(3)第二戦開始!
あれから三日。青い空を渡っていく風の中で、レオスは今日も、マリエルを見つめ続けている。
今日の私たちの任務は、離宮の周りを囲む城門の上に設けられた物見櫓からの見張りだ。
二人とも騎士としてはまだ新米なので、こういう衛兵的な仕事も多い。特にこのホワイユ離宮は、ウィリル長官の意向で信頼できるものしか置いていないため、必然的に警備も厳選された騎士隊の者が担うこととなる。
故郷でも慣れた仕事なだけに不満はないが――。
ただ、ちらりと隣に立つレオスを見つめた。
藍色の視線は、今日も庭を歩くマリエルの姿を見つめている。
さすがに今日は薄化粧の軽装だが、ここからでも宮殿に飾る花を摘んでいるマリエルの姿はよくわかる。淡いピンクのドレスを纏い、庭師にとってもらった白い花を両手に抱えている姿は可憐で、まさに童話に出てくるお姫様だ。
声こそ出ないが、笑った顔はここから見てもわかるほど無邪気だ。冬を告げる風の中で、愛らしいマリエルの姿を、瞼を動かすことすら忘れたようにして見つめ続けるレオスの横顔に、私はなぜか落ち着かないものを感じてしまう。
「あ、あのさ」
だからだろうか。ついレオスの視線を引き戻すように、話しかけてしまった。
「この間の侵入者! 牢に捕らえているんだろう?」
「――ああ」
やっとレオスが私のほうを向いた。その視線にほっとして言葉を続ける。
「毒を飲んだって聞いたけれど、容態はどうなんだ?」
もし、意識が戻れば、そいつから姫の暗殺を命じたのが王妃だと証言させることができるかもしれない。
だからだと自分に言い訳をしながら訊くと、レオスは思い出したような顔で頷く。
「大隊長の話では、意識が戻りそうだという話だ。今日の朝から、寝たまま時々声をあげたり、顔を動かしたりしているらしい」
「本当か!」
やった!
これで、王妃が犯人だという証言を手に入れられれば、逆に王妃を追いつめることができるかもしれない!
見えた新しい希望に顔が輝いた。しかし、レオスの瞳はまだ少し暗いままだ。
「そうだな。あの人を襲っていた相手だし……。ひょっとしたら、あの人のことを、もっとなにか知っているかもしれない。早く目覚めてほしいものだ」
そうふと思い出したように呟くと、レオスの視線は、また庭で花を抱えているマリエルへと戻っていく。
あれ?
なぜか、胸がまた嫌な感じに締まる気がした。
なんでだ? ただ、レオスが、あの日手当てをしたのを、マリエルだと思っているだけなのに……。
脳裏に、月明かりの中で、優しく触れてくれた繊細な指先を思い出す。私を傷つけないように、気遣いながら丁寧にハンカチを縛ってくれた――。
ただ、それだけなのに。
なぜか、今、レオスがその相手をマリエルだと思っているのだと思うと、きゅっと胸が締めつけられてしまう。
――なんでだろう……。
あの夜の相手を、レオスがマリエルだと思ってくれているのなら、私には好都合なはずなのに。
そうだ。もともと、あの時、私がしていたのはマリエルの身代わりとしての姿なのだから。マリエルに事情さえ話しておけば、なにも問題はないはずだ。
――それなのに、話していない。
なぜか……口から出したくなかった。あの夜のレオスとのことだけは。
だから、あの刺客に狙われた時のことも、駆けつけた騎士の一人が、代わりに戦って捕まえたとだけウィリルにも伝えたのだ。
ただ、それだけのはずなのに――――。
自分の胸の痛む原因がわからない。顔を背けて睫を伏せ、風の中でそっと心臓を服の上から押さえた時だった。
「なんか、違う気がする」
「え!?」
隣で立っていたレオスが突然言葉を発したのは。
さすがに言われた内容に合点がいかなくて、急いで横を向いてしまう。
それなのに、レオスは相変わらずマリエルを見つめたまま、じっと晩秋の風の中に立ち尽くしているではないか。
「ずっと姫を見ていたんだが――」
おっと、自覚はあったんだな?
「あの夜の彼女はあんな動きだっただろうか?」
「はあ!? 動きって――お前!?」
いったい、こいつはどこを見ているんだ!?
けれどもレオスは至極真面目な顔で、物見櫓の上で両手を組むと、真剣な眼差しでマリエルを見つめ続けている。
「なにか……もっと、こう、しなやかで美しい動きだった気がするんだ。敵から俺を守ろうと飛び出してきた彼女は……」
さすがむさくるしさ以外には恵まれた男! 無駄に動体視力もよい奴だな!?
その栄養を少しは胸毛に回せよ!
しかし、私が驚いている間にも、レオスは黒い髪に包まれた端整な顔でこちらを向いてくる。そして、夜のような藍色の瞳が、私を捉えた。
「そう。君みたいに――」
真っ直ぐ見つめてくる瞳に、全身から汗が噴き出してくる。
え? これってやっぱり変態疑惑をかけられている?
ちょっと待て! なんでそこで一致率に私が挙がるんだ!?
まさか一度戦っただけで、私の動きを覚えたのか!? それはそれで怖いぞ。
――でも、まずいって! また私を疑っているじゃないか!?
