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(4)新しい難問

 今日、オーレリアンを通した部屋は、この間王妃と出会った部屋とは違い穏やかな色の内装で統一されていた。


 柔らかな蔦を描いた壁にかかる銀みを帯びた灰緑色のカーテンが、外からの日差しに眩しく輝いている。


 だが、部屋を彩る明るい色合いにもかかわらず、私は目の前に立つ銀髪と黒髪の二人の人物に冷や汗が流れそうになっていた。


 なんで、よりによってこの組み合わせ!?


 どう考えても、私にとっては最悪の取り合わせだ。それなのに、レオスはなぜか私の前に出てくると、すっと身を屈める。


「マリエル――姫ですか?」


 まるで確認するような言葉だ。頭を下げたまま見つめてくる藍色の瞳に、一気に背中に汗が噴き出してくる。


「ええ」


 だから、にこやかに笑って誤魔化した。手に持った扇を広げようかと思ったが、咄嗟すぎて間に合わない。


 焦る前で、レオスはそのまま礼を続けた。


「直接申し上げるご無礼を、お許しください。実は、使者の方の従者のお一人が、到着されてすぐに腹痛を訴えられましたので、下の部屋で衛兵をつけてメイドに手当てをさせております」


「腹痛を?」


「はい。食あたりだと本人は申されているのですが――」


 本当だろうか。ちらりと側に立つオーレリアンを見つめる。視線を向けても、銀の髪を持つ男は、冴え冴えとした容貌で、こちらを見つめている。


「わかりました。見張りはつけてあるのですね?」


「はい。念のため、衛兵にもメイドにも警戒を怠らないように伝えてあります」


 それならば、大丈夫だろう。勝手に動き回って、毒を仕込むということもできないはずだ。


 だから、頷いた。そして、オーレリアンのほうに向かおうとした時だ。


「あの、姫」


 囁くような声に、不審に思って礼の姿勢のまま見つめているレオスを振り返る。そして首を傾げた。


「なんでしょう?」


 ――まだ、なにかあるのかな?


「あの、この間お怪我をされていたのは――――」


「ああ――」


 レオスの言葉に、数日前の夜が甦る。


 そうだな。まだ私のことを疑っているのなら、申し訳ないが、ここでマリエルだと確定させておいたほうがいい。


 心の中では、なぜか自分の考えにすっきりとはしないが、これからの身代わりと騎士生活のことを考えれば、やはり知られないほうが安全だ。だから、にっこりと笑った。


「先日はありがとうございました。お借りしたハンカチは、きちんと洗って返しますね」


「そう、ですか……」


「なにかご不審でも?」


「いえ。その動き、確かにあの夜の貴女です……」


 なぜか、睫を伏せたレオスの言葉にずきっと胸が痛んだ。


 ずっと気になっていた女性の正体がはっきりしたのだから、もっと喜ぶかと思っていたのに。それなのに、レオスは私の前で藍色の瞳を下に向けると、暗く迷うように揺らしている。


 なんでだ。レオスの中で、あの夜助けたのがマリエルに決定した。それだけじゃないか。


 それなのに、どうして私の胸がうずくのかがわからない。


 だから、私は月明かりの中で、手当てをしてくれた記憶とともに、こみあげて来る困惑を振り切るようにして、レオスに背を向けた。そして、オーレリアンの前へと進み出る。


「それで、今日はなんの御用でしょう?」


 とにかく、早く用事を終わらせるのに限る。そして、さっさとご退散願おう。その思惑をこめて、私にできる精一杯優雅な表情で笑いかけると、相手も端整な面差しでふっと微笑んだ。


「実は、姫の女王としての資質を見極めたいと思いまして」


「まあ、試験ですか?」


「有体に申せば、そういうことになります」


 こいつ! よくも臆面もなく言い切りやがった!


