大人は子供に嘘を吹き込んで大きくし、『夢のしぼんだ風船』は前より大きくなっている
世界は君のためにある。
大人は平気で子供に嘘をつく。それがうそだと見抜ける頃、嘘だと半ば解って行った無謀な挑戦の数々を後悔しつつもそのお蔭で実力以上の力を発揮できたという苦い経験と甘い思い出を胸に抱いて子供は大人になり、やがて新たな子供たちを育てていく。
……そーんな人類の営みなどどうだっていい娘がいた。未来である。
「死ぬ」「死ぬ」
未来と水鏡澪の二人はダウンしていた。熱中症ではない。
勉強しすぎである。しかし自業自得だ。
「なんでお前は貴重な三年生の夏休みを受験せずに過ごすのだ」朝日が呆れるのも無理はない。この夏休みを『宇宙に行きたい』と訓練に捧げた未来は思いっきり学校の勉強を忘れていた。一応言うと宇宙飛行士は膨大な学科があるのだが未来の脳みそはトコロテン方式らしく、それらを詰め込んだら何故か高校で覚えた学業の殆どが消失していた。未来らしいと言えばそうだが。
「うううう。生物の数式が襲ってくる。英語が。英語が」「俺ももうだめだ。霧島後は頼んだ」起きんかい。霧島少年は鬼だった。
朝までWeb小説書いていて何を抜かすとキレる霧島。
夏の暑さに任せてちゃぶ台の隣に倒れ込む澪とそれにのしかかる未来。
小ぶりながらはっきりと形のある胸がノーブラでタンプトップ越しに澪の背中を直撃しているが二人の表情はそういった色気とは無縁だ。
ぶっ倒れた先に澪がいてそれが澪にとってトドメになった。むしろとどめを刺している。
「Web小説書いてたのか。今度見せてくれ」と水鏡少年にちょっとずれた言葉を放つ朝日。
一応、『弟』たちに勉強を教えていたのだが霧島少年の熱血指導に少々引いている模様。
「オラ?! 東大行かないと順子さんとられっぞ?!」「死ぬ」
霧島は彼言うところの『胡散臭い』順子を敵視しているように見えるが、なんだかんだ言って親友想いだ。
霧島にとっては東大に受かるなど造作もない。らしい。とんだチート高校生である。
だからといって旧雷鳴館及び旧神楽坂高校きっての卒業すら危ぶまれる二人を世話するのは能力に余る。覚えるのと教えるのは別の才能だからだ。
霧島少年が指摘するように高校までラブラブ。大学に入ったらヤリチンに彼女を取られるのはプラトニックなカップルにはよくあるパターンだと思われる。別に作者に大学経験があるからではない。作者は高卒のバカだし。
「あのクッソ重い女を彼女にし続けると抜かしたのはてめぇだ?! 立て! 立つんだ澪!」「別の意味で立つかもしれん」未来はダウン寸前の状態ながら澪の頭を思いっきり抱きしめながら告げる。「俺の胸でエレクトさせるからな」澪は既に呼吸困難でそれどころではない。残念な美少年だ。
その未来だって疲労困憊で涎を垂らしながら霧島に応答している。
というか霧島少年だって汗だくだ。この部屋にはクーラーが無いのか。
『節電』2013年もまた節電の季節が来ていた。今年の節電目標はかなりクリアしている。
風鈴がごくごくわずかのそよ風と呼ぶにはあまりにも頼りない空気の流れを捉えて清涼な音を奏で、街では鄭の貸し自転車屋のミストクーラーが街角に虹を作って小学生がはしゃぐ中、自宅マンションの未来と澪は完全にダウン中。
「毎回毎回思うが、二人とも良く進級できるよな」霧島が呆れると朝日が続く。「二人とも本番に強いんだよ。和人くん」まじめすぎてどこか無個性な朝日と霧島は何処か通じるものがあるらしい。
朝日は放送大学の課題をパッパとこなしていく。もうすぐ卒業だと言いながら。
「本当は医者になりたかったんだよな。俺」「なればいいじゃないですか。朝日さんなら楽勝だと思います」
もう少し待てば新堀もやってくるだろう。
霧島はマンションのベランダのふちに座り、朝日が張った野菜用の防熱ネット越しに太陽を睨む。ベランダには安物のビニールプール。少しでも涼を取るための工夫であるが少々ぬるくなっている。
それに足をぴしゃぴしゃさせる仕草は年相応の少年のそれだ。
ニキビだらけの痘痕顔でハッキリ言って不細工だが長身で豊かな表情の霧島はそれなりに女子にも人気がある。
「う~ん。物事には成る時とそうでない時があるからさ。それに俺みたいなクズがヒトを救うってどうかと」
さっさと課題をこなす朝日。隣ではラジオが複数台、ケーブルテレビが放送大学の授業を流し、別のPCでは英語の動画サイトがランダムに英語の講演動画を次々と流している。
未来にとっての義父であり義母であり、朝日にとっての両親である二人が失踪していなければこの男は今頃霧島少年の先輩となるべき人だったろう。学部は違うが。
霧島少年は言葉を選ぼうと何度か口元を動かし、朝日の表情を覗き見る。
その黒い瞳は闇に覆われ、彼の絶望が深く、深く、誰にも救えないことを示している。
子供の自分が言ってはいけない事は解っている。彼は賢い。だがある種の愚かさも人間に必要だということは理解する程度には賢明で人間味があった。
「失礼ですが朝日さん」「なんだい。霧島君」
霧島は小声で告げた。殴られるかも知れないと思いながらも。
「逃げていませんか」「だな。そうかも。否そうだな」
朝日は日よけネット越しに夏の輝きを放つ太陽を仰ぎ見る。
「霧島君」「なんですか」「二人を頼む。しばらく俺はこの街を離れないといけないんだ。ちょっと遠くに就職することになってね」
朝日は自分のPCの履歴やエロフォルダを消していく。何をやっているのだ。
「長い。長い戦いになると思うけど」未来たちを頼んだ。
ニコリと朝日は笑う。彼がゆっくりおいた鉛筆が音もなく転がり、ちゃぶ台から落ちた。
霧島は大人になった後、あの日の朝日の事を思わない日は無い。
あれは妹であり弟である未来について言ったのか。それともこの国の未来について言ったのか。
だが、あの奇怪にして珍妙なキグルミもどき。子供たちに慕われるロボットには『中の人などいない』のである。
霧島少年だった彼はその質問を誰にも言わずに大人になっていく。




