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(2)捨てられていた王女

 机の端では、灯されていた蝋燭が、金の燭台の上でじじっと身をよじった。咄嗟に口を押さえたマリエルの動きで、周りの影を揺らしながら大きく(うごめ)いたのだ。


 じっと見つめたが、今起きたことが信じられない。


「マリエル――」


 私は、金の巻き毛の中で、両手で蒼白な顔色の唇を押さえているマリエルを見つめた。


 咄嗟にした仕草と、今の顔色が、声が出るようになったのが今ではないことを示している。


 マリエルの動きの意味に気がついて、私は思わず唇を噛み締めた。


「――――いつから……、声が出るようになったの?」


 出てくる言葉は少し苦い。


 ずっと隠していたんだろうか。話せないふりをして――。


 けれど、私のわざと抑えた声に、マリエルは弾かれたように顔を上げた。


「違うの! 騙していたわけじゃないの!」


 私に縋ってくる顔は、慌てながらも必死だ。顔と同様青く変わった手で私の腕に懸命に取り縋り、そのまま懺悔をするように叫んでいる。


「声が出なかったのは本当なのよ! でも、アンジィが側に来てくれて――――。毎日側にいてくれるようになってから、少しずつ出てくるようになってきたの……!」


「マリエル……」


「ごめんなさい! でも、私の声が戻ったと知られたら、アンジィが帰ってしまうと思って……! ごめんなさい、ごめんなさい! どうしても…………、怖かったの…………」


 必死で叫び、最後には泣くように俯せてしまう。震えながら下に流れる金の髪の間から、忍ぶように洩れてくる嗚咽に、私の中で、怒りかけていた感情よりも驚く気持ちのほうが迫り上がってきた。


「怖かったって……、どうして……」


 だから、マリエルと同じ空色の瞳を大きく開いた。


 ここには立派な騎士隊や、マリエルを守る城砦もある。確かに命を狙われている不安はあるだろうけれど、心からマリエルを守っているウィリル長官やミーティやチェルアだっているはずだ。


 だが、驚く私の前で、マリエルは俯いたまま金の髪に埋もれる肩を震わせ続けている。


 瞳には、蝋燭の明かり色に染まった涙が薄く溜まっていた。


「私を……女王にという父の遺言が発表されてから……、毎日宮廷に呼び出されたわ……」


 そして、ぽつりぽつりと話しだす。


「父のお葬式の準備と言われたけれど……、連日、顔もよく知らない貴族の人たちに値踏みをされて――陰でなにかを言われ続けた……」


「マリエル……」


「妾の子とか、愛人の子とか……。お母様のことを財産と権力欲の塊みたいに嘲られて。私だってお母様の血を引いた卑しい娘だから、女王にはふさわしくないと笑われて――」


「マリエル」


 愕然としてしまう。


「宮廷に行く途中の馬車が、矢で襲われたことだって一度じゃないわ。今までに崩れたことのない道が突然崩れてきたり…………! 橋が急に壊れたりして……! しまいには、貴族だけじゃなく道を歩いている普通の人たちだって、私の命を狙っているんじゃないかと怖くなってきた!」


 泣きながら叫ぶマリエルのあまりの話に息を呑んだ。椅子に座ったまま震えている肩を呆然と見つめる。


「そんな時に毒を盛られて――やっぱり、殺されるんだと、皆から疎まれているんだと悲しくなったの……。その時は、お医者様の早い手当てのおかげで、なんとか助かったけれど。それ以来声が出なくなって……。そんな時なのよ、アンジィが来てくれたのは――――」


 じっと、震えたまま私の騎士服の腕に縋りついているマリエルの細い体を見つめる。


「ほっとしたの……、まだ私は一人じゃなかったって。それに、側で私を守ると言ってくれて……! すごく、すごく――泣きたいぐらい嬉しかった……! だから、私――――」


 たまらなくなって、私の袖を持ったまま震えているマリエルの体を全身で抱きしめた。本当に砂糖細工かと思うほど、華奢な姿だ。


「わかった――! もういいから!」


 どうしてマリエルがここまで苦しまなければならない! ただ母を亡くし、父という身寄りも亡くした普通の女の子なのに!


 だから泣いているマリエルに、一人ではないと知らせるように抱きしめる。


「そんなに怯えなくていい! このレードリッシュの人たちは、マリエルが思っているよりもずっと優しい人たちなのだから……!」


 そりゃあ、マリエルの戴冠を邪魔に思う者たちもいるだろう。だけど、毒から回復しても、声を出せなくなるほど怯えていたなんて――!