「先日の面会によると、姫は女王として、この国を治める決意を固められているご様子。それならばお言葉どおり、この国を治めるのにふさわしい能力があるのかどうか、ラルド王を支えられた王妃様の側に仕える者として、見極めたいと思うのは当然でしょう」


「まさにおっしゃるとおりですわ」


 だから、華やかに笑ってみせる。


「けれど、私はその試験を受ける必要性を感じません。私の王としての資質を知りたいのならば、戴冠してからの統治で見極めればいいではありませんか」


 きっとマリエルなら、穏やかで優しい国を作る。


 だから、今この男の口車に乗ってやる必要はないと、オーレリアンの言葉を退けようとした。


「そうですね。では、もし私から見事百点を取られれば、これからの姫の身の安全は保証いたしますよ? それとも、今受けられない理由がなにかございますか?」


 ちらりと後ろのレオスを見つめている。


 ――ちっ! こいつ、相変わらず疑ってやがる!


 マリエルが、本当は噂どおりの王女ではないのではないかと。


 だけど、と心の中で思い直した。


 こいつの言葉を信じるのなら、ここで私が合格すれば、マリエルへの刺客はなくなるのだろう。


 先日の夜は、幸い狙われたのが私で、しかも側にレオスがいたからよかったようなものの、そうでなければ本当に危ないところだった。


 マリエルの安全が少しでも保証される。私は、今、横で黒い(かつら)と顔の下半分を覆った布で、必死に姿を隠しているマリエルをちらりと見た。


 信用できるのかはわからない。だけど――――。


「いいでしょう。オーレリアン、貴方の言う試験とやらを受けてみようではありませんか」


 少しでも、マリエルへの危害がなくなるのなら、それに越したことはない。だって、この間の言葉であれだけ怯えていたのだから。


 すっと歩きだすと、オーレリアンを部屋の中ほどにある(にれ)の木で作られたテーブルへと案内した。そして、深みのある茶色のテーブルに並ぶ布張りの椅子に三重の白絹で作られたドレスをばさりと波打たせて腰掛けると、前に座るようにと手で促す。


 余裕を演出するために、肘掛で頬杖を突いた。


「それで、なにをするのです?」


「そうですね」


 話しかけたが、オーレリアンは落ち着いた仕草で、後ろの従者が差し出した長い紙を受け取っている。


「ところで、話は変わりますが、マリエル姫。姫には、ザランドの国境近くに従兄妹がおられると伺いましたが――。最近、お会いにはなられましたか?」


「なに……?」


 素早く眉を寄せる。


 こいつ、もしかして私がマリエルの身代わりをしていると疑っている?


 だから、急いで口を開いた。


「ああ、もうすぐ結婚すると聞きました。海軍将軍の娘婿となって、しばらく都で暮らすという話です。もし、ご興味がおありなのでしたら、そのうちお引き合わせできるかと思いますが」


「ほう――従兄妹殿は、男君だったのですか。遠くのことなので、そこまでは、情報が入ってきませんでした。ただ、幼い頃遊んだ時は、よく似ておられたという話を小耳に挟んだものですから」


 ――こいつ!


 やっぱり、疑っている!


 だから、マリエルの身代わりを誰かがしてはいないか、マリエルの身辺を探らせたのだろう。私の名前が挙がらなかったのは、暮らしていたのが国境だったから遠すぎて、詳しい情報が伝わらなかったからにほかならない。


 額に汗が浮かびそうだが、強気に笑ってみせる。


「ええ。とても強い自慢の従兄弟ですわ。結婚してオセメル海軍将軍の跡取りとなりましたら、ぜひよろしくお願いします」


「なるほど――」


 さすがに、国内でも知られた将軍の名前を出されては、疑うわけにもいかなかったらしい。


 オーレリアンは、さっき従者から渡された大きな紙を広げながら口を閉じたが、まだマリエルは後ろで不安そうな顔をしている。


 そして、こちらに急いで歩いてこようとした。


 きっと、今ので心配になったのだろう。少し顔色が悪い。


 こちらへ小走りに歩いてくるマリエルへと目を動かした時、だが、その近くに立っている別の人物の様子に、私は首を傾げた。


 あれ?


 どうして、レオスがこんなに驚いたように私のほうを見つめているんだ?


 そんなに目を大きく開くほど、怖い話でもしていたか?


