、守夏ではなかった。
「ご安心めされよ『大紅葉山』の行いを、今あの山に残る従者たちも良いと思わぬものがおります」
進み出てきたのはここ『大江山』稲荷神鬼嶽である。
これから争いごとをしに向かう装束の浮冬や守夏とは違い、ゆるく着崩した着物姿の稲荷神の姿。
「というと?」
「先日我が『大江山』へ密かに『紅葉山』の従者より離反の願いを申し出たものがおります、その者が結界を解く手はずを進めておると」
守夏は「名は?」と鬼嶽へ問いかけた。
鬼嶽はあくびでもしそうなほどに気怠そうな動きをして、口元を袖で隠し続けた。