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(1)マリエルの秘密 

 昨夜は、レオスのとんでもない爆弾発言のせいで、あまりよく眠れなかった。


 ――うーん。どうしたものだろう……。


 昨日から、雨の中で告げられたレオスの発言が頭の中でぐるぐると回っている。朝、ベッドで体を起こす前から、カーテンの向こうが白んでいくのをずっと見つめていた。


 今は、着替えて、橙色と白の石で壁に模様を組まれた騎士棟の廊下を朝集まる伝達室へ向かって歩いているが、朝日に照らされた明るい通路にいても、難問はさっぱり頭から離れていかない。


 苦虫を噛み潰した顔で、白い朝日の中で腕を組んだ。


 レオスがあの夜の女性をずっと気にしているのは、きっと侵入者に襲われていたから、騎士として事情を知りたいんだと思っていたんだけれど――。


 うーんと顎に手をあてる。


 なんだか、違う気がする。


 ――いや、まさかな。


 だけど、やっぱりあのレオスの様子は、国境の騎士たちが、村娘に恋していた時の様子にどことなく似ている気がするのだ。


 それにしては、怒りっぽいけれど。


 ――万が一、そうだとしても。マリエルより男としての私のほうが気になるなんて言われて、どんな顔をすればいいんだよ!?


 ごめん。お前の趣味を否定しているわけじゃないんだ。ただ、私は男じゃないから、すでにお前の好みに入らないと、どんな顔をして告げたらよいのかわからない。


 今日もこれからレオスと会うのに、どんな表情をすればよいのかわからないまま、重たい溜め息をつきながら、とぼとぼと朝日が差す廊下を騎士隊の伝達室へと向かった。


 そして、白い陽光に照らされている武骨な木の扉に手を伸ばそうとした時だ。私が開けるのよりも早く、木の扉が内側に引かれると、中から二人の人物が出てきたのは。


「あれ? レオス?」


 今まで頭の中で、ぐるぐると思い浮かべていた面差しが、突然扉から出てきて驚いてしまう。


「どうしたんだ。先輩のダンと一緒なんて」


 驚きを誤魔化そうと、引き攣りながら微笑んだ私に気がついたのだろう。レオスの顔が一瞬固まったが、すぐにいつもと同じ端整な面差しに戻る。


「これからダンと一緒に、離宮近隣の見回りに行ってくる」


「あ、ああ……。そうなのか」


「昨日は、すまなかった。気にしないでくれ」


 いつもと同じ整った顔だ。昨日の激情なんてまるでどこかに行ってしまったかのように。それなのに、ほんの一瞬だけ、私から辛そうに目を背ける仕草に気がついて、慌てて歩いていく背中に声をかけた。


「あ、ああ! おい、昨日の今日だから気をつけろよ!?」


 青い制服を翻す姿が、片手をわずかに挙げて応えている。そして、そのまま横の通路を進んで、白い太陽が昇り始めた外へと歩いていってしまった。


「なんだ? 喧嘩でもしたのか?」


「いえ――、そんなんじゃないんですが……」


 呆れたように大隊長のディアンが、私の背より高いところにある壁に手を突いて、小さな溜め息とともに苦笑している。


「なんか、今朝あいつから急に言ってきてなあ。もっと強くなりたいから、先輩たちにしごいてほしいってよ」


 うーん。やっぱり昨日のことを気にしているのだろうか?


「まあ、生真面目な奴だからなあ。衛兵の責任だと言っても、自分が許せなかったんだろう」


「そうですね」


 この時は納得できないまま頷いたが、それから四日たってもレオスとの仲はぎくしゃくしたままだった。


 今までは、同期ということでなにかと一緒に組まされていたのに、より厳しい仕事を覚えたいというレオスの意向で、離宮周辺の治安維持を兼ねた任務のほうに連日出かけているのだ。


 ――もちろん、口実だろうけれど。


 夜の西の勤務所で、今日も避けられてしまったレオスの背中を思い出して、思わず魂が抜けていくような溜め息をついてしまった。その無駄に大きかった溜め息が聞こえたのだろう。ディアン大隊長が振り返ると、呆れたように私を見つめてくる。


「なんだ、お前ら。まだ喧嘩しているのかよ?」


「いえ……喧嘩じゃないんですが……」


 そうだ、喧嘩じゃない。むしろ、真逆で好意を示されたから困っているだけで。はっきりと言えない私の様子に、大隊長はにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。