頼むから、その無駄な能力の栄養をほかに回してくれ――!
体中の脂に回ってギトギトの男らしさになるように、祈っていてやるからさ――!
全力で頭を抱えて悶絶する。その時、物見櫓からふと下を見たレオスが口を開いた。
「あれ――」
「え?」
急に口調が変わったことに、はっとする。
そして今まで眼下の庭を眺めていた藍色の瞳が、反対方向の道を向いていることに気がついて、私は急いで悶絶していた体を起こした。
「あの印――」
レオスに指された方角を見下ろすと、郊外の道を、ダリアの紋の旗を立てた二人に守られた馬車がやってくるではないか。
「オーレリアン……!」
窓から覗く見覚えのある顔に、私は唇を噛み締めた。
掲げられた旗に描かれているのは、ダリアに孔雀の紋章。間違いない。この国の王妃が使う紋章だ。それが茶色がまざった植物に包まれた離宮への道をゆっくりとやってくる。
あいつ! また、王妃の手先として来やがった!
「私は王妃の使者が来たことを、ウィリル長官と姫に伝えてくる! レオスはディアン大隊長と門番のほうを頼む!」
「わかった!」
さすがレオス! この離宮で一番警戒すべき相手のことはよくわかっている。
ウィリルから騎士隊への日々の薫陶もあるのだろうが、察しのよいレオスに感謝をして、私は急いで櫓からの階段を駆け下りた。
そのまま城砦からの白い装飾のない階段を走り下りると、宮殿に続く華やかな花々が咲く道へと出る。
そこを通りがかった者たちに驚かれながら、私は騎士服を翻して走り抜けた。そして、急いで離宮内に入ると、先ほどのとは違う階段を駆け上がって、姫の部屋へと辿り着く。扉を叩いて待つのももどかしく、私は開けられた瞬間中へと入った。
「マリエル!」
名前を呼んだ相手は、ちょうど、庭で摘んだ白い花束を持って帰ってきたところだったらしい。
部屋の奥から驚いた顔で、ミーティとチェルアと共に振り返っている。
「どうされました、アンジィリーナ様?」
「王妃の使者が来た!」
マリエルの代わりに尋ねるミーティに簡略に答えると、三人の顔色がさっと変わった。
「アンジィリーナ様、こちらへ!」
急いでミーティが私の腕を引っ張って、鏡の前に立たせる。
「私、ウィリル長官に知らせてきます!」
白いエプロンを翻すと、急いでチェルアが走っていく。
その間にも、ミーティは不安そうにしているマリエルの横に置かれていた衣装箱から、届けられたばかりの白いドレスを取り出すと、私へとあてていく。
「急いで着替えましょう。着付けは手伝います」
横で、マリエルも心を決めたようにこくんと頷いた。
だから、姿見の前で、今着ている騎士服を脱ぐと、私は急いでミーティから渡されたドレスに着替えた。豪華なドレスには相変わらず慣れないが、着付けを整えてくれるミーティの隣で、マリエルも着方を手振りで教えてくれる。
ドレスに着替え終わった頃には、ウィリルに知らせに行っていたチェルアも戻ってきて、二人がかりで私の化粧と髪を整えてくれた。
ものすごい高速だ。これほど早業の化粧や髪結いは見たことがない。
それでも、王妃の使者が到着したとの報が外からもたらされて、五分は待たせてしまっただろうか。
完成するのと同時に、私はばさりと三重になった白いドレスの裾を大きく翻した。
白く重なったレースは、開きかけた薔薇の蕾のようだ。白い花弁が私が振り返るのと同時に、真珠色の輝きでばさりと揺れる。
いざ出陣!
その心もちで、オーレリアンを待たせていると告げられた部屋へと向かう。
「大丈夫、マリエル?」
今日もマリエルは、黒い鬘をつけて、顔の下半分を布で隠した侍女の姿で、私の側についてきてくれている。袖から出ている白い手に持っているのは、急ぎすぎて自分のが捜せず、慌ててチェルアが貸してくれた紙束と木炭だ。
顔色が青いのは、今日も緊張しているからだろう。
けれども、私がかけた言葉に、こくんと小さく頷いた。
「安心して。なにがあっても守るから――」
そうだ、決して負けたりなんかしない。
だから前を見据える瞳に、闘志を燃やして歩いていった。
そして、客間の扉を側に立つ衛兵によって開けられると、私は前にも出会った銀色の人影に目を留めた。
つい数日前に不敵に笑っていた姿が、今日も目の前で、頭を下げながら薄い笑みを浮かべているではないか。
「マリエル姫様には、ご機嫌麗しゅう――」
だが、オーレリアンの不敵な微笑み以上に、私の足は、後ろに立つ人影に止まった。
一人は一緒にここまで来たオーレリアンの従者だろう。
だけど、もう一人。
えっ! レオス!?
オーレリアンの後ろには、もう一人、秀麗な美貌に警戒の色を浮かべながら、じっとこちらを見つめているレオスがいるではないか。
なんで、お前がここにいるんだ!?
予想もしていなかった人物の参加に、私の足は部屋に入ったところで完全に止まってしまった。




