12:12/24
クリスマスイブの私は朝から恐縮しっぱなしであった。
目が覚めた瞬間、昨日の失態がしっかりと思い出されたからだ。
今も縮こまって謝る私を面白い物を見るような顔で旦那様が見ている。
「そんなに気にしないでよ」
気にしない訳がない。どこの世界に居眠りして旦那様にベッドまで運んでもらう女中がいるのだ。
「僕の肩にすりすりって⋯⋯猫みたいで可愛かったのに」
伸ばされた旦那様の手がするりと私の頬を撫でる。
「⋯⋯こんなに大きくて、重たい猫はいないと思います」
猫を撫でるように喉元をくすぐり出す旦那様の手はそのままに、顔を真っ赤にしてなんとか反論を絞り出す。
「そう?まるで子猫のように軽かったけど」
クスクスと笑っている旦那様に、今度こそ言い返す言葉が見つからない。
思いを自覚した途端に、こんな失態を晒すなんて。
それでいて触れてくれるその手に、こんなに嬉しくなっている。
「そうだ、エリザベスは明日、礼拝に行くかい?」
離れていく手を残念に感じながら、でもそれを顔に出さないように注意して私は答える。
「はい。オルドゲート・ハイストリートにある教会へ、午前の礼拝へ行こうと思っています」
私はとても敬虔な信徒とは言えないが、この日くらいは礼拝に参加する。
「じゃあ、僕と同じだ。一緒に行く?」
何気ない旦那様の冗談に、整えていたはずの表情が崩れるのが分かった。
はい、是非にと頷きたい気持ちを抑えて、首を振る。
「そう?それじゃあ、明日は先に出てもいいからね。僕はゆっくり行くからさ」
クスクス笑いを続けながら旦那様はコートを羽織る。
「かしこまりました」
今日も外は寒いのだろう、旦那様は黒革の手袋をいつもよりしっかりと手にはめる。
帽子を被り、最後にきゅっと角度を確認した。
笑顔を抑えたその姿は、近寄り難いほど完璧な紳士振りだ。
不意に旦那様の視線がこちらを向く。あんまりに見つめすぎただろうか。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
私は誤魔化すようにステッキを差し出した。
手を伸ばした旦那様の、蜂蜜色の瞳が輝く。
まるで良いことを思いついた子供のように。
どうしたのだろう?と身構える間もなく、その大きな手のひらでステッキごと手を掴まれる。
「それじゃあ⋯⋯出かけてくるけど」
旦那様がその長身を屈めた。
私の右耳にほとんど触れそうなほど近付いて囁いた。
「――良い子で待っていてね」
明るい朝の玄関ホールには不似合いなほど、夜の匂いを含んだ低い声。
それから小さな音をたてて頬にキスを落とすと、固まって動けない私の手からステッキを取り去り、その身を翻す。
「じゃ、行ってくるね。エリザベス」
ひらひらとご機嫌そうに手まで振って玄関扉の向こうに姿を消す。
残された私は腰が砕けたように、思わず座り込んでしまった。
少ししてなんとか立ち上がると、居間へ戻る。
体は冷えてしまったのに、頬だけはまだ燃えそうなほど熱い。
暖炉の前で心を落ち着かせる。
マントルピースの上、隅の方にそっと飾った柊の枝に触れる。
私の気持ちはもう、見ないふりはできないほどに膨らんでいる。
私は旦那様の事が好きだ。
旦那様のものになりたい。
こんな気持ちは生まれてはじめてだけれど、確信を持てる。
――私はハミルトン・リスターを愛している。
――では、旦那様は?
柊に巻いたリボンに触れながら、ふと心によぎってしまった気持ち。
キスをくれて、私に全てを与えてくれた旦那様。
私が差し出せるものなど、ほとんどない。
それなのに、旦那様の気持ちまで欲しがるなんて。
旦那様は立派な紳士で。
私は雇われただけの女中で。
この思いが叶うことなどないと、頭では分かっているのに。
一度、浮かんでしまった欲は頭を離れない。
いつの間にか握りしめていたリボンには少し皺がよってしまっていた。
夕方に帰宅した旦那様はさっぱりとした顔をしていた。
「これでしばらくゆっくりできるよ」と言ってタイを外すと、ドサリとソファに腰掛けた。
「ここ最近忙しくされてましたものね。お疲れ様でした」
少し俯きながらタイを受け取って、いつも通りの顔で労う。
その目を見てしまったら、この気持ちが見透かされてしまうような気がして。
「思ったよりかかっちゃったけど。これで明日は心置きなく料理ができるな」
袖口と襟元を緩めながら、旦那様が体を伸ばす。
その姿に思わず、私の口元が緩む。
やはりクリスマスの夕食も自分で作る気でいらっしゃった。
そう思って昨日からキッチンはピカピカに磨き上げてある。
何も言わないでいる私を旦那様がソファから見上げた。
その視線が何を求めているのか分からずに、私はつい考え込んでしまう。
すると、旦那様の形のいい薄い唇が弧を描き、ぽつりと告げられた。
「⋯⋯ちゃんと良い子で待ってたんだね」
朝のひと言が耳元に蘇る。
旦那様はソファから立ち上がると、真っ赤になって立ち尽くす私の横を
「シャワーを浴びてくるね」と通り抜けた。