 この細い両肩に、女王のプレッシャーとこの国の命運すべてを乗せられたうえに命まで狙われて。どれだけ心細かったことか!


 これまでマリエルが口に出せなかった気持ちを思うと、やるせなくて、抱きしめる腕に力がこもってしまう。


「そりゃあ、マリエルが女王になるのを目障りに思う人も一部にはいるだろう。阻止しようと、命を狙ってくる奴もいるかもしれない! でも、それは全部じゃない!」


 そして、腕の中の自分とそっくりな空色の瞳を見つめた。


 濡れた涙で頬に張りついていた金の髪を、そっと指で拭ってやる。


「きっとレードリッシュの人たちは、マリエルを知れば受け入れてくれるよ。マリエルが継ごうとしているこの国の人たちは、本当はとても温かくて親切なのだから――」


 脳裏に懐かしい国境の村を思い出す。傷ついた兵士を助ける村人。戦いで壊れた農家の屋根を直す騎士たち。誰もが自分以外の幸せも大切にする温かい人たちだった。


「優しいマリエルなら、きっとこの国の人たちに受け入れてもらえる。マリエルだって、この国の人たちをもっとよく知れば、きっと大好きになって、怖くなんかなくなるから……」


 だから、声が出なくなるほど一人きりで怖がらないで……!


 抱きしめる腕にこめた言葉を感じ取ったように、腕の中でマリエルが瞳を閉じる。そして、こくんと小さく頷いた。


「ごめんなさい、黙っていて……。でも、声が出なかったのは、本当なのよ……」


「うん。じゃあ、だんだん良くなってきたんだね。このことを、ウィリル長官は知っているの?」


 だから、泣いているマリエルを落ち着かせるように柔らかく金の髪を指で梳いた。


 けれど、マリエルは金色の頭を静かに横へと振っている。


「ウィリルも、ミーティもチェルアも……知らないわ……」


「じゃあ、今夜知らせてあげようよ? 三人とも、マリエルをすごく大切にしているからさ、きっと喜ぶよ」


 私の心からの言葉が伝わったのだろう。見上げたマリエルは、涙を止めてこくんと頷いた。そして、そのまま私の腕に、ぽすんと頭を預けてくる。


 私の腕にもたれる泣き腫らした瞼が痛々しい。涙の跡が残る白い顔をじっと見つめていると、その頬は顎まで、まだしっとりと濡れている。


 揺らめく蝋燭の光の中で、私の腕に金色の頭を預けたまま、マリエルがぽつりと呟く。


「お父様は、どうして私を女王になんて指名されたのかしら……」


 ふわりと私の腕に金色の柔らかい巻き毛が広がる。しかし、涙に濡れたマリエルの空色の瞳は、机の上でゆっくりと炎を揺らす蝋燭を見続けている。


 愛らしい顔を濡らしたまま、炎の影に揺らめいているマリエルの様子は、ひどく痛々しい。


 その姿に、直接的には訊きにくくて、わざと少し遠回りをした尋ね方をした。


「マリエルは――、お父さんとは…………よく、話したりしたの?」


 少しは、普通の親子に近い関係だったのだろうか。


 だけど、マリエルは私の腕の側で静かに首を横に振っている。


「ううん。たまに宮廷に呼ばれても『元気か?』『不自由しているものはないか?』とかけられる言葉は、それだけで……」


「そう……」


 なんと言ったらよいのかわからない。私は毎日砦で、父に剣を教えてもらい、母に叱られながらも頭を撫でてもらって育てられた。


 だから、肩を抱く手に力をこめることしかできなかったが、私の困った様子が伝わったのか、ふふっとマリエルが笑った。


「おかしな話よね……。私、小さい頃、お父様となんで一緒に暮らせないのかがわからなかったのよ」


「マリエル――……」


「だって、お母様もウィリルも、お父様は高貴な方だから一緒に暮らせないのです、の一点張りよ。だから、意味がわからなくて、よくお父様に手紙を書いたわ。何度も何度も――――。お母様が死んでからは、それこそ毎月のようにお父様と一緒に暮らしたいって……」


