澄香さん。お願いがあるの
「和代ちゃんだ~~~~~?!」
いきなり抱きしめられて和代は苦笑いを浮かべた。
和代と順子のアパートに住むこの一回りも年上の女性は和代を親友と見てくれる。
「受験勉強大丈夫?! あ。散らかってるけど?!」
パタパタと片づけをする女性。彼女の足元で『おはよう』と機械音声。
丸いロボット掃除機がセンサーである尻尾をパタパタさせながら掃除を開始。
「ああっ?! こたつ片付けていないッ?!」今、冬じゃないのだけどなあ。
和代はあきれるがこの女性、紺野澄香はそういうところがある。
彼女曰く、普段はこたつ布団をめくって掃除機を動かすらしい。
「というか、澄香さん。夏場でもこたつで寝ているわけ?」「うっ」
「新さんが見たら絶対小言いうよ」「い、い、いいもん!?」
たじろく女性に呆れる和代。
彼女の淹れる珈琲は相変わらず美味しい。
「掃除機さんッ?! ちょっと。そこはダメッ?!」
掃除機に話しかける謎の癖はさておき、和代にとっての澄香は『頼れないお姉さん』だ。
歳は一〇ほど違うのに、頼られるのはもっぱら自分だからである。
『でも、澄香さんに頼っても良いよね』和代は思う。
和代にとって『友達』と言える女性は少ないのだから。
「ね。澄香さん」あ、転んだ。どうして足元に野球のボールがあるんだろう。
掃除機がそれにあたって方向転換した。そっちはゴミ箱だ。
あ、やっぱりゴミ箱を掃除機が倒した。大惨事だ。
ロボット掃除機というモノはかなり厄介な代物なのである。
「澄香さん。聞いて」「ん」
澄香は大人の女性だ。
赤松夫妻のほうが人生経験は豊富だが、あの二人より和代は澄香を選んだ。
「もし、何かあっても。私は嫌いになって良いし、切ってくれて構わないから」呆けた顔になる澄香。
自分の拳が震えているのがハッキリわかる。掌の汗が気持ち悪い。
和代は『怖い』など思ったことが無い。少なくともどんな危機すら笑って切り抜けてきた自負がある。
でも、今は澄香に嫌われるのが『怖い』。
友達に嫌われるのが『怖い』。澪におそれられるのが『怖い』。
「お願い。ジュンだけは関係ないから。嫌いに」ふわりと甘い香りが彼女の髪を撫でる。
「よしよし。お母さんが撫でてあげよう」「ちょ」
母親なんてもう顔も覚えていない。
その掌は柔らかい。二の腕の感触は彼女のこわばる背をほぐしてくれる。
甘い声に腰が抜けそうなほどに安心できてしまう。こういうのってなんなのだろう。
でもこんな母親だったらいいな。
こんな母親と暮らしていたら、どうなっていたんだろう。
和代はすべてを打ち明けることにした。元からそうしたかったのだ。
そうする人を求めていたのだ。
自分が育児放棄されて育ったこと。
順子との出会いは少々ぼかしたが二人がこのアパートの主の子供ではないこと。
ヤクザに追われていたこと。そして過去の行動により。
「……待ってるわ」「だって」
「だってもなんでもない! 待つって言ったら私は待つ!」「だって。だって」
「早く帰ってきてね。絶対だよ。その時には私、お母さんになってるけど」「うん」
「順子ちゃんと待ってる。
二人の卒業まで今の話」「お願い」
せっかくいいお菓子入れたのに。
澄香は苦笑いする。「珈琲って温めなおすとスっごく美味しくないのよね」「だなぁ」「その言葉遣い、直しなさい。妹の彼氏狙っているダメなお姉さん」「あ、澄香さんが言うんだ。この間ショーツを共用の干し場に干していたくせに。しかも穴あき」「きゃ~~~?! 忘れろッ?! 忘れろッ!?」「新さんちょっとアレだね」「くんにゃろう。どうやら決着をつけたいようだな?!」
投げられたクッションを受け止め投げ返す和代。
涙の痕の残る頬に満面の笑みを浮かべて二人はまくら投げを楽しむ。
その足元では迷惑そうに澄香のロボット掃除機が左右に動き回っていた。




