身代わり女王は男装騎士!? ～同僚の騎士に絡まれてるけどそれどころじゃない！～

第一章 意外な仕事

（２）女王様って、あれれ？

　どうしよう。

　生まれてから今まで、これほど冷や汗が出たことはない。

　古い宮殿は、もう晩秋の日差しに包まれて、装飾を抑えたこの書斎にも、窓から暖かな光が降り注いでいる。だが、夏場にも劣らない汗が、私の全身に滴ってくる。

　確かに、このウィリル・コライユの口添えがなければ、女である自分が騎士にはなることは覚束ない。

　基本的に、騎士は男の職業だ。女が騎士に就任できるのは、ごくわずかな例外が認められたときだけ。

　それだけに、中央貴族に話もできる新女王の後見人の口添えは絶対に欲しいところだけど……。

　まさか、こんな交換条件がついてくるとは思わなかった。

　冬が近づく日差しを受けながら、窓辺からじっとこちらを見つめてくるウィリルに、どう返事をしたらいいのかわからなくなる。

　――でも、女王陛下の身代わりなんて……。

　絶対に無理だ！

「あ、の……」

　それなのに、搾り出したはずの声は、途中でからからに乾いて意味をなさなくなってしまう。

　もしここで断れば――――、小さい頃から夢だった騎士にはなれないだろう。

　脳裏に、砦で剣を教えてくれた兄や兄の友人の騎士たち、それに「強くなったな」と嬉しそうに頭を撫でてくれた遠い日の父の笑顔が甦る。

　本当は兄の結婚が決まるずっと前から、剣や弓を教えてくれた砦のみんなにまじって、自分も立派な騎士の一人になるのが夢だったのだ。

　――それなのに、それが全部、次の私の返事で終わってしまうなんて！

　嫌だ。

　ぎゅっと目を閉じる。

　でも、女王陛下の身代わりなんて。そんな畏れ多いことができるはずもないのに……。

　どちらの言葉も選ぶことができない。私が目を閉じたまま、思わず拳を握り締めて力を入れた瞬間、後ろではパタンと軽い音がした。

　そして、柔らかな甘い香りが漂ってくる。

「ああ、ありがとうございます」

　ウィリルの声に目を開けて、後ろを振り向くと、自分と同じくらいの歳に見える女の子が、テーブルに紅茶を入れた白磁のカップを置いてくれている。

　ことりという軽い音をあげた指先の持ち主は、落ち着いた深い青のドレスを纏い、柔らかな金の巻き毛を肩から胸元へと垂らしている。巻き毛から優しげに覗く笑顔は、ウィリルとは違う、まるで花のように無邪気な笑みだ。

「突然の話で驚かせたようですね。アンジィリーナ、一度座って、気持ちを落ち着かせてください」

「あ、はい――」

　伸ばされた手に促されるように、後ろに置かれた金糸で刺繍がされた緑のソファに腰掛ける。そして、小さな卓に置かれた白磁のカップに手を伸ばした。立ち昇る柔らかな湯気が、さっきまでの緊張で冷え切ってしまった私の指先を暖めてくれる。

　カップから香る柔らかな花のような湯気がくすぐったい。

　だから、ほっとして、見つめていた赤い水面に口につけると、さっきお茶を届けてくれた女の子が、安心したように、隣にすとんと腰掛けた。

　誰だろう。かわいい子だな。

　私と同じ薄い金の髪と空色の瞳。人形のように白い肌をしているが、私が気がついたのが嬉しかったのか、こちらを見上げると、にこっと笑いかけてきてくれる。

　でも、気のせいかな？

　なんだか、私に似ているような気がするのだけれど……。

「どうですか？　姫自ら淹れてくださったお茶の味は」

　ウィリルの言葉に思わず噴き出しそうになった。唇から出る寸前でなんとか阻止して飲み込んだけれど、今度は逆にむせてしまって息が苦しい。

　それでも、俯いていた涙まじりの目をどうにか上げると、まだ咳のまじった苦しい声で尋ねた。

「今、ひ、姫って……！」

　え!?　まさか、この子が!?

　さっきから話に出てきた、七か国語を操る絶世の剣姫!?