「なんだ、決闘でも申し込まれたのか?」


「なんでより悪いほうになっているんですか!? 第一、決闘はこの間したところでしょう!?」


「そうかあ? 今度、やりかけたら晩飯抜きにしてやろうと思っていたんだが」


「なんとなく待っている気配を感じるんですが」


 引き攣るが、ディアン大隊長は椅子に巨体をもたれさせたまま、剛毛に覆われた腕を私に向かって振ってくる。


「まあ、早く仲直りするこった。いつまでもぎくしゃくされていたら、騎士隊の士気にもかかわる」


「――はい」


 とは、答えたものの、やっぱり溜め息が出てくる。


 ――うーん。なんか、もやもやするんだよなあ……。


 夜になり、夜勤の詰め番との交代時間を知らせる鐘が鳴ったので、私は新しく来た騎士に交代すると、一礼をして勤務所をあとにした。


 だけど、すぐに部屋に帰る気にもなれない。


 コツコツと人が少なくなった宮殿内を歩いていると、やはり溜め息が出てくる。廊下に灯された蝋燭が、私が歩く速度に合わせてゆらゆらと揺れた。


 蝋燭の炎のせいで、壁で花瓶の影が揺らめいている。無言で蠢く影を見たせいではないが、なんだか、胸がもやもやとする。


 最初は、レオスが、私の化けていた姿をマリエルと思い込んでいるから、すっきりしないのかと思っていた。


 ――ましてや、それでレオスがマリエルのことを好きになったのなら、なおさら……。


 果たしてそれは、本物のマリエルだと言えるのだろうか?


 むしろ――レオスが、気にしていたのは、私な気がする。


 でも、今となってはどっちにしても、私が女性な時点でレオスの好みじゃないんだよなあ……。


 はああああと溜め息が出てしまう。


 どうしよう。やっぱり、これは二重にレオスを騙している罪悪感なのか?


 うーんと、人けの少ない廊下にコツコツと靴音を響かせながら考え込んでしまうが、少しも答えは出てこない。


 ――どうして……こんなに、最近あいつのことが気になるんだろう?


 少し睫を伏せても、瞳に映るのは、蝋燭に照らされて普段より赤くなった壁だけだ。


 しかし、その時後ろからひょこっと声がした。


「悩んでいるようですね。なにかありましたか?」


「ウ、ウィリル長官!」


 本当にいつも突然出てくるな、この人! 今、絶対に足音は私のしかしなかったぞ!?


 それなのに、いつの間にか私の背後を取って、後ろから肩越しに覗き込まれている。


 騎士として、大不覚!


 けれど、はっとウィリルの紫の瞳を見上げた。


「そういえば、以前マリエルのお爺様に送ったという使者は――」


「ああ、ギルドリッシュ前々王陛下ですね。あのあと、すぐに使者をお住まいのノースライス城へ書状を持ってたたせました」


「戻ってくるのが遅くないですか!?」


 ――そうだ! マリエルの祖父にあたるギルドリッシュ陛下の認めさえあれば、どれだけ王妃が反対しようと、国内の貴族が反対を唱えることはできないはずだ!


 前々王にマリエルを正式に次期女王と認めてもらえれば、これ以上命を狙われる心配もないし、マリエルも安心して暮らすことができるようになる!


 そして、私も――これ以上、レオスを騙す必要がなくなって、全部話して謝ることもできるんだ!


 だから、私は背伸びをしてウィリルの顔を覗き込んだ。


「使者がノースライス城に着くのには何日ほどかかるんですか!?」


「せっかちですねえ」


 食ってかかるように叫んだ私に、ウィリルが紫の瞳を丸くしている。


「けれど、確かに少し遅いかもしれません」


「だったら――」


「ですが、ノースライス城には、早馬でも二日。途中の道の事情もあるでしょうし、ギルドリッシュ陛下への説得に時間がかかっているのかもしれません」


 往復には四日。それでも、もう五日もすぎている!


 ぐっと拳を握り締めた。


 ――わかっている。私が、焦ったってどうすることもできない!


