03:変わり者の旦那様
あまりにとんとん拍子に話が進んで、自分でも驚いているが、そのまま私はリスター家に雇われる事となった。
「うちを案内するよ」
旦那様は先ほどと同じように自然な仕草でトランクを持ち上げると階段へ向う。
「地下は洗濯室とキッチン。君のメインの作業場になるかな?キッチンは僕のいない日くらいしか使わないと思うけど。あぁ朝食は自分で用意してね。僕の分はいらないから」
私は言葉を挟む隙もなく、ただ頷きながら旦那様のあとをついて行く。
「一階のここが僕の浴室。たまに友人に笑われるけれどちょっと潔癖気味でね、掃除は頼むよ」
「さっきの部屋が応接間。そんなに来客は多くないけど、たまに使うんだ」
旦那様の表情はころころとよく変わる。基本的に穏やかな笑顔だけれど。
「ここが僕のキッチン。今日は一日目だし、ちょっと豪華なディナーにしようか」
重いトランクを持っているはずの旦那様は軽々と階段を上がる。
足の長さが違うのでついて行くのが精一杯だ。
「二階のここが僕の書斎。仕事部屋だね。手紙の仕分けはここでお願いするよ」
「ここが僕の寝室。シーツは何枚か替えがあるし庭に干せるからね」
書斎の隣、奥まった所に他とは少し違う簡素な扉があった。
旦那様はその前で立ち止まり、胸ポケットから鍵を取り出すと、カチャンとその扉を開いた。
他の部屋と違う質素なアイボリーの壁紙。扉が一つと奥には階段が続いている。
「ここが君が使うバスルーム。上の屋根裏が君の部屋だ」
旦那様に続いて少し急な階段を登るとそこには狭いけれど清潔そうな部屋があった。
汚れのない壁紙。マットレスのある一人用のベッド。小さいけれど日の当たる窓。
生まれて初めての一人部屋である。
こんな事があっていいのだろうか!古びているが、クローゼットまであるではないか!
あまりの感動にきょろきょろと見回してしまう。
「ちょっと狭いけど、君一人で使えるから」
トランクを置いた旦那様が微笑みかけてくる。
ここは天井が低いので、背の高い旦那様は頭をぶつけてしまうのだろう。少し身を屈めるようにしている。
ただの使用人にここまでしてくれる雇い主がいるとは思わなかった。
今まで緊張でよく顔を見られなかったが、旦那様の顔をマジマジと見つめ返す。
私の十歳⋯いやもう少し上だろうか、枯草色の髪と蜂蜜色の瞳。
ずっとにこにこと口角が上がっているが、その実キリッとしたハンサムといって間違いないだろう。
手足もすらりと長く、スタイルがいい。
お芝居は観に行ったことがないけれど、時折女中仲間が話してくれた舞台役者のようだとは旦那様のような人の事をいうのだろう。
この短時間で分かったようにちょっと変わり者のようだけれど、間違いなく紳士ではあるようだ。
「旦那様⋯⋯ありがとうございます。私、一生懸命働きます」
それから旦那様は仕事が残っているからと、書斎へ戻っていった。
私は自分の部屋を堪能したあと、地下の作業場を確認する。
使わないと言ってはいたが、一階に負けないくらいちゃんとしたキッチンと、お湯の使える洗濯部屋。
壁にしっかりしたオイルランプがかけてあり、これなら日が暮れても針仕事だってできそうだ。
アイロンもきちんと手入れされている。
やはり前任者は腕のよい人だったらしい。
それに洗剤の並べ方を見るに中々几帳面な人物だったようだ。
夕方になると業者が配達にきた。
小柄で無口そうな肉屋だ。
旦那様は彼と楽しそうに話したあと
「今日から住み込みでお願いしたんだ」
と簡潔に私を紹介した。
夕食は宣言通り旦那様が作ってくださった。
迷いのない慣れた手つきで包丁を扱う。
確かにお料理が趣味なのだろう。
出来上がった夕食は食べ方が分からないくらい豪華なディナーで、私はまた緊張してしまった。
テーブルにつく際には旦那様が椅子をひいてくださって、まるでどこかのお姫様になったような気分だった。
「どう?中々の腕だろう?」
私がフォークを口に運ぶのを嬉しそうに見ていた旦那様は待ちきれないみたいに声をかけてくる。
「はい⋯⋯本当に美味しくて、こんな美味しいもの初めて食べました」
私がしどろもどろになりながらなんとか答えると旦那様は嬉しそうに頷いていた。
「家ではお酒はあんまり呑まないんだ」
そう言って食後の紅茶を淹れようとする旦那様をなんとか座らせて、私がお茶を淹れる。
やはり旦那様は何も入れずに口をつけると、君も中々上手いじゃないかと言って笑った。
お茶を飲みながら旦那様は明日一日の流れを説明してくれる。
朝食は自分で用意したいから作らなくていいこと。でも牛乳と卵が業者から朝届くのでそれを受け取らなければいけない。
昼までは書斎に籠るから、その間にお洗濯やお手紙の仕分け。
昼食は普段取らないが必要なら自分で作る。お茶菓子で済ませる事も多いそうだ。
ちょっと午睡をとる事もあるからそれまでに寝室の掃除を済ませておく。
昼過ぎに肉屋やパン屋ちょっとした配達が来るのでそれを受け取る。
夕方からは趣味の夕食作りがあるので、その間に書斎を掃除する。
明日からの一日の流れを確認して私も頷いた。
「と、言っても僕は物書きという仕事柄そこまで時間がきっちりしていないんだ。夜更かしもよくあるし仕事に行き詰まると夜中でも散歩に出たり、風呂に入ったりする。基本的に掃除と洗濯だけしっかりしてくれれば後は放ってくれてていいよ」
人にあれこれされるの苦手なんだ、と気を抜いたように旦那様が笑う。
ちゃんとした紳士が子供のようなことをいうのが可笑しくて少しだけ笑ってしまった。
「ああ、それから」
旦那様が思い出したように付け加える。
「屋根裏に続く扉は夜間は施錠するからね。その、僕は独身男性だし、君もその方が安心できるだろう?」
言われて初めて男性と二人きりである事を意識してしまった。
ちょっとだけあの黒髪を思い出してしまう。
しかしバスルームは扉の内側にある。施錠されても問題ないだろう。
枯草色の髪を見つめて私は小さく頷いた。
旦那様が寝る支度をする間、私は食器を片付けて家のガス灯を消して回った。
寝巻きに着替えて前髪を下ろした旦那様はそれでももう少しお仕事してから眠るらしい。
オイルランプを片手に階段室の前で旦那様に夜の挨拶をする。
「それじゃあ明日からよろしくね」
「はい、よろしくお願いいたします」
「おやすみ、エリザベス。よい夢を」
「⋯⋯おやすみなさいませ、旦那様」
カチャンと鍵が閉まる音を聞きながら階段を登る。
おやすみなさい、なんて言ったのはいつ以来だろうか。
よい夢を、なんて最後に言われたのはいつだったろうか。
寝巻きに着替え、聖書の入った革袋を取り出す。
そうだ、まだ子供だった頃風邪をひいた夜に大奥様が見舞ってくれた。
普段は厳しい女中頭のおばさまと大奥様があの夜はエッグノッグを作って飲ませてくれたんだ。
それから「よくお眠り、よい夢を」といって背中をトントンと叩いてくれたんだわ。
初めての場所で緊張していたはずだったのにその晩、私はぐっすりと眠った。