　――いやあ、さすがに盛りすぎだろう。

　むせ返りながら、姫を見上げる。

　確かに、普通よりはかわいいし、美人の範囲で通るかもしれない。だが、今口に手をあててむせている私の背中を、慌ててさすってくれている不安そうな顔からは、とても剣姫とか賢女、絶世という単語は思い浮かんではこない。

　――親馬鹿の威力恐るべし。

　咳き込んだ涙を目に浮かべながら見つめると、視線に気がついたのか、姫がほっとしたような表情をした。

　その顔は、年よりもずっとあどけなく見える。

　うん。確かにかわいいけれど……。

　とても、これが新女王様には見えない。

　それに、この顔って一体!?

　私の驚いた表情が伝わったのだろう。机の手前にまで出てきていたウィリルが、咳き込んでいる私を見つめて薄く笑っている。

「よく似ているでしょう？」

　その口ぶりは明らかに、私と姫が似ていることを知っていたものだ。

「これはいったい……」

　どうして私たちが、こんなに似ているんだ!?

　思う前で、ウィリルは楽しそうに口を開く。

「実は、貴女も陛下の御落胤で――」

「嘘を言うつもりなら、少なくとも信憑性のある顔にしてください！」

　なんだ、その盛大ににやにやした顔は！

　すると、面白くなさそうにウィリルは斜め横を見上げる。

「冗談ですよ。正確には、アンジィリーナ、貴女と姫は従姉妹なのです」

「え？」

「覚えていませんか？　ほら、幼い頃、砦をお母様の妹のイレーヌ様とマリエル姫様が一緒に訪ねられたことがあったでしょう？　貴女が、お兄様と一緒になって砦中でかくれんぼをしてくれたおかげで、私たちが捜すのに半日がかりになった、あの時ですよ」

　言われた内容に、ずっと頭の中にしまっていた幼い八歳の頃の記憶が甦ってきた。

「あ、あの時の！」

　砦中を半日かけて移動し続けて、徹底的に鬼から逃げ切ったことがあった。おかげで、最後にはマリエルが帰る時間になったという叔母の従者と砦の騎士団あげての大捜索となり、今でも幼い頃の武勇伝として、砦の中では語り継がれている。

「あの時のマリエル!?　うわあ、懐かしいなあ！　覚えているか!?　砦中の扉に二人の手形と名前と一緒に、参上って書いて回ったの！」

「覚えていますとも。私の部屋にまで書いてくれて。その忘れられない犯行文のおかげで、今回の手紙の差出人があの時の貴女だとすぐに思い当たりました」

　――まさか、このウィリル、まだ根に持っている？

　なんて執念深いと後ろを振り返れずに汗が出てくる。ひょっしたら、敵に回したら厄介なタイプかも？

　でも。

　思い出したことが嬉しいのか、目の前でふわりと私を見つめているマリエルに、思わず笑みがこぼれた。

　――懐かしい。

　覚えている。砦に来た時、怪我をした兵士を心配して、泣きながら手当てをしようとしていた優しいマリエルだ。

「まさか姫様だったなんて……。全然知らなかった」

「それは仕方がありません。王宮のメイドをされていたイレーヌ様が陛下のお子を宿されたことは、積極的には知らされてはいませんでしたから。まあ、いわゆる宮中の秘密というところですね。だからマリエル姫様のことも、陛下の御遺言が明らかになるまでは、国民にはあまり知られてはいませんでしたし」

「そっかあ。ごめんな、イレーヌ叔母様のお葬式には行けなくて。遠いから子供は邪魔だと置いていかれたんだ……」

　もう、五年も昔になるだろうか。その時の後悔を、久しぶりに会った従姉妹の顔を見つめながら告げる。けれど、マリエルは驚いたように瞳をきょとんとさせたままだ。それに、苦笑した。

「あ、ごめん。私、男ばかりの中で育ったから、口が悪くて。よく男みたいなんて言われるんだ」

　私の言葉に、記憶の中と同じ面差しのマリエルがふわっと笑う。

　その浮かべた笑みにふと違和感が湧いた。

「マリエル――いや、姫様？　まさか、喉が――」

　よく考えたらさっきから一言も話してはいない。小さい頃は、あんなに大きな声で一緒にはしゃぎまわっていたのに。

「さっきお話ししたとおりですよ。刺客に毒を盛られたんです」

「毒!?」

「幸いたいしたことはなく、完全に解毒できたはずなのですが、それ以来声が出なくなりました。医者が言うには、幼いうちにお母上を亡くされ、今回はお父上まで病で亡くされたうえに、ご自分も殺されそうになり――。ショックが重なったせいではないかという話なのですが……」