 でも――――心の中では、不安そうなマリエルの顔と、辛そうに背を向けたレオスの後ろ姿が浮かんでくる。


「はい」


 けれど、私がもう一度なにかを言うよりも先に、手には三冊の太い冊子を積まれてしまった。


「え?」


「ちょうどよかった。これを姫のところにお願いします」


「え、これって……!」


「悩む時間があるということは、暇ということです。少しは姫の姿勢を見習って、急いで届けてください」


 手をひらひらとさせると、そのままウィリルは高い背を伸ばして、長官室へと歩いていく。


 なんだって言うんだ!


 別に暇なわけじゃない! そんなことを言えば、悩んでいる人間は全員暇をもてあましている退屈人ということになるじゃないか!


 内心反論したい気持ちでいっぱいだったが、正直ウィリルに口でかなう自信はない。


 だから、一冊が私の手の甲ほどもある重たい冊子を三つも抱えて、よろけそうになりながら暗い廊下を歩いていく。


 ――これも鍛錬!


 うん!


 そう思い切って、階段を上ったのがよかったのかもしれない。マリエルの部屋に着く頃には、額に浮いた汗のおかげで、随分と悩んでいる余裕がなくなっていた。


 だから、汗を掻きながら、着いたマリエルの私室の扉をこんこんと叩く。


「姫様?」


 一応、誰かに聞かれてもいいように敬語だ。


 しばらく待っても、中からはなんの返答もない。


 どうしようかと悩んだが、ウィリルは急いでと言っていた。


 だから、私はそっと扉のノブを回してみた。


「マリエル――?」


 いつもの着替えとかをしている部屋ではない。その隣にもう一つあるマリエルの寝室に続く書斎と一体となった部屋だ。見回せば、部屋の奥に取りつけられた本棚には、難しい本がずらりと並んでいる。


 勉強する机の上には、レードリッシュの法律全集とここ二百年ほどの国内の記録を記した本が、開いたまま散乱している。


 今マリエルが見ていたのは、各地の農地の出来高を纏めた書類だろうか。


 紐で冊子に纏められた報告書を開いた横で、マリエルはペンを持ったまま机の上でうたた寝をしていた。


 薄い金の髪が白い紙の上に散らばり、書いたばかりの文字に一本の金の髪が引っかかってインクが滲んでいる。


 紙の上に、転がったペンが黒い染みを作っていた。


「マリエル……」


 けれど、マリエルは静かに寝息を立てている。


 ――毎晩、こんなふうに国のことを勉強していたんだろうか?


 ふと、ウィリルから渡すようにと頼まれた手の中の本を見れば、使い込まれた背表紙には、それぞれ『レードリッシュ税収記録簿』『地方生産品生産高推移』『レードリッシュ閣議決定事項』と書かれている。


「マリエル……」


 毎日、こんなに頑張っていたのか……。


 女王に指名されてから、それにふさわしくなろうと。


 ――こんなのを見たら、本当に私の悩みなんて、暇だからで一蹴されても仕方がないな……。


 毎晩こんなに見えない努力をしているなんて知らなかった。


 完全に脱帽だ。


 苦笑しながら、疲れて机に伏せている寝顔をそっと覗くと、最近、マリエルを見るたびに感じていた、もやもやとした胸の曇りが取れていくような気がする。


 恥ずかしい――マリエルはこんなにも頑張っていたのに。


 私ったら、最近は自分でもよくわからない感情に振り回されて、マリエルから目を逸らしていたような気がする。


 大切な従姉妹で、幼馴染なのに……。


 だから、机の上のマリエルの横に、渡された冊子をできるだけ優しく置いた。


「ん……」


 でも、やはり重さで机が揺れたのだろう。微かにマリエルが身じろぎをしている。


 だから、労わるように優しく金の髪を指で撫でた。


「あ、ごめん、起きた? ここで寝たら風邪を引くよ?」


 私の声が聞こえたのか。薄い金色の睫を持ち上げる。


「寝るのなら寝台に行こうか。寝ぼけているのなら、支えて連れていくけど」


 私を見つめ、ふわりと笑う。


「ん……アン、ジィ……?」


 けれど、その瞬間私は目を見開いた。


「マリエル? 声が……」


 その瞬間、マリエルの顔色が青く変わった。そして、驚く私の前で急いで身を起こして口を押さえると、蒼白に変わった顔色で私を見つめたのだ。


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