(3)女性の試練
ウィリルの言葉で連れてこられたのは、マリエルの部屋だった。清楚な白い壁に、薄い桃色で統一されたカーテンや椅子が、マリエルを思わせる雰囲気で、とても愛らしい。そこに私が一歩入った瞬間、しかし、がしっと両側から腕を掴まれた。
「さ、せーの!」
「行きましょう!」
にこにことした顔で、私の腕を掴んだのは、マリエルの侍女のミーティとチェルアだ。
ミーティの髪は栗色。チェルアは亜麻色。
私の顔の横で揺れるふわふわとした栗色と亜麻色の髪はかわいいけれど、部屋に入った途端左右から連行される形になった私には、わけがわからない。
「え? え? え?」
「二人ともしっかりとお願いします。明日王妃様たちが来られると連絡がありましたから、ただちに最速で衣装を用意せねばなりません」
「はあい。ウィリル長官お任せくださいー」
明るくミーティが答えているが、こちらにしたら寝耳に水だ。
「はい。では洋服を作るために採寸をしますから、こちらの採寸用の服に着替えてください」
「え? 採寸用の服って、ほとんど下着……」
「ペチコートがついているから、大事なところは見えませんよー。安心してお願いします」
栗色の髪に包まれたかわいい顔で、ミーティは容赦なく笑うと、連れていかれた部屋の隅に吊られていたカーテンを無情に閉めた。
――なにが、安心してくださいだ!?
渡されたのは、確かに白い無地でドレスの形ではある。でも胸から下しかないし、足を隠すように広がるペチコートだって、透けかねないほど薄い素材だ。
それでも、まあ肩の出ている薄いドレスだと思えばなんでもない。そう思って、泣く泣く憧れの騎士服から着替えて鏡の前に立ったのに――。
「いたたたたた!」
なんだ、この拷問!?
すぐ側に立つマリエルが、巨大な鏡の前で、チェルアにコルセットを閉められている私を心配そうに見つめている。
『大丈夫? アンジィ?』
青い顔で、用意していた紙に急いで文字を綴って見せてくれる。だけど、返事をすることもできない。
なにしろ、お腹を思い切り締め上げられて、息がうまくできないのだ。
それなのに、ウィリルときたら、しれっとミーティが測ったサイズ表と私とを見比べている。
「ふうむ。こうして見ると、肩幅が姫より広く見えたのは筋肉だったのですね。意外としっかりとついていますね」
「おかげ様で、日々の鍛錬で、筋肉は自慢できます……」
そうだ。筋肉は騎士の誇り。大切な人を守るためのものだから、決して私にダイエットが必要なわけじゃない!
「それなら大丈夫。コルセットも最初は少し苦しいかもしれませんが、着けているうちにだんだんと快感になってくる可能性がありますから」
「絶対に嫌です!」
なんだ、その可能性って!
それなのに、振り返った先で、ウィリルは楽しそうにこちらを見つめている。
「おや、でもコルセットも鍛錬と似たようなものでしょう? 日々自分を痛めつけて耐え抜く。何年も休みなく、その行為を楽しまれてきた貴女でしたら、きっと大丈夫だと思うんですよ」
「すみません。一瞬で、自分が変態になった気分なんですが」
っていうか、それ騎士団全員が対象にならないか?
「自分で自分をいたぶり鍛え抜く――その先にあるものが、美容か筋肉かというだけの違いですね。どちらも人生の強者です」
――どうしよう。反論したい。
それなのに、あまりにも極ぶりした理論に口がついていかない。
「さあ! きちんとコルセットを締めたサイズでドレスを作らなくてはなりません。それに、これぐらいで弱音を吐いていては、明日王妃様が来られたときに、すぐに偽者と見抜かれてしまいますよ?」
ウィリルの言葉に、やっと顔を上げた。
「明日、王妃様がって……なにをしに」
「決まっているでしょう。最近使者を立てても、直接出てこられない姫を引きずり出して、本当に健康に不安があるのかどうか、真偽を確かめるためですよ」
その言葉に、息を呑んだ。
咄嗟にマリエルの顔を見る。マリエルも青くなり、少しだけ震えているようだ。
ちっと唇を噛んだ。
「自分でマリエルに毒を盛ったくせに……」
それだけでは飽き足らず、きちんと死にかけているかどうか確かめに来るというのか!