「マリエル」


 どれだけ寂しかったのだろう。まだ十を少しすぎたばかりの歳で、独りぼっちになってしまって。


 見つめた先で、マリエルは悲しそうに笑っている。


「でもね、半年ほどしてわかったの」


 ふわりと、マリエルが目を広げた。そして、私の腕を甘えるように白い両手で抱きしめる。


「その年、初めて一人で園遊会に呼ばれたの。お母様が生きておられた頃は、庭の端のほうにいるだけだった王宮の園遊会でお父様の側に呼ばれて……。嬉しくて、髪も服もウィリルにチェックしてもらって、畏まってお父様の側に歩いていったわ。そしたら、お父様の周りには、私以外の人たちがたくさんいた……」


「マリエル……」


「美しい王妃様。信頼している顔でお父様から見つめられているお兄様。そして、お父様が愛しそうに笑いかけておられたのは、第一王女のお姉様と第二王女のお姉様。私が一度も抱いてもらったことのないお父様の手は、間もなくキリングに嫁がれる幼い第三王女様の頭を撫でておられたわ」


 たまらなかった。私の腕を掴みながら、泣きそうな顔で微笑んでいるマリエルが。


 だから、ぎゅっと抱きしめる。


 だけど、私の手の温かさが契機になったのだろう。急にマリエルの声に震えがまじった。


「それなのに……おかしいわね……。どうして、今さら私に王位なんて――」


 抱きしめなければ、崩れ落ちてしまいそうなぐらい、今のマリエルは細く脆く見えた。


 父に愛されなかった。それどころか、きっと望まれて生まれてきたのでさえない――。幼い頃に突きつけられた過酷すぎる現実が、今もマリエルの心を苦しめている。


「それは、きっと――」


 だから、私はせめてマリエルに、一人ではないと伝えるように抱きしめた。


 私に死んだ国王の真意なんてわかるはずもない。だけど、亡くなった王に、もし少しでもマリエルの父としての希望をもつのなら。


「マリエルのお父さんは――気がついたのかもしれない」


 腕の中の存在に、そうであることを願って言葉を紡ぐ。


「気がついた……?」


 私の言葉に、マリエルが意外そうに金色の睫を上げた。だから、マリエルの頭に頬を寄せて、ゆっくりとふわふわの髪を撫でる。


「うん――――。王子に死なれ、流行病で二人の王女を亡くして、初めて家族を失う悲しみを――」


 そうであってほしいと願う。たた一人残されたマリエルのために。


「お父様が? お母様が亡くなられても、私に一度も返事をくださらなかったのに?」


「うん……。きっと、大切な子供たちを次々と失ってみて、初めて家族と暮らしたいというマリエルの気持ちがわかったんじゃないかな……。だから後悔した。ずっと無視し続けてきたマリエルの気持ちに――」


「そんなこと……」


 反論しようとしたのかもしれない。けれど、私を見つめるマリエルの瞳は、まさかというように揺れている。空色の瞳に浮かんでいるのは、困惑とわずかな驚きだ。


 だから、私は深く頷いてやった。


 マリエルの困惑を肯定してやるかのように――。


「お父さんは後悔したけれど、きっともう時間がなかったのだろう」


 死病に冒されて。余命がいくばくもない状態で。


「だから、マリエルに、確かに自分の娘だと伝えるために、自分が持っている中で、一番輝かしい王冠を譲ることにしたんだと思う。きっと、これから先、誰かになにを言われても、マリエルが間違いなく自分の娘だと胸を張って生きていけるように――」


 もちろん私の空想かもしれない。ひょっとしたら、単に王子を殺したキリングに王位を渡したくなかっただけなのかもしれない。


 でも、できることなら、マリエルを女王に指名したのは、前国王の父としての最後の贈り物だったのだと信じたい。


 一拍の沈黙が訪れた。見つめ合う私たちの前で、机に置かれていた蝋燭が大きく揺れる。


 だけど、蝋燭の炎が部屋の影を大きく揺らした時、マリエルは優しく笑った。まるで私の願う気持ちが通じたかのように――――。


「そうね。そうであってほしいわ――。きっと――」


 きっと――。


 今となっては、誰もマリエルのお父さんの真意はわからない。


 それでも、きっと手元にただ一人残された娘への最後の思いやりだと信じたいと願いながら、私は微笑んだマリエルの細い肩をもう一度抱きしめた。


「マリエルは一人じゃないよ。――これからも、ずっと私がマリエルを守る……。それに、きっとマリエルのことを知ったお爺様だって力を貸してくれるから……」


「ありがとう……、アンジィ」


 信じるわとこぼされた柔らかな微笑みを守るように、私はマリエルの華奢な肩を抱きしめる手に力をこめた。



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