　たしか……。

「さっきの話では、姫様の兄姉(きょうだい)は……」

「はい。ご存知とは思いますが、第一王子様は昨年、戦での傷が元で早世されました。そして相次ぐ流行病で、第一王女様と第二王女様も――。今、残っておられるのは、王妃様が生まれた、幼いうちに政略結婚で隣国キリングへ嫁がれた第三王女様だけです。本当は、姫様よりも年下なのですが――」

　――マリエルは、王女の数にさえ入れてもらえてはいない。

　辛い事実を告げられて胸が痛くなる。

　どれだけ悲しかっただろう。家族のはずなのに、王族の数にも入れてはもらえず、愛人の子だというだけで、ずっと身を潜めるようにして生活してこなければならなかったのは――。

「そして、王妃様は、姫様ではなく、ご自分の第三王女様が王位を継承するようにと周りに勧めておられます」

「だから、姫に毒を盛ったり刺客を送ったりしているというわけか」

「はい、そのようですね」

「よし！」

　思い切ると、腰に手をあてて立ち上がった。そして驚いて見つめているマリエルの瞳を上から覗き込む。

　自分と同じ空の色だ。それを見ていると、同い年なのに、まるで妹を見ているような気分になる。

「わかった！　私が、側で守ってやる！」

「本当ですか!?」

　後ろでウィリルが驚いた顔をしているが、女に二言はない。

「ああ！　任せて！　女王様だと知った時はびっくりしたけれど、マリエルなら私の友達だもんな！　友達を守るのは当たり前だし、第一大事な従姉妹君だ！」

　立ち上がった私に、マリエルが目を開いたまま見つめている。

「助かります！　身代わりは、王宮から使者が来た時だけでかまいませんから。その間になんとか姫の声を戻す方法を探します」

「わかりました。マリエルの声がばれないようにですね」

　確かに新女王の声が出ないとわかれば、あっという間にマリエルは日陰の身に追いやられてしまうだろう。だから、頷いているウィリルに向かって軽くウインクをした。

　そして、見上げたままのマリエルに気がつく。

「あ、本当は姫様か。なら私も姫様か、それとももう女王様と呼んだほうがいいのかな？」

　振り返った私に、マリエルは柔らかな巻き毛を横に振っている。そして、私の手を取ると、指で文字を書いた。

『マリエルで――――アンジィ』

　懐かしい呼び方に、マリエルも私を覚えていてくれたのだとわかる。にこっと見上げてくる笑顔がかわいくて、守ってあげたくて仕方がなくなる。

「よし、じゃあマリエル。今日からは私がマリエルを守るから！　だから安心して！」

「一応人前では、姫様でお願いいたします。体面というものがありますから」

　後ろでうるさいことを言ってくる奴がいるが、まあ仕方がないだろう。私だって、騎士を志した以上必要な礼儀ぐらいは心得ている。

「わかりました」

「では、姫様の身代わりをする間は、男装でお願いします」

「は!?」

　ちょっと待て！　なんで、そうなる!?

「すぐ側に、そっくりな女の子がいれば、すぐ間者に身代わりと見抜かれてしまうでしょう？　そうでなくても、最近部屋にこもりきりな姫様に、健康に問題があるのではと相手が疑っているようですのに」

「それは、そうかもだけど……。さすがに毎日、男装というのは……」

「ここにいる間、正騎士待遇として離宮の騎士隊で働けるように手を打ちましょう。身代わりの間、王宮騎士の制服が着れますよ？」

「やります！」

　次の瞬間、返事を翻した。

　幼い頃から憧れだった騎士服！

　その騎士たちの間でも、さらにトップクラスしか入れないという王宮の精鋭騎士団の制服！

　さすがに、これを逃す手はない――！

　だが、手を握り締めた私の横で、マリエルは心配そうな顔をしている。

　その表情に、ぎゅっとマリエルの手を握ってやった。

「大丈夫。私、小さい頃からしょっちゅう雄々しいって言われていたから」

　でも、まだ心配そうだ。

「それが成長して、男らしい、男に生まれたらよかったのに、男みたいだと散々言われてきたから安心して」

「ええ。とりあえず、言われ慣れすぎて、最後のが悪口だと気がつかないのもどうかと思いますよ？」

　――でも、大丈夫！

　憧れの騎士の仕事ができるうえに、マリエルも守れるのだ！

　やるぞ！

　だから、私は思い切り気合をこめてガッツポーズを取った。