02:背の高い紳士の面接
翌朝早くにロッジングハウスを出た。
宿代は明後日まで払っていたけれど、すぐに住み込みが決まるかもしれないから小さなトランクに全ての荷物を積み込んできた。
この仕事が決まらなければ次のチャンスはいつか分からない。
新聞を片手にオルドゲートの通りを歩く。
「⋯⋯通りの4番地の⋯⋯ここだ」
いくつか並んだテラスハウスの一軒。
外から見た様子だと、地下室と屋根裏のありそうな二階建て。
改築しているのか煉瓦も一部まだ新しそうだ。
確かによく来客のあるような方でなければこの建物なら使用人は一人で済むだろう。
どうか、まだ決まっていませんように⋯⋯
そう願いを込めて重厚そうな扉のノッカーを叩いた。
しばらくすると扉の向こうで人の気配がした。
そっとポケットの上から聖書を撫でる。
大丈夫、今度こそ上手くいくわ。
ガチャリと鍵の外れる音がして扉が開く。
枯草色の髪をした、背の高い紳士がこちらを見下ろしていた。
どなたか女中の方が応対すると思っていた私は一瞬驚いたが、慌てて顔と姿勢を整える。
「突然お伺いして失礼いたします。新聞の求人広告を見て参りました」
紳士は私の頭のてっぺんから爪先まで観察するように視線を移してからニッコリと微笑んだ。
「募集していた女中さんだね。どうぞ中へ入って」
「ありがとうございます。失礼いたします」
トランクを持って中へ入ろうとすると、紳士はスッと手を差し出し、自然な動きで私の荷物を持った。
「さあ、こちらへ。少し話を聞かせてもらえるかい?」
慌てる私をよそにトランクを持ってどんどん家の中へ進んで行く。
「あ、あの⋯⋯旦那様⋯⋯」
「ハハハ、まだ雇うと決まった訳じゃないんだから。まずはそこへ座って。紅茶は飲む?」
「えっと、あの⋯⋯」
応接間のソファの手で示しながら紳士はこちらへ微笑みかける。
少し下がった目尻も上がった口角もとても優しそうだが、使用人の応募で来たのにお茶を勧められるなんて想定外だ。
「紅茶、飲む?」
「はい、いただきます⋯⋯」
結局、笑顔の圧力に負けてソファに腰掛ける。
ソファはふんわりとしていて、その価値を想像し思わず背筋を伸ばした。
紳士がお茶を用意している間、失礼にならない程度に部屋を見回す。
壁紙は暗い臙脂色のダマスク模様、少し東洋の雰囲気がある絨毯に、マホガニーのテーブル。
前任者は腕のよい女中だったようで、どこも塵一つなく掃除されていた。
変わったものといえば、紳士が向かった先、扉の向こうにキッチンが見える。
綺麗な白いタイル張りの小さめだが質がよいと分かるキッチンで、それそのものは何一つおかしくない。
しかし、この手の家では使用人が使うキッチンは地下にあるのでは?
というか、使用人に使わせるには豪華すぎるように思える。
何より変わっているのは、とうの旦那様本人が笑顔でトレイとティーセットを運んでくる事だろうか。
「さあ、どうぞ。あ、ミルクはいるかい?」
旦那様は最高級レストランの給仕もここまで美しくサーブできまいという完璧さでティーカップを置いたあと、そっとシュガーポットとミルクを差し出してくださる。
「ありがとうございます、いただきます」
あまりの完璧さに遠慮する間もなく、自然と受け取ってしまう。
ティースプーンに置いた砂糖をかき混ぜながら、向かいに座った旦那様を盗み見る。
にこにこと微笑みながら、何も入れずに自分のティーカップに口をつけた。
先ほどから何がそんなに楽しいのかしら?
つい出てしまう警戒心をティーカップで隠す。
「さて、応募してくれてありがとう。僕はハミルトン・リスター、うちは一人暮らしでね、他に家族はいないんだ。君は?」
口角を上げた旦那様⋯⋯ハミルトン様が首を傾げて問いかけてくる。
「あ、私はエリザベス・バルカーと申します。その紹介状はこちらに」
緊張しながら古い紹介状を渡す。
もしかしたら、手が震えていたかもしれない。
「ふぅん、少し古いけれど⋯⋯まあいいだろう。エリザベス、君読み書きができるんだよね?」
そう言って旦那様は近くにある紙を何枚か渡してきた。
読んでみろということだろう。
渡された紙はほとんどが広告で、住所や名前が書いてあるものだった。
旦那様の目が笑顔の奥で少し厳しくなったように見えた。
緊張しながらも声に出して読み上げていく。
一、二枚読んだ所で旦那様の長い腕が伸びてきてすっと取り上げられた。
「うん、問題なさそうだね」
トントンと紙の束を揃え脇に退かす。
「仕事内容は部屋の掃除と洗濯。あと僕の仕事は手紙のやりとりが多くてね、届いた手紙の仕分けも頼みたい。買い物は出入りの業者に頼んでいるから頻繁に行かなくても大丈夫。必要なら市場が近いし。あぁ、料理はしなくていいよ。外食も多いし、僕の趣味なんだ」
先ほどの厳しい視線は嘘だったように、さらさらと条件を口にしながらにっこりと微笑む。
「趣味⋯⋯ですか?」
「うん、料理するの好きなんだ」
呆気にとられつつも、まあそういう男性の話も聞いたことがある。
条件がいささか良過ぎる気もするが、それに手紙の仕分けが仕事のうちなら確かに読み書きができる者でないと駄目だろう、と納得していた。
旦那様はそんな私のトランクに目をやると、再びこてんと首を傾げてくる。
この旦那様、見上げるほど背の高い紳士であるのに、どこか可愛らしい仕草が多い。
「さて、君の方で問題なければ今日からでも住み込みで働いてもらいたいんだけれど。どうする?ミス・エリザベス」