許さない。そんなこと。
「大丈夫だ。マリエル、私がちゃんと守ってやるから」
後ろで青ざめた顔をしているマリエルを安心させるように微笑む。姫への私の呼び方に、少しだけウィリルが眉を寄せたが、いいだろう? ここにいるのは、みんな関係者なんだ。
その言葉に、ふわりと嬉しそうにマリエルが笑う。
『ありがとう』
頬を少し染めて急いで紙に記した文字には、そう綴られている。
「うん――」
「いい心がけです。では、遠慮なく締めてください」
「はい――!」
けれど、次の瞬間、嬉しそうにチェルアがぎゅっと締めたコルセットの紐には、さすがに息が止まるかと思った。
え? 女性って、毎日こんなに腹筋を鍛えているの?
口でぜえぜえと息をしながら、頭が白くなってしまう。
「たしか、王妃様の出身って……」
「はい。南のイグレンド王国です。そちらの第二王女としてお生まれになり、政略で前ラルド王の許へと嫁いでこられました」
生粋の貴婦人。
――どうしよう! マリエルを守ると今誓ったのに、私腹筋だけは王妃様に負けているかもしれない!
女性の力恐るべし。
いや、でもマリエルを守るためだから! そのためなら、今度からは、女性は腹以外を狙うようにしよう!
「うん、やっぱり男女平等の観点からいっても、命のやりとりをするのなら胸か目を狙わなければ」
「どこでそういう発想になったのかは謎ですが、そんな男女平等は誰も嬉しくないと思いますよ」
普通足か利き手でしょうとウィリルは呟いているが、それへの反論はもう一ふんばりと締められた臙脂色の紐に、口まで出かかって声にはならなかった。
「あーひどい目にあった……」
マリエルの部屋を出て、騎士棟へ戻るための廊下を歩いていく。
もう夕方に近いため、アーチ型の窓から見える広大な離宮の庭は、赤く染まり始めている。
冬が近いから、茶色くなった木の葉の上には、太陽の光がオレンジ色に輝いていた。
常緑樹も多い庭だが、ここから一番近くに見えるのは、夏には透き通る宝石細工ように緑の葉を輝かせるポプラだ。晩秋の黄昏の日差しに染まった木々は、今ではすっかり黄色と茶色になり、芝生の上にたくさんの葉を散らし始めている。
「ああ、もう夕方か……」
このレードリッシュ王国の都イルドは、私が住んでいた砦よりは、ずっと西にある。そのせいか、体感では、少しだけ日の入りも遅いようだ。それだけでなく、ネミリア、ザランド、パトニリアの三国と国境を接している砦よりは、標高が低いこともあって季節もわずかだが遅い気がする。
「イグレンド――」
ふと、先ほどのウィリルの言葉を思い出した。王妃の出身だという国は、たしか長く友好国だったはずだ。
頭の中に地図を描く。思い浮かべたレードリッシュの西隣には、今は敵対しているキリングがある。
「たしか、王妃様の第三王女が嫁いだのは、このキリングという話だったけれど――」
――キリング……。
ふと、頭をよぎった記憶に睫を落とした。
砦の騎士たちの噂でしか聞いたことのない国だが、このイルドの都で日の入りを遅く感じるのなら、きっとキリングではもっと遅いのだろう。
ここでは、もう夜になるというのに……。
「夜――――」
呟いた単語で、はっと脳裏に浮かんだ。
――しまった!
ウィリルに呼び止められたまま、なにも言わずに来てしまった。
絶対にあいつすごく怒っている!
頭の中に、綺麗すぎる不機嫌な顔を思い出す。
慌てて、保管庫で一緒に武器の手入れをしていたレオスのところへ急ごうと走り出し、離宮の二階の端から外へと続く階段を下りようとした。その時だった。
「どこに行っていたんだ!」
まさに今思い浮かべた相手が、離宮からの階段が通じる道の途中に立ち、腰に手をあててこちらを見つめているではないか!
「げっ! レオス!」
まずい奴に、まずいタイミングであった!
しかもすごく怒っている。
どうする、これ。
額から冷や汗が湧いてくるのを感じながら、私はこちらを睨みつけてくる深い藍色の瞳に引き攣った表情を浮かべることしかできなかった。
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