 不思議に思った瞬間、こちらに走り寄ろうとしていたマリエルの前に、広げかけた紙の筒がいきなり突き出された。


 鋭く出された先端は、マリエルの喉付近にかかり、一瞬で動きを止めさせる。まるで、剣の動きだ。先端の物質が、紙ではなく鉄の刃だったのなら、間違いなくこの瞬間にマリエルの命は風前の灯だっただろう。


「なにをする!?」


 突然のオーレリアンの凶行に、思わずがたんと椅子から立ち上がった。あまりにも急な動きで、白いドレスが波打つように揺れる。


 けれど、オーレリアンは翡翠色の瞳で冷たく笑っている。


「申し訳ございません。侍女殿。ただ、このたびの試験は姫と二人でさせていただきたく――」


 口元は笑っているが、瞳は笑ってはいない。行動からしても殺意が見えるかのようだ。


 オーレリアンの微笑に、布に包まれた顎を紙の剣の上に乗せたままマリエルが震えた。


「だからって――!」


「この間の問答の時、気になっていたのですよ。姫が詰まられた瞬間、この侍女殿が横でなにかを書いておられたのが」


 見ていたのか!


 ぎりっと眉を寄せる。


「だから、念のため。手助けなしの実力を知りたいからです」


 にこっと笑うと、紙の筒をマリエルの首からよける。


 それに、私は相手の望みどおりに頷くことしかできなかった。


「馬鹿なことを。彼女は職務熱心なだけだ」


 マリエルが驚いたように私を見ている。けれど、今この男が疑っている以上、絶対にマリエルの正体を見破らせるわけにはいかない。


「部屋の端で見ていてくれ。大丈夫、用があれば呼ぶから」


 だから、安心させるように頷くと、ひらつくドレスを手で押さえもせずに椅子に座った。


 そして、傲然と椅子に肘を突いて、オーレリアンを見つめる。


「それで? どんな試験をしたいんだ?」


「これを――」


 内心は不安だらけだ。だが、戦いの場で騎士が自信のなさを敵に悟られてはならない。致命傷を負いたくなければ――。


 可能な限り、五分の戦いに引きずり込む。そして一瞬でもいいから、勝機を探す。


 そう考えたが、オーレリアンが私の前に広げたのは見たこともない地図だった。


 初めて見る険しいいくつかの山の形。その合間を縫って蛇行する川。そして端に広がるなだらかな平地といくつかの森。


「どこかお分かりになりますね?」


 こんなところ知らない。


 見たことさえない地形だ。


 間に細かく書かれた地名にさえ、覚えがない。


「ふん」


 その一言の間に、わからない気持ちを落ち着かせるようにして前を見つめると、部屋の暖炉の上にかけられた鏡を背にしたマリエルは、必死で右を指差している。


 右――――いや、西?


 その瞬間、はっとした。


 そしてもう一度地図に目を落とす。細かい地名を眺めれば、案の定あった。山脈と山の間を流れる川の上に。


 プルーロと。


「シュリンケン峡谷」


 この間、マリエルがキリングとの暫定国境線になっていると言ったところだ。


 半分は賭けだが、どうやら地形と西から想像した答えは外れてはいなかったらしい。


「ご名答」


 微笑みさえせずに、オーレリアンはさらりと広げた地図に指を乗せた。


「いかにも、ここは今我がレードリッシュと我らの第三王女リアーヌ様が嫁がれたキリングとの最前線。では」


 すっとオーレリアンの指が、シュリンケン峡谷の入り口に要塞として描かれている敵陣で止まった。


「このシュリンケン関門の攻略法を」


「え?」


「マリエル姫が女王となられれば、レードリッシュの王位を逃したキリングとの戦いが再燃するのは必定。その時、このシュリンケンは確実に揉め事が起こるでしょう。マリエル姫が、女王として、この場所をどう制圧されるおつもりなのか、それを伺いたい」


 ――そんなの、わからない。


 私はこの場所の詳しいことなどなにも知らない。


 地形がどうなっているのか。これまでの戦いの流れも。


 それでも、目を上げた先では、オーレリアンが逃げ道など許さないように、微笑んで私を見つめていた。